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”待つ”か”待たせる”どっちが辛い

『走れメロス』著:太宰治
皆さまどのような印象をお持ちでしょうか?
私はタイトルとざっとしたあらすじしか知りませんでしたが、
『男同士の男気溢れる熱い友情物語』
というイメージを持っていました。が、、、

そんな『走れメロス』を最近youtubeでお笑い芸人ピースの又吉さんが解説しています。

これを見ると、メロスへの人物像が崩れてしまいました。
そして結構笑ける要素も入っているのだなと。
電車通勤時に聴くと吹き出しそうになってしまいました。
ただ笑けてしまうんですが、
ノンフィクションに近い人間の性質が出ているんじゃないかとも思い、
大変考えさせられる動画でもありました。


動画の最後(①~⑥までありますが)に
これは太宰治の経験から生まれた物語ではないかというシーンで、
待つ方が辛いか、待たせる方が辛いかというやり取りがありました。

個人的には”待たせる”方が辛いのではと感じました。
状況にもよりけりですが。
待つ方は相手を信じるか信じないかの2択。
どれだけ願ったとしてもそれによって恐らく結果は変わらない。
待つという行為しか出来ない。
それ自体がもどかしいと感じるかもしれないが、
待てるか待てないかは自分の気持ち次第で決断できる。

一方待たせる方は、
自分の行動次第で結果が変わってしまう。
その不安が常に近くにある。
そしてメロスのように、いろんな方向に心が向きやすく、
外的要因の影響が多くなる。

どのような葛藤があるかはその状況にある本人にしか分からないので、
性格によっても、一概にどちらが辛いかは変わると思いますが、、、
皆さんはどちらのタイプでしょうか。


個人的に一番辛くなるストーリーを考えてみると、
物語の最後、
いろいろな誘惑や困難を払いのけて、城までたどり着いたメロス。
でもそこにセリヌンティウスがいない。
せっかく助けに行ったセリヌンティウスが、
自分の事が信じられずに脱走していたとしたら、
それが一番辛かったのではないかと、、、。
セリヌンティウスが待っていてくれたことが一番の救いだったと思います。

文学の奥深さを改めて感じました。

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