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回想

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女性性の強い人は、過去に住んでいるらしい。いろんな場所でいろんな経験をしてきたので、いろんなことを思い出します。笑
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そう見えるかもしれないけど

好きな作家がいた。この人が書いていることには、とても助けられたし、この人も海外に行っていたこともあって、guideのように見ていた。 イベントで実際に会ったときには、留学前で、"やってみないとわかんないよね"とadviceももらえたし、参加者1名に当たるという物も当たった。Randomだったのか、応援したいと思ってくれたのかは、わからない。それは今でも使い続けていて、目の前に置いてある。 ところが、2度目に会ったときは、散々なものだった。そして私はこの人をfollowするこ

遅刻と私

大学の期末テストに遅れてしまった。Marketingだった。 教授は怖かったけど、うまくやっているクラスだった。少しくらいなら遅れても入れてくれるかと思いきや、だめだと言われ、仕方なくlibraryへ。ちょうど受付に立っていた友達に、 「どうしよう。遅れちゃった。テスト受けられないかも。」と言ったら、「それならまだいいほうよ。私なんて満点取ってもDだからそもそも受けるなって言われたのよ。」 とまあ、この場では役に立たないことを言われた。笑 どうしようと思いながら、とりあえず

月9と神戸と渡米前の国内旅行

渡米直前に、厳島神社・神戸・日光に行った。 厳島神社と日光に行きたいと言ったのは私だった。それなら途中で神戸にでも寄れば、と言ったのは父で、ホテルと交通費を出してくれて、それならそうするか、ということになったのだった。 厳島神社は、海に立つ赤い鳥居を見たい!と思ったのだが、なんというか普通だった。笑 最初の宿も、どこだか思い出せないが普通だった。ビジネスホテルで、別にいいのだけれどなぜか父とは別室で隣だった。これは親の至らなさなのか、娘とは同じ部屋に泊まれないという過剰な

ゲーム禁止の家を出て、ポケモンにハマった話

うちはゲーム禁止の家だった。それが18歳か20歳かは当時は関係なかったのだが、大人になるまではだめ、とのことだった。目が悪くなるからとか、そういう理由だったはずだ。たまごっちやポケットピカチュウはOKで、スーパーノートクラブ(通じる人いるかな)も持っていたけれど、本体とソフトがあるものは禁止だった。 家にゲームがなかったので、母が信長の野望(ってなんだよ、ってかんじだったけど)をやったことがあるであるとか、父が電車でGo!の話を時々しているのには(ゲームセンターでやってたの

安部礼司、七尾藍佳さん、大学1年目の東京寮生活

大学1年目は、永福町の寮に住みながら、”留学する人のための学校”に通っていた。 “安部礼司”がきっかけで、永福町に住むことに以前東京に住んではいたものの、上京して大学生になった私は、普通の部屋よりも寮に住みたいと思っていた。生活が心配だったし、食事もついているのがいい。学校には専門の買い上げのマンションはあったものの、アクセスはいまいちだったし(専門の住居って基本的にそうだよね)、家では学校の生活から離れたい気持ちがあったので、ここはやめた。家賃も安くなかった。それで寮を探

誕生日はひとりで好きに過ごそう

高1の誕生日、高2の先輩たちは修学旅行中だった。その日、高3の先輩に告白された。初めてだった。 家が近かったので、時々自転車で一緒に帰ることがある先輩だった。たしかにその週だか、前の週だったか、たまたま2日連続で帰っていた。先輩の自転車がパンクして、遅かったときも、当時の私は「いい子」だったので、嫌がらずにつきあった。もちろん私は先輩に好意があったわけではなく。嫌いではなかったのだろうけれど、ただ単に家が近いし、そろそろ帰る時間だし、一緒に帰りましょうか、とそれだけのことだ

中学の恩師もりかん

私は親父が"親というより教育者"と言われるような人で(実際には自由で豪快でカリスマな人なのだけど)、おかげで私はパターンを持っている。 所々でいい出会いがあり、その先生たち/Prof.についていって自分を鍛えたらいい結果になった、という経験が何度もある。 まずは、中1の担任である。担当は国語で、私の中学に来たばかりだった。 画像がトマトなのは、そんな髪型で、そんなイラストを親友が描いていたからである。笑 道を正してもらう中学に入ってまもなく、私はこの人に呼び出された。理由

そのままの私ではいけない

小5で東京から札幌に転校した。 その後、私の人格形成とその後の人生に大きな影響を与えた出来事があった。 男好き数か月後、私はクラス中の女子に囲まれ、隅に追い詰められていた。 言い分はこうだ。 「しんちゃんと仲良く話してるから、しんちゃんのことを好きなあずが傷ついちゃったじゃない」 そう言ったのは、あずではなく、もえぽんであった。そして、他の誰かからも、似たようなことを追加で言われた。 「やめなよー、って言ってると、その相手が好きだって見られるよ」 突然の出来事に、私は慌て

多様な環境に育つ

私が生まれ育ったのはいわゆる東京の下町だが、いろんな子が普通にいた。 近所となりの家の子は、劇団ひまわりに入っていて、時々テレビに出ていた。 向かいの家には、歳が1つ上1つ下の兄弟が住んでいて、よく一緒に遊んでいた。そのお兄ちゃんは自閉症だったのだが、当時私は知らされていなかったし、何も変だとは思わなかった。たしかにすらすら喋ってはいなかったが、名前も呼んでくれたし、楽しそうに遊んでいた。同じ小学校にも通った。 この家から数軒離れたところには、症状の名前はわからないのだが