見出し画像

西野談「1回ゴールテープ切らないと成長しない」は何故難しいのか|小さきアプリ屋の悩み

2019年10月9日放送の「佐久間宣行のオールナイトニッポン0(ZERO)」は、ゲストがキングコングの二人だった。

正直、この二人には興味がなかったのだが、それぞれ成功した二人に、夢について語ってもらうという企画で、以下のメールが紹介され、思わず聞き入ってしまった。

(ラジオネーム・インスタントマン)
 僕は今、高校三年生の十七歳男子です。中学二年生の頃から小説家になりたいと思うようになりました。しかし、それから四年たった今、まだ一作も新人賞などへ応募することができていません。いつも小説を書いている途中で、これは何が面白いのか、物語として成立してないんじゃないかと思ってしまい、書けなくなってしまいます。
 元々プロットを考えている内は自分史上最高に面白いと思えるのですが、何度も見返して書いて消してを繰り返す内に、新鮮味もなくなり、自分で面白さを見出せなくなります。
 番組企画や漫才のネタ作りなどでもこんなことありますか。またどうすれば自分の作品を偏見なく見ることができるでしょうか。

将来を夢見る多感なリスナーの切実な悩みに、キングコングの西野と佐久間宣行はこう談じた。

(西野)
 でも、これ、おもんなくても、最後まで書く練習しとかないと、これ、力なんないんすよね。
 最初のアイデアだけでは誰でも思いつくんだけれど、おもんなくても、僕らも、面白くないもんね、でも、でも、とはいえ、最後まで書く訓練しとかないと、だから途中でやめるのはすごく簡単なんだけど、最後まで書く訓練て、でも、番組の企画とかどうすか
(佐久間宣行)
 番組の企画もみんな思いつくから、1回、通して実行するのをやんないと、もう絶対ムリ。
(西野)
 途中、あれこれちゃうかなと思っても、1回ゴールテープ切らないと、成長しないっすよね。


将来を夢見る少年・青年たちにとっては、これは目から鱗の話だったかもしれないが、大人たちは、この自覚が心の何処かに絶対にあって、それが実行できていないことが、凄く耳が痛いはずだ。


「時間の無駄」だと見切ってしまう、怖くて

大人になると本当に時間が早く過ぎ去ってしまって、一刻一刻を大切にしないといけないと考えてしまう。自分で面白いと思えないものに、将来性を見出せないものに、時間を費やすのが凄く怖くなってしまう。チャレンジ精神は緩やかな時間の中でしか生まれなくなってしまう。とにかく大人は時間が怖いのだ。

しかし、途中まで実現したその時間は、無駄ではないのだろうか。途中で見切って、投げ出してしまったら、それまでの時間は無駄ではないのだろうか。

私はアプリ屋だが、最近、IT技術者不足とプログラミングスクールの流行りで、IT未経験者の求人応募が多い。スクールの課題をやっただけ、或いは、自分でアプリを開発してみたが完成できないのでプロの下で働きスキルを身につけたい、という志望動機の人が本当に多いのだが、絶対に採用しない。

よく聞けば、彼らは、途中で投げていた。自らの手で何かを完成させることに執着がなく、できないから仕方がない、で見切って次の行動に移してしまっていた。

アプリ屋は、アプリを完成させて納品して、初めて金を受け取れる。完成させない、は有り得ない。完成しなければ金を得られないので、どんな方法でも絶対に完成にこじつける。

この執着と体験は本当に大事で、今技術的に拙くて、自分が思い描いていたものが完成できなくても、妥協して、妥協して、まるで違う形になったとしても完成させることを癖にしないと、全く意味がない。この妥協こそが必要な体験で、成長はその妥協を克服することで実現されるからだ。

例えば私の個人的な話なら、食費簿を開発していたとき、UIで妥協した部分が多々あったが、リリースしなければ知り得ないことが大きいので、躊躇いなくリリースした。

その妥協点を勉強し克服し次は単語帳を作ったが、新たな課題がまた見つかったし、食費簿のフィードバックから得たものもやはり大きかった。

手が止まったところで引き返していたら、ずっとそこから前には進めない。ずっとループしているのと同じだ。ボロボロでもゴールしたから次の景色が新たに見える。「妥協して前に進む」ことは、決して「時間の無駄」ではない。

恐怖に思うなら、いつも同じところで引き返していることが、ループが、一番、怖いと思ったほうがいい。


想像できないことを無意味と思ってしまう、怖くて

「面白くない」「新鮮味がない」と感じてしまうと、その先が想像できなくなってしまう。想像する意欲がなくなる。しかし、「面白い」「新鮮味がある」としても、その先は正しく想像できているのだろうか?

実はどちらにせよ、想像は想像に過ぎず、面白くない、新鮮味がないと意味がないというのは完全に思い込みだ。

想像できないことが怖いのは、生物の本能なのだろう。だけど、モチベーションがあろうがなかろうが、おもしろくない、つまらない、そんなものは関係なく、見てない景色は自分の目で見てみないと真実はいつまでも分からない。

ゴールテープの向こう側は、それを切らないと知りようがない。想像することこそが無意味で、ただ無心で、我武者羅にテープを切っても、何一つ無駄はないと私は信じている。


アイデアに価値があると思ってしまう

考え思いつくことが至高だと考えている人が凄く多い。それを思いつくことが、頭がいいと思い込んでいる。それは大きな間違いで、アイデアを思いつくことには何の価値もない。それを実現することで初めて価値になる。

若い頃、数人しか在籍していないような小さな会社を数社も転々とした。そこの社長は、一人の例外もなく、口先だけはよく動いた。色々なサービスのアイデアを考えて、これらが思いつく俺は凄いだろ、みんな、俺について来い、全員、そういう社長だった。それらアイデアが、一度でも実現されたことはなかった。着手すらしなかった。だから、ずっと小さい会社のままだったし、半分は倒産した。

アイデアさえ持っていれば、いつか、実現して、成功できると何故か過信してしまう。今、実現できずに、今、途中で投げ出すなら、この先も、ずっとそのループだ。

今、思い描いたものが完全に再現できなくても、半分以上を妥協しても、一旦、ゴールテープを切っておかないと、その先が見えることは有り得ない。永遠にない。

食費入力のみ家計簿アプリ「食費簿」、自慰管理アプリ「アイナーノ」、どちらも御陰様で好調です。より良いアプリ開発に役立てます。