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【続いてる写経 783日め】〜日本において女性の地位が下がった要因
うむ、連続投稿の日数がかなり前から1日ズレていることに気づいてしまいました。。。
ちょっとずつ修正します。
長野の善光寺様に行って、「昔から女性が自由に参拝できたのは善光寺様だけ」と話を聞いて、思い出したことがあります。
以前ここにも書いた『性差(ジェンダーの日本史』に、日本における女性差別が起きたターニングポイントです。
一つは近代における明治維新ですが、もう一つは、なんと仏教によるとあったのです。
同書のp68には
「平安末期から、仏教の「五障三従」(ごしょうさんじゅう)と言われる女性罪業感が貴族社会に広がり・・」とあります。
この「五障三従」とは何ぞや?
Web版浄土宗大辞典によると
仏教が展開するなかで現れた、女性観を示す語。五障は女性の資質や能力上、女性には達成できないと主張される五つの事柄のこと。
梵天王・帝釈・魔王・転輪聖王・仏にはなれないことを指し、(中略)
三従は、『超日明三昧経』下に「少くは父母に制せらる。出でて嫁ぐは夫に制せらる。自由を得ず。長大なるは子に難ぜらる」(正蔵一五・五四一中)と論じるように、女性の生涯を年少・結婚後・年を重ねた後の三期に区分した上で、女性は生涯にわたり家族内にあって従属的であるとすることを指す。これらの女性観は、バラモン教に基づく『マヌ法典』の所説にみられる、人間は生まれつき女性より男性のほうが資質や能力に優れ、女性は男性に従属するものという古代インドの人間観や当時のインド社会の実情が影響したものと考えられる。
そうでした、仏教が生まれたのはインド。
インドの思想が反映されるのはわかります。現代にも変わることなく根差す女性を一段低くみる考え方ですね。
ただし、お釈迦様そのものはその考え方がなかったようです。
その一方で釈尊は女性の出家を認め、さらには仏教が目指す境地の達成は「生まれ」によって左右されるものではなく「行為」によることを説いている(『スッタニパータ』一三六、六五〇)。
結局のところ、お釈迦様の後の時代には、インドの社会的背景と思想が色濃くなり、経典にもそれが反映されるようになってしまった結果のようです。
お釈迦様も女性の出家を認めていたことからも、むしろ仏教は女性にとって救いとなる思想だったはず。
この辺り、なぜに日本の貴族社会で、「五障三従」が色濃くなってきたのか・・
ちょいと簡単にはわからなさそうですね。
少なくとも庶民の間では、女性の信徒を増やそうとしていた形跡はあるようです。
人口の半分は女性なのだから、仏教勢力を延ばすには、数を増やすことは大事だったのかと思われます。
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