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正解を探して【映画感想文:ちょっと思い出しただけ】

記憶って、自分が捨てたと思ってもどこかに残ってることがある。

引き出しの奥の方とか、衣替えで衣替えしなかった衣服の中とか、絶妙に手が届かないベッドと壁の隙間とか、中学校の卒業アルバムの隣とか。あれ、ここにあったんだと、ふいに思い出すことがある。

元々あったし使ってたし、なんなら愛着持って接してた物も、目の前から無くなったら私達は「捨てた」「忘れてた」と解釈する。  


でも物とは違って人は、対人になるとどこかそうではない所がある。なぜなら、対している相手のことも記憶に残っていて、相手の言葉とか行動、自分の感情じゃないものも頭の中に残ってしまうからだ。

僕がこの感情だった時、彼女は泣いていた。
私がこう言った時、彼は黙って下を向いていた。

相手の気持ちはその時に知るか喋るかでしか把握する事が出来ない。
でも過去は戻らないし、その時の感情を再現することは普通の人間であれば不可能だ。

だからこそ、あの時彼女はどう思っていたんだろう、彼は何を考えていたんだろうと、自分の中で正解を探そうとしてしまう。だから記憶に残るのではないだろうか。


この作品では、1つ思い出してしまえば全てのことが思い出されることを、自分の事のように観ることが出来た。

楽しかった思い出も、嬉しかったあの言葉も、苦しい胸の鼓動も、その時の私の全てだった人生だったと、振り返ることが出来た。

幸せって1人でも作れるし生み出せるし完結するけど、2人にしか出来ない、好きな人としか出来ない幸せがこの世にはたくさんある。誰がなんと言おうとその時だけは、好きな人と私が主人公で、映画の中でしがないミュージシャンの音楽と共に「好き」という記憶に浸ることが出来たのだ。

だがそれは所詮、過去に過ぎないことを誰もが知っている。大人になればなるほど、あの時楽しかったかもしれないな、で終わることを願っている。


過去を振り返る時間は、不必要なものではないと思う。反省したり後悔したりする時間は、前に進む時間に充てないとと言われるかもしれないが、その過去があったから今の自分がある。

あの時の正解はあっちだったかもしれない、と考える時間が1番人間らしいと感じる。あの時ああしていればと考えられる可愛い生物は人間だけだ。きっと。


だから。

どんなに「捨てた」「忘れていた」記憶があったとして、それが少し脳内を過ぎったとしても、それは未練があるとかじゃない、1人が寂しくて打ちひしがれてるとかじゃない。

ただ、ちょっと思い出しただけだ。

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