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学習机に向かって『日記:2024.3.5』

今こうして日記を書いているのは、小学1年生の時から使っている学習机だ。

部屋にはテーブルがあるけれど、いつも何かしら乗っかっていて使えない。綺麗好きな友達に言ったら怒られそうで怖い。怖くて夜から昼前までしか眠れない。

この学習机は、私が歳をとって環境や性格が変わる毎にどんどん進化していった。

高校までは、棚の上にもきちんと教材があったと思う。もう6年も前のことなんて覚えていないけど。昨日の夜ご飯だって思い出せないし。

でも大学生になった時。学習机に三面鏡が置かれた。大して大きくないから、邪魔な時は首を掴んで移動させることが出来るのだけれど、毎日着飾るが為に置き場所が変わることは無かった。

それからは、朝は学習机で朝食をつまみながらメイクをして髪を整えてYouTubeを観た。その生活は今もずっと続いている。

環境によってどんどん変化していく私に合わせて、学習机の在り方も変わっていった。それは、私も私が知らない間、それなりに環境に合わせて何かしらを変えていたかららしい。

自分では自分の変化に気付く事は難しい。自分が1番自分のことを毎分毎秒見ているから。


3月は節目だ。次年度への準備が始まる。年が終わるのが12月だから、12月が節目だと思う場合もあるか、などと考える。

小学生から中学生、高校生から大学生、大学生から社会人になって学習机と自分自身に変化があったのは、節目目掛けて突き進んでいたからである。

最近の自分は、ずっと何かに甘えているなと考えていた。

現実から目を背けているんじゃないか、自分がなりたい物にきちんと向き合っていないんじゃないか。そんな葛藤を、誰にも言わず自分の脳内て繰り広げる。一人で、誰もいないのに、解決出来る訳が無いのに。

でもそれは少し違った。こんな感情は今起こったことではなくて、生涯ずっとこうだった。

現実から目を背けているのは当たり前だった。自分がなりたい物なんて無かったから、その場で与えられた物を適当にこなすことで人生を乗り切っていた。

ただ何も無い日々を過ごしているのは、23年間変わらないのだ。

4月になれば、学校が変わる、制服が変わる、人が変わる、勉強する物が変わる、名前が変わる、大人になる。それが無くなった私が初めてだったのだ。

いつも終わりがあるから頑張れていた。それ終わればもう、何も追われないと思いながら必死で走った。

でもそれが私には必要で、人から設定された期間の中で生き延びることが私の常だった。

今はそれがない。人からの指図がないと生きられない。私は、Z世代の魁みたいな人間だった。


初めての経験はもう懲り懲りだ。何も無い春、私の過ごし方を私が決めなければいけないなんて、嫌だな。


誰か私に何かを授けて欲しい。そして私を生かして欲しい。

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