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そのままの私ではいけない

小5で東京から札幌に転校した。
その後、私の人格形成とその後の人生に大きな影響を与えた出来事があった。


男好き

数か月後、私はクラス中の女子に囲まれ、隅に追い詰められていた。
言い分はこうだ。
「しんちゃんと仲良く話してるから、しんちゃんのことを好きなあずが傷ついちゃったじゃない」
そう言ったのは、あずではなく、もえぽんであった。そして、他の誰かからも、似たようなことを追加で言われた。
「やめなよー、って言ってると、その相手が好きだって見られるよ」

突然の出来事に、私は慌てた。
しんちゃんとは、別に仲良くなかったし、最近仲良い出来事があったわけでもなかった。私はただ、男どもと遊びたかっただけだ。弟もいるし、男友達が多くて、その子たちといるのが好きだった、ただそれだけの11歳である。成長も遅かったし、そもそもAceなのだからして、恋愛の意図は一切なかった。

「それだけだよ。なんか追い詰められてるし」、とふと気づいたように言われ、囲みは終わった。
恨みはないのだけど、この出来事がこれほど私の人生に影を落としたと知ったら、きっと驚くのだろう。

ルールが違う

大人になった私が思うことは、
「この子たち自信なくて、私がうらやましかったんだな」ということ。
嫉妬!!!である。

東京からやぼったい子が来て、"東京の学校はこうなのよ"と言いながら、自由に振る舞う。性格悪そうと思えばそう言うし、持ち物も違う(おしゃれだったわけではない)。頭もいいし、ピアノも弾けるし、自信もある。

今思えば無敵だった。たしかにうらやましいであろう!

さらに思うことは、「場所によってルールが違う」ということ。
札幌はまわりを気にして、ブランドの服を着る場所だった。守られた東京の下町ではなかった。
そして、この子たちは中学受験も控えていたし、思春期でまわりが気になっていた。そんなときに私が目障りだった。これが真実だろう。

大人の私が守る

今の私なら、こう返す。

  • あずが傷つくかどうかなんて、私が責任を負う問題じゃないでしょう?

  • だいたい、あず本人が言うならわかるけど、どうしてあんたらに言われなきゃいけないわけ?

  • やあねえ、私なんかそんな意図ないの知ってるでしょ?私はあっきーが好きなの、みんなに言ってるでしょ?

  • あずは魅力的でしょう?私なんか気にしなくても、しんちゃんにアピールすれば伝わるよ。大丈夫。

  • 思春期だから、不安なんだね。あずは中学受験もするもんね。でも大丈夫、ちゃんと受かるよ。

  • っていうか、大石、最悪だよね。このあと3組はもっとひどい状態になるんだよ。敵は私じゃなくて、センコーでしょう?

  • 地元を失うってすごく辛いんだよ。私は弟の健康が理由で転校してきたのであって、好きで来たわけじゃないの。みんなも想像してみてよ?ここのすべてを失って、遠い場所で一からスタートなんだよ?

すっかり自信をなくす

いじめではないが、囲まれたことは、とても怖かった。
以来、朝、教室に入るのが怖かった。仲いい友達がぎりぎりに来る子だったので、まだ来ていないときは、トイレに逃げたりしていた。

このことから受け取ったメッセージは、「私がありのままで振舞っていると、誰かを傷つける」だった。
↑の仲いいとなりの家に住んでいた子が言ったことは(その子も囲んでいる一味だったのだけど)、
「うちは、何事も、いいねーと言っておく」だった。
主張をしない。合わせておく。そうすれば、嫌われることなく、うまくやれる。
だから、私はその生き方を採用した。

食べ方も歩き方も変

その後、食べ方と歩き方も否定された。

食べ方というのは、りんごの皮をがじがじ食べる、というもので、これでいい、おもしろいと思っていた。だって子供だもの。
これは、クラスの男子から、「こっちを見ながら食べるのがきもい、食べ方もきもい」と言われた。私はただ、意図せずに観察していただけだったし、逆にそうして観察されたこともあった。この子の自意識過剰である。
時代も悪かった。きもい、が出始めたのがこの頃だった。

以来、私は前を向いて食べることができなくなった。ひとりなら意識は抜けるものの、家族とごはんを食べていても、変だと言われるのではないかと、気が気じゃなかった。

これがいつ気にならなくなったのかは、一切思い出せない。アメリカではもう気にしていなかった。

歩き方は、足を着いて、つま先を残してかかとを上げながら歩くという、伸びあがるような歩き方で、何度か母に相談したのだが、"(母の)兄もそういう歩き方だったし、楽しそうでいいじゃない"と言っていた。
そうは言っても、囲まれて以来意識するようになり、自分なりに普通の歩き方をやってみたところ、当時好きだった子(あっきーね)から、「そんなに背を高く見せたいの?」と言われ、とてもショックを受けた。

私は普通にしたつもりなのに、だめだった…
以来、私は下を向いて歩くようになった。意識しないなんて無理だった。

数年後、Kimiko先生のポスチュアウォーキングの本を読み、やせるという歩き方を練習するのだった。NYでは本人にも会った。

これが私の、"出る杭は打たれる"、他人軸体験である。繰り返すように当時は11歳である。

新しい生き方

私がありのままで振舞っていることで、誰かが傷つくかもしれない、と常に考えていることで起きたことは3つ。

ひとつ。自分のこと、好きなこと、感情などを、考えている暇がなかったこと。まわりにどう思われるかだけを気にしていて、それどころじゃなかった。それでも私は優等生だったので、道を外れることはなかったし、学生のうちはそれでよかった。仕事を始めてから、自分の好きなことがわからない、相手の期待を想定して答えてしまう、に悩まされることになった。

ふたつ。誰かが傷つくことは、どんなに頑張っても、防げるものじゃないし、私が責任を負うものでもない。だけど、それを考えていると常に緊張していて、自分らしい表現なんて一切できなかったし、まわりを見る目も厳しくなった。あの子太ってるのに…あんなことしたら男好きだって思われるのに…あんな勝手なことをして…と、常にまわりを採点していた。

みっつ。"馬鹿だな、理解できないな"、と思いながらも、"いいねー"と言っていた私のまわりは、どうでもいい友達ばかりになった。クラスの中でお弁当を食べたり話したりする相手が必要だから作った相手であって、離れてしまえば興味もなかった。
もちろんその人たちとは、今はつながっていない。続かないのだ。

↑は私が思っていたことだけれど、現実には、親友も気の合う友達もできたし、気づいていなかっただけで、好き勝手もしていた。
つまり、自分らしさというのは、あふれ出るものなのかもしれない。
現在の私は、ベルギーで自由に、元気にやっています。

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