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サウナが誘う恍惚旅行

みなさんサウナはお好きでしょうか。

私はサウナがとても好きです。
今回はただサウナに入った感想を、私目線でお話ししようと思います。


私がよく行くのは地元のスーパー銭湯である。
そこのスーパー銭湯には室内に普通の風呂、季節のお風呂、炭酸風呂、ジャグジーなどがあり、屋外に露天温泉、釜の風呂、外気で身体を冷やせるリクライニングシートなどがある。中々広い。

銭湯に入ったらまず場内を見渡す。

「今日はなかなか混んでるな。」
「あ、またあの常連がいるぞ。」
「今日の季節の湯は柚子か」 

などと思いを巡らす。

次に洗い場でよく身体を清める。
脇や陰部、足の裏は2回洗う。
風呂・サウナの前に身体を清めるという作業は、これから身体を整えるという決意を固めることに繋がるので入念に行う。


身体を清めたらまず屋外に行く。
身体を覆う冷たい外気に少し身体を震わせ、季節を感じる。
寒いので小走りに露天温泉へと入る。
これは温泉なので身体を掻いたところなど小さな傷に染みる。温泉の独特な化学臭を大きく鼻から吸い込み、ゆっくりと口から吐く。
首から下は温かい湯に包まれ、首から上は冷たい外気に包まれているという奇妙な状況にも関わらず、いつの間にかその違和感は消失している。温かい身体と冷たい頭が寸分狂わず合致している。


しばらく温泉を堪能したら釜の風呂へ移動する。
釜の風呂は1人用がいくつか並んでいる。
1人用なので競争は激しいが案外空いている。
釜に浸かり足と腕を釜にかけて上を向く。
風呂を独占できるという優越感と、目玉のオヤジにでもなったかのような自分の矮小さを感じながら空を仰ぐ。
晴れていれば星が見えたり見えなかったりする
田舎だったらもっと綺麗な星空が見えることだろう。


釜の風呂を出て室内へと移動する。
室内は屋外と打って変わって暖気が充満している。どこか酸素も薄い気がする。多くの人の声が飛び交う。その声と重なるようにシャワーの音、桶が床に落ちる音、風呂から湯が溢れ出る音、様々な音が響く。


さていよいよサウナだ。
この銭湯では定刻にロウリュウが開催される。
ロウリュウの時間が近づくとサウナの周辺がざわつき始める。
今日はロウリュウ開催まで1時間もあるので、ロウリュウは諦めて普通のサウナに入ることにしよう。
身体を軽く掛け湯で流してマットを手に取りサウナのドアを開ける。二重の扉を開けるとたちまち身体が熱気で覆われる。中は全体的に木目調で暖色の光に照らされている。数人がすでに俯いて汗をかいている。私は二段目のテレビがよく見えるところに腰を据えた。

熱気が身体を包み込み、その熱気がどんどん体内へと進んでくる感覚がある。大きく深呼吸すると喉から入った熱気が肺を暖め、肺から血流に乗った熱気が全身へと駆け巡る。身体中の毛穴から汗が溢れ始め、私の中の不要物が続々と排出されている。サウナではテレビを見る。あまり自分の身体に集中しすぎると思ったより時間が過ぎないからだ。テレビで気を紛らわせて気付いたら時間が過ぎている方が後々都合が良い。水風呂の前に充分に身体を温めておかなければならないのだ。

だいたい私はサウナと水風呂を3セット入る。サウナに入る時間は1セットめから5分、7分、10分くらいだ。


テレビで放送されるグルメ番組をなんとなく見つめていたがふと時計に目をやるともう5分経っている。さてそろそろ行こうじゃないか。


サウナから出ると一気に呼吸が楽になる。明らかに酸素が多い。体内に取り込んだ熱気が冷めないうちに掛け湯をして水風呂へと足を踏み入れる。


冷たい。めちゃくちゃ冷たい。


このまま水風呂の奥へと足を進め、一気に腰を下ろして肩まで浸かる。


冷たい。めちゃくちゃ冷たい。


サウナで開いた毛穴から一気に冷水が入り込む。先程あった熱気はどこへ行ったのか。身体中が冷たい。どうしてこんなに冷たいところに入らないといけないのか。きつい。


しかし私は知っている。この先に快楽が待っていることを。1分ほど水風呂に浸かっていると徐々に自分の身体と冷水が一体化してくる。身体が水風呂の中に溶け込んでいる。


そして水風呂は私を異世界へと誘い始める。
私は意識がぼんやりとし、自分がこの世界と一体化している感覚になる。
はっきりと波打つ水が見える。銭湯場内の喧騒が聞こえる。冷たい感覚がある。しかし私はどこか別の世界からこの世界を俯瞰している気分になる。別の世界にいるけどこの世界と一体化している。矛盾。しかしこれは矛盾ではない。


水が冷たくて私は死ぬのではないかと思い始める。死ぬ直前はこんな快楽を感じるのだろう。しかし私は生きている。この水が、この冷たさが、この世界との一体感が、私の"生"を意識させる。


水風呂に入ると"整う"という表現がよく使われる。以前私は坐禅の本を読んだのだが、坐禅では調身・調心・調息の3つが重要らしい。身体・心・呼吸を調えるのだ。おそらく水風呂でいう"ととのう"はこの坐禅で言う"調う"のことなのだろう。明らかに今、3つ全てが調っている。そうか、これは坐禅なのか。私は今、自分の指先、呼吸、心臓全てに意識がいっている。それと同時に外界の全てにも意識がいっている。今私が死んだらこの世界はどうなるのだろう。私は今世界と一体化している。私が世界だからおそらく私が死ぬと言うことは無になるということだ。しかし無になるとは?無になるという概念が有るから、本当の意味で無にはならないのではないか。無でもあり有でもある?なんだかよく分からない。


ふと思い立って立ち上がる。
水風呂から出た身体は暖気で包まれ、頭は少しぼんやりとするが、しっかりと歩を進められる。

現実に帰ってきた。

水風呂に入っている時、先ほどのように私の頭の中はあらゆる考えが巡りおかしなことになる。だがそれが心地いい。この体験は唯一無二だ。私はサウナと水風呂がおかしな世界へと誘うこの体験を恍惚の旅、恍惚旅行と呼ぶことにする。


恍惚旅行から無事帰還した私だが体内の冷気が逃げない内に2度目のサウナへと入らなければならない。

マットを手に取り、木で囲われた分厚い扉に手をかける。グッと扉を押すと隙間から熱気が溢れてくる。私は熱気をかき分けるようにゆっくりと足を踏み入れる。

さて、2度目の恍惚旅行へと行こうではないか。



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