《伊那尾根下り唄》~権兵衛峠の尾根を下る馬追いの唄~(長野県伊那市)
伊那市の西部、木曽谷と伊那谷を結ぶ権兵衛峠は、「木曽へ木曽へとつけ出す米」を輸送した山道の街道です。そのあたりの馬追いで歌われたものに《尾根下り唄》があります。
唄の背景
シンプルな構造の馬追い唄
伊那と木曽とは急峻な中央アルプス(木曽山脈)に阻まれ、行き交うことが難しい地域でした。そこを結ぶルートとして、鍋懸峠、牛首峠がありましたが人しか通れない道でした。しかし、江戸時代、木曽郡日義村の古畑権兵衛という牛方が、元禄9年(1696年)に、山道を切り開き、以降権兵衛峠として使われるようになります。それ以来、伊那の米が木曽に輸送できるようになりました。伊那谷から木曽谷へ向かうルートとしては、それまで人しか通えない道であったところ、江戸時代、木曽郡日義村の古畑権兵衛という牛方が、元禄9年(1696年)に、山道を切り開き、権兵衛峠として開通、牛馬も通れる街道になったのだそうです。
この《尾根下り唄》は、このような木曽付けの馬子や、草刈などの仕事帰りに歌われてきました。
〽︎可愛い主さが 北尾根下る(ハイハイ)
吹けや尾根風 そよそよと(ハイハイ)
7775調の歌詞で淡々と歌われます。
1番の構造は上の句、下の句は、第2句目の7音、4句目の5音の文字数のちがうところ以外は、ほぼ同じメロディラインです。旋律は低音から一気に最高音まで駆け上がるようなメロディラインで、大変雄大さを感じさせます。
この唄の源流はよく分かりませんが、《小諸馬子唄》(長野県小諸市)や《箱根馬子唄》(神奈川県足柄下郡箱根町)のような、東北地方の博労が歌ったという「夜曳き唄」の構造とは、旋律の流れや歌詞の切り方など、構造的に異なります。おそらく、酒盛り唄などで歌われた7775調の甚句を、馬を曳きながらつぶやくように歌われたものと思われます。
権兵衛峠越えの馬子たちが歌ったものとしては、《伊那節》の源流とされる《御岳》があります。伊那節保存会初代会長となった鈴木繁重氏が《伊那節》を整えたことが知られますが、若い頃に実際に馬を曳いて木曽まで米を運搬したという経験があるそうですが、鈴木氏は《尾根下り唄》も歌っていました。その他、伊那市西部では「馬子唄」がいくつか残されているようです。
音楽的特徴
拍子
2拍子系
音組織/音域
民謡音階/1オクターブ
歌詞の構造
基本の歌詞は7775調の甚句形式です。上の句と下の句の切れ目に掛声を入れます。
〽︎可愛い主さが 北尾根下る(ハイハイ)
吹けや尾根風 そよそよと(ハイハイ)
演奏形態
歌
掛声
※舞台調として尺八を入れて演奏することがあります。
以下には《伊那尾根下り唄》の楽譜を掲載しました。
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