見出し画像

無言の中、生まれる『日記:2024.4.17』

私は常に何かに触れていたいと思うことがある。

触れていたいといっても、人肌恋しいとか、寂しがり屋とかそういう触覚を使ったものではなくむしろ触覚以外の五感で、触れていたいのだ。

自宅の庭にあった雪も無くなり雑草がぐんぐん伸びる。聞いてもないのに自慢話をひけらかしていた上司に似ている。こちらは愛想笑いをしながら自身の酒を呑むことしか出来ないというのにそんなことお構い無しなあの淀んだ雰囲気を思い出す。同じような曇りの今日、私は衣替えをした。

私は衣服が少ないと思っていたけれど、それは単に外出が少なく、洗濯し終わった物から着ていき洗濯に出しまたそれを着るから、クローゼットからシャツを引き出す動作が少なかっただけだった。
こんなにも夏服があったのか。そしてその事を去年の夏の私は気付いていただろうか。あと数ヶ月後の未来の私が気付けるように、そしてたくさんの服を着れるように前に出していく。

音楽を流した。

いつも暇な時はYouTubeの垂れ流しだが、私は面白いと思った動画は永遠に観ていても飽きないので、同じ動画を流してしまい何も吸収出来ない。今日の目的は衣替えだとしても、外に出ているのと同じくらい何かを得たいと思った。

恋愛ものを書く参考にしようと思って「ラブソング」と調べ、親切にプレイリストにしてくれたものを聴いていく。
衣替えに集中し過ぎて何も入ってこなかった。「2023年ヒットソング」に変えて垂れ流しにした。

特に何も思い付くことなく日は暮れて、夕食を平らげ運動し、浴室に向かった。


浴室には私が触れたいものが何も無い。目が悪いので勘でシャンプーを使っているし、水か石鹸の匂いしかしないし、体を洗うために使うタオルが少し硬いことしか感じられない。口は閉じているし。

だが浴室は、1番何かを思い付ける場所だ。

曇っている鏡の向こうに何かが見えたら、湯船に長いこと入れないからサウナは到底無理だ、今日の夕食は毎日食べても飽きないな、さっき見た動画面白かったな。もっとたくさん、たくさん出てくる出てくる。

私の考えは、何にも触れていない空間で作り出され、放たれる。何かに触れている時間も重要だが、何も吸収しない時間、ただアウトプットだけする時間も私にとっては重要だった。
どうしても浴室以外では何かしないととせかせかしてしまう。だがそれは仕方の無いことで、浴室という体を洗う以外何も出来ず、その上何も考えない状態で体を動かしているその環境が、私の想像力を掻き立ててくれているのだ。

私にはこれからも、無言の場所が必要だ。無言から、私の考えは生まれる。

1番厄介なのは、メモするものが近くになくて、考えていたことを全て忘れてしまうところだ。

この記事が参加している募集

スキしてみて

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?