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月9と神戸と渡米前の国内旅行

渡米直前に、厳島神社・神戸・日光に行った。

厳島神社と日光に行きたいと言ったのは私だった。それなら途中で神戸にでも寄れば、と言ったのは父で、ホテルと交通費を出してくれて、それならそうするか、ということになったのだった。

厳島神社は、海に立つ赤い鳥居を見たい!と思ったのだが、なんというか普通だった。笑 最初の宿も、どこだか思い出せないが普通だった。ビジネスホテルで、別にいいのだけれどなぜか父とは別室で隣だった。これは親の至らなさなのか、娘とは同じ部屋に泊まれないという過剰な意識なのか…だけどこの数年後、同じ部屋に泊まっているわけなので、恐らく気の利かなさといったところなのだろう。深い意味はないのかもしれない。それが繊細な私には響かないとしても。

せっかくなので広島も見てきたら、と言われ、原爆ドームへ行った。少し不気味なかんじだった。広島は修学旅行で行っていたので2回目だが、おしゃれな都会好みの私としては特に好きにもなれない町だった。そして、2番目のホテルが何より悪かった。古くて、木の札についた鍵を渡される、つまりオートロックじゃないビジネスホテルで、しかし安いからか混んでいた。別に人気のないホテルではなく、こぎれいな女性客もいた。掃除はきちんとしているのだろうけれど、設備が古くて使う気になれないバスルームだったので、この日はシャワーを浴びなかったはずだ。

ここを取ったのは父だった。安かったんだよな、と言った。

もしかしたら、安いからいいかと思って予約したけれど、いまいちだったという意味だったのかもしれない。だけど私はこれに対して、つまり父にとっての私の価値というのは、安くて古くて、シャワーに入るのが不気味だと思うような部屋分しかないんだなと思った。このあたりに、ネグレクトで、大切にされていない感覚が伝わるだろうか。私は子供じゃないので、喚かなかった。こんな古いところ泊まりたくないとも言わなかった。ただ一人でショックを受けていただけだ。

広島には一緒に行くよと言っていた父は、このあたりで仕事に戻ってしまった。父の友人に私を預けて、というか、昼に3人で顔を合わせて、夜はつきあってくれと頼んでいた。その後2人で飲んだ。一切興味ないのだけれど、広島の魚を食べて、日本酒も飲んだ。

なぜ父の友人と2人で、広島の居酒屋にいるのだろう。

うちの父はこういうことをよくする人だった。一緒に来るかい、と言われて行ってみれば、仕事づきあいの2人と同席でうなぎを食べることになったこともあった。そして、じゃああとは好きに、と適当なところで去る、そういう父だった。仕事に行くからお金払って帰っといて。普通に考えてみれば、ちょっとあんまりじゃないかということになるのだろう。親なら子供の面倒をきちんと見ましょうよ。そして、仕事に連れて行くなよと。もちろん1人で帰れない年齢ではないけれど、それでも一言ほしかった。

思い出すのは、子供のとき自転車で出かけたときのこと。父は弟を後ろに乗せ、前を走っていた。私は後ろからついていくのだが、当然ながら追いつけない。どこかで待っているだろうと思っても、待っていない。戻ってきてくれないかなと思うのだが、戻ってはこない。さすがに、ずっとついてきていないのに気づけば、立ち止まる。そういう父だった。

ともあれ、この人は、親切な友人ではなく(って引き受けてくれるんだから親切なんだけど)、いやいやつきあっているような、少し呆れているような印象だった。父の友人や仕事仲間で、私が会ってきた人たちは、たまに酒臭そうなおっさんもいたけれど、なんというかこぎれいで、感じのいい人が多かった。もちろんこの人もこぎれいで、毎朝ランニングが日課という健康的な人だったけれど、なんというか、いまいち洗練された素敵さのない人だった。この人は昔家にもよく来ていたそうで、つまり私が子供のころから知っている人ということだ。

あなたのお父さんは、敵も味方も多い人です、と言われた。

神戸へ

広島のあと、新幹線だったのか飛行機だったのかまったく思い出せないが、神戸に行った。そういうわけで期待していなかったギャップもあったのかもしれないが、神戸のホテルは、ビジネスホテルだけど、新しくてとてもきれいで、たいそう気に入った。去年神戸に行った時にも思い出して調べて泊まったが、サービスも朝食もよかった。

時間を戻そう。

神戸は中継地点に過ぎず、興味がなかったので何も調べなかったし、今みたいにGoogle mapも定番じゃなかったので、夜景をとりあえず見るだけで終わった。当時のデジカメの性能では、ブレまくりの夜景しか撮れなかった。つなぎだったので、時間もそれほどなく、翌日には移動したのだが、この夜、ホテルの部屋のテレビで月9を見た。キムタクと、篠原涼子と、景子ちゃんが出ている、月の恋人の、第1話か2話だった。これが私の渡米前最後のドラマになった。このテーマソングが久保田利伸で、”Lalala love songを超えるのを作ってって言われて困った”と言っていた曲だった。

この月9の原作をあとで読んだけれど、なんだかよくわからない話だった。理解できない、ではなく、なんだか特に味も何もなかった。驚き、なし。同じ作者の違う話を読んでみたら、とんでもなく気持ち悪い、後味の悪い話だった。だけど無味なかんじは共通かもしれない。

素敵なホテルの部屋で、月9を見た。なんだかおしゃれな街だった。これが私の神戸の思い出なのだ。

翌日、新幹線に乗る前に、arを買った。当時の私としては背伸びした雑誌で、載っている服は高くて買えなかった。だけど北川景子が表紙だったので、新幹線で読んでもいいかと思って買った。以来、arをチェックするようになった。おフェロとか、雌ガールとか言い出したのは、数年後のことだ。

それから、また思い出せないのだけれど、日光に行ったはずだ。なぜ寮生活中に行かなかったのかといえば、ただ単に機会がなく、そこまででもなかったということなのだろう。心理的に遠い、そういうやつだ。

日光では、駅のロッカーにスーツケースを預けて、寺に行った。猿を見た。この階段は人生と同じく険しいです、急がないこと、といった張り紙があったのを覚えている。でもそれだけだ。気になっていたところに行った。チェック。そういうところだった。

どうやって帰ったのか、これまた思い出せないのだけれど、私はこのあと帰宅し、準備をし、渡米したのだった。久保田利伸を聞きながら。

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