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大人になるということ

皆さんは、大人になったなぁと思う瞬間はないでしょうか。

初任給をもらった時
親と一緒にお酒を飲んだ時
1人で旅行に行った時
焼肉を自分のお金で食べた時

などなど

さまざまな瞬間に"大人になったなぁ"と感じることあると思います。

今回は私が最近"大人になったなぁ"と感じた瞬間について話したいと思います。



小学生のころ、私はクラスの中で目立つ存在ではなかったが友達はたくさんいた。基本的に友達の輪の中心にはいたと思う。そしてよく遊ぶ友達以外のクラスメイトにも全く物怖じすることなく、自然に話しかけていた。普段あまり遊ばないクラスメイトが意外な習い事をしていたり、あまり流行っていない漫画を知っていたり、そういったことがあるととても興味がわいて意外と話が盛り上がったりする。

当時はどんな人とも仲良くなれると思っていた。というかそんなことすら意識していなかった。ただ自然にいろんな人と仲良くしたいと思っていた。

しかし今はどうだろう。

今の私は、たいてい決まった数人の友人と家族としか過ごさない。新しく知り合った人に飲み会に誘われたりしても高確率で断ってしまう。いつもの仲間と過ごす方が楽しいからだ。

私とは違って、大学生や社会人になってから社交性が広がりさまざまな人と関わるようになったという人はたくさんいるだろう。だが私は年を重ねるごとに自分の交友関係が狭くなっている気がする。

これはどうしてだろうと考えた。1、2時間ほどトイレに座ったまま考えた。排泄することを忘れるほどに考えた。そして答えが分かった気がした。


大きな原因は、”判断”してしまうことだ。

年齢を重ねてくると、たくさんの出会いがある。その分、人間関係のトラブルも増えてくる。そして自分と合う・合わない人の傾向が掴めてくる。"自分と合う人"を判断する眼が養われていくと、一言交わしただけでその人が自分と合うかどうか分かってしまう。合うかどうか というのは少し違うかもしれない。"自分と本当に合う人"と出会うのは中々難しい。一言交わして分かるのは"自分と合うかもしれない人" か "自分とは合わない人" である。"合わない人"はすぐに分かる。"めちゃくちゃ合わない人"であれば、一言も交わさずとも立ち振る舞いなどで分かってしまう時もある。


こうして"判断"するようになると当然交友関係は狭くなる。自分で勝手に"判断"してしまうから新たな人間関係を構築する機会が減ってしまうし、たとえ"合いそうな人"であっても距離が縮まるにつれて「あれ、ひょっとしたらこの人あんまり合わないかもしれない」とか思ってしまう。そしていつのまにか距離を取ってしまうのだ。

また、歳を重ねる過程で幾度かの人間関係のトラブルを経験してくると、一度距離が縮まった人と改めて距離をとることが如何に難しいことかを痛感する。そしてそれを避けるために、他人と距離を縮めることにとても慎重になってしまう。「この人合いそうだな」と少し感じても、距離を縮めることに臆病になり、昔のように自然と無意識のうちに仲を深めることができない。


この他にも、"出会う場"が交友関係を広げる妨げとなることもある。
例えば、私は職場の人とあまり仲良くなることができない。もちろん職場に親切で気さくな人はたくさんいるが、どうしてもその人と私を繋いでいるものは"仕事"なので、仕事の嫌いな私としては中々職場の人と仲を深めようと思えないのだ。たわいもない会話のほとんどが仕事絡みの内容になってしまうから。「もし学校で出会っていたら仲良くなっていたかもしれない」と思える人も職場には何人かいる。そう思うと、"出会う場"は本当に大事だ。



これが私の"大人になったなぁ"と思うこと。

というか、"大人になってしまったな"と思うこと。

でもこれって本当に"大人になった"ってことなのか。

ただ子供の頃の純粋さを失っただけなのではないか。

成長するにつれて考え方がひねくれてしまったのではないか。

大人になるにつれて友達が減っていくなんてものすごく寂しいじゃないか。歳を重ねていけばたくさんの人に出会うはずなのに、なんで友達が減ってしまうんだ。切ない。なんだか切ないぞ。

でももしかしたらまた昔のように自然に、純粋にその人への興味だけで話しかけたり、距離を縮めたり、後先考えずに色んな人と仲を深めることが出来るかもしれない。

そんな大人もきっとたくさんこの世の中にいるはずだ。いや、絶対にいる。必ず。

そんな大人になれた時、私は改めて思うんだ。

大人になったなぁ


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