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2年目終了

 正規2年目、社会人3年目が終わった。

 今年度も初めてのことに振り回された1年間だった。まず、特支担任。それから体育主任など、主任仕事4つ。

 目の前のことに必死でぎりぎりの1年間であった。職場の人たちは、良い人ばかりで救われているが、どうしても日々きつかった。特に、1月以降、分掌の仕事、授業研、成績処理、閉鎖など、様々なことが重なった。何も考えず、ひたすら動き続けた。

 先日、分掌の仕事で1年間それなりにやってきて、できるようになってきたと自負していた部分で大きなミスをした。これまで心掛けて絶対にやらなかったようなミスであった。完全に自分が悪い出来事であった。ミスはミスとして次は起こらないように振り返らなければならない。自分の仕事の仕方が招いたミスであったと思う。とても落ち込んだし、自分の気持ちを入れていた部分だったので、一層きつかった。また、どれだけの同僚に助けてもらいながらやってきたのか、認識が薄かったし、感謝の気持ちをどれだけもっていたのかと反省した。

 一方で、気づかないうちに限界だったんだろうなとも思った。いろいろな先生から、多方面でいろいろ言われることが続いていたし、イレギュラーな対応(閉鎖、休んだ職員の仕事など)や、分掌の仕事、学年末事務などが重なっていた。面談でも大した評価されなかったし、自分できていないことを中心に指摘された。1年間それなりにやってきたことへの労いは多少あったが、納得できるものではなかった。

 できている部分はあまり取り上げて評価してもらえず、できていない部分はピックアップされて指導される。それはそういうものだから仕方ないと受け入れられるのだが、やっぱりキツイ。そもそも小規模校のわりに子どもは多く、仕事の量は多い。一人の職員にまわる仕事は多い。初めてやっている仕事ばかりだし、抱えているものが多いからこそ、指摘される部分は多くなる。

 やっぱりこんな働き方だと、自分はしんどい。

 今年度1番意識してがんばったことは、初任者の話相手になることであった。年度初めに、校長からそのようにしてあげてとも言われていた。自分の講師時代には、職場の若手や学年主任、教頭からよくしていただきすごくありがたかったし、心が軽くなった。逆に初任時代には、職場の人たちはそれぞれの業務で手一杯で、自分の孤独感がすごく、しんどかった。だから、今年度は、初任者が孤立して苦しくならないように、様子を伺いながら話をしたり聞いたりするように意識していた。それが良かったのか、ダメだったのか分からないが、初任者は、無事1年間完走していてよかったと思う。その初任者に実力があったからよくできたのだと思う。しかし、そういう部分を評価してくれない。初任者本人はありがとうございましたと言ってくれた。でも初任者はそんな気を遣う必要なくて、校長とか上の立場の人は、できてないところを言うならば、そういうところも見ていてほしいと思う。

 明日から新年度が始まる。たぶんあと1年で教職は終わりだと思う。この仕事を続けたいとは現状思わないし、日々キャパオーバーな状態で過ごしていて限界だと思う。時間外労働も記録上80~90時間が普通だし、記録されてない分も入れれば、120時間くらいだと思う。いつ死んでもおかしくない状態だと思っている。

 仕事上のできるできない、能力のありなしは仕方ないし、受け入れて改善しないといけない。でも、一方で、この生活をもう3年続けてきて、潮時なのではないかとも思う。教職でずっと生きていくのは、自分には無理だと思う。

 現実をよく考えて、自分が生きられるようにしないといけない。たぶんこのままいくと、心身を壊してしまうし、もうすでにおかしいところはあると感じている。自分の意思表示をして、自分で生きていかないとだめだと思う。あと1年が限度だと感じる。もう自分の目標にしていた3年間は働いた。20代もあともう数年しかない。もっとシビアに自分の生き方を考えなくてはならない。

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