【書評】都市で暮らし、行き交う人びとに言葉遊びで想像を膨らませる|オ・ウン『僕には名前があった』|評・友田とん(代わりに読む人)
折り目正しく働く日々の通勤でふと「橋の上に上がろう」と「決心した人」、大勢が集められた講堂で自分は人なのだろうかと自問したり、罵り合いながらも、やはり人でありたいと願う人(「望ましい人」)、そうかと思えば、挫折を知らず「この世で最も背の高い家を建てよう」と決断した途端に、目の前を高い壁に阻まれる「凍りつく人」。オ・ウンの詩集『僕には名前があった』には、都市で暮らすいろいろな人が集まっていた。その日常の身近な言葉で綴られた詩はエッセイのようでもあり、また突如少ない字数で語られる人の一代記のようでもある。どの人にもどこか心当たりがあり、目を瞑って適当に本を開いて読めば、それは占いかおみくじのようでもある。ユーモアのある言葉の中でそれぞれの人はみな、存在の岐路に立っている。これだけの人、人、人。であれば、ひょっとして私自身もこの詩集の中にすでに書かれているのではないか。そんな冗談を思い浮かべながら読み進めていくと、一篇の詩「読む人」を発見し、「あった!」と声を出してしまった。
「読む人」では、人と話題が途切れると決まって「ところで趣味は何ですか?」と問われた人が悩んだ末に、読書を趣味にしようと思い立つ。熱心に本を読むうちに、世の常として文字なら何でも読むようになる。「牛乳パックの後ろに書かれた」成分表示まで読む活字中毒者になってしまったと語られる。だがまず詩人は(そして私も)この問われる時に決まって発せられる言葉「ところで」に引っ掛かる。実のところ、「ところで」のような言葉が、あるいはそこに引っ掛かることがこの詩集を読む鍵になっているのではないか。「ところで」は魔法の言葉で、行き詰まった時、自分でも理由もわからずに無関係な話題へと転じるための免罪符である。「ところが」ではこうはいかないだろう。ただ、本当に無関係なところに抜け出すことは思いのほか難しい。一見わかりにくいだけで、時間が経ち振り返ってみれば、「ところで」の前と後で結局同じ辺りをうろついていたと気づくことがある。話題を転換してはいても同じことをただ別様に語っていたのだと悟るのだ。「ところで」の代わりに「そして、そして」と継いで行ったのでは、こうした納得感は得られなかっただろう。一度は離脱を試み、別様に語ってみることが必要だったのだ。
それは散歩にも言える。「歩いていった 知らない道だった」。昨日はあっちへ、今日はこっちへ。「何もわからないから歩いていった」。知らないところを歩いているつもりが、「歩いていった 道があった 歩いていった 知っている道だった」。別の道を一度は歩いていったからこそ、知った道を「最後まで言えなかった言葉のように歩いてい」くことができるようになる。(「散歩する人」)
「落ちた人」は満たされない心を満たそうと学校をサボり図書館へ行く。図書の分類コードの順に並ぶ本棚を歩いていく。テキストも図書分類も直線的な順序を強いるが、読む人はそこから妄想したり、脱線したりすることで抜け出すことが可能になる。本書で繰り返される言葉遊びや勘違いもそうだ。
見る/用を足す
手を挙げた/花を持った
人類/一流
ボールを蹴る/空を打つ
言葉遊びは辞書の中で、隣合っている本来関係のないもの同士を結びつけることで別なイメージを立ち上げる。しかも、韓国語の辞書では、言葉と言葉の距離感が日本語話者の私とはまったく異なっている。だから、そうした言葉遊びを読めば、これまでに一度も思い描いたことのない不思議な風景が現れる。それほど強い力を持ちながら、言葉遊びは人に何も強いることがない。遊んでも遊ばなくても構わない。そういう自由がある。オ・ウンはあえて言葉に敏感に反応して遊んでみる。言葉と言葉をほどいて、編み直す。むしろ、新たな言葉同士の絡まりを作り出してすらいるのかもしれない。そうすることで、直線的な文脈にいては叶わない感情を作り出した空間に解き放とうと試みる。その言葉遊びは、韓国語で繰り広げられるあやとりのようである。読者にもその自由が委ねられている。今度は日本語話者の私が読み、そしてあやとりして返す番なのかもしれない。
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友田とん(ともだ・とん)
作家・編集者。ひとり出版社・代わりに読む人代表。著書に『ナンセンスな問い』、『パリのガイドブックで東京の町を闊歩する』、『『百年の孤独』を代わりに読む』などがある。『地下鉄にも雨は降る』(WEBマガジン・かしわもち)を連載中。
『僕には名前があった』著者 オ・ウン
1982年韓国全羅北道生まれ。ソウル在住。
ソウル大学社会学科を卒業し、KAIST(韓国科学技術院)文化技術大学院で修士号取得。
2002年『現代詩』にて詩人としてデビュー。
朴寅煥文学賞、具常詩文学賞、現代詩作品賞、大山文学賞などを受賞。
2021年から2023年にかけて一連の「日韓若手文化人対話」イベントで、三角みづ紀と対談・連詩を行う。
2022年には第一回京畿ポエトリーフェスティバルで芸術監督を務める。
詩作のほか、TV・ラジオ出演、ポッドキャストなど、詩にまつわる活動を精力的に行っている。
Book Information
『僕には名前があった』
著者:オ・ウン 訳者:吉川凪
2023年5月31日刊行 価格 1,800円+税
152ページ 並製
ISBN978-4-910214-45-0
*ためしよみはこちらから
【目次】
人/よく考える人/望ましい人/凍りつく人/待つ人/持つ人/落ちた人/読む人/いい人/昔の人/都会人/手を離す/決心した人/散歩する人/よろける人/一流学/偉い人/恋人/凝視する人/行ってきた人/線を引く人/オレンジ色の少年/猶予する人/一九五八年戌年生まれ/計算する人/無人工場/三十歳/うるさい顔/糸車は元来、文来/三回言う人/あと一歩/人
付録
しない/水滴効果
解説 言葉遊びで描く喜びと悲しみ
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