【対談】四元康祐×オ・ウン :空っぽの存在として、今ここの現場を見つめる(後篇)
今ここ、現在の詩人として
四元 話題を変えましょう。僕は韓国の詩の歴史に興味があるんだけれども、ウンさんは詩を書くなかで詩の歴史を意識することはありますか。
オ・ウン 実は詩人になろうと思って詩壇にデビューしたわけではないんです。浪人時代にノートの隅に書き付けたものを兄が見つけて、これは散文詩みたいだからと、私に内緒で新人賞に送ったんです。そうしたら当選してしまいました。
だから、詩の勉強をしないまま詩人になってしまったんです。デビューした後に、詩を読んで勉強しました。もともと勉強は好きで、ロックを聞くのが趣味ですが、ロックもプレスリーから始まってビートルズまで体系的にレコードを聞きました。詩も同じです。20世紀の初めから後半までの詩を読んで、詩というのは少なく語ることで、むしろ、たくさん語るジャンルなんだと気付きました。それで、21世紀の一人前の詩人として、私はどんな方法でどのような語りをすればいいかなと考えました。
四元 10世紀や15世紀の詩については?
オ・ウン 例えば、朝鮮時代の詩というとおおむね両班(貴族階級)が書き手で、風流さや王への忠誠を詠ったものが多い。そこから影響を受けたことはありません。その時代に書かれたものは時調という定型詩です。規則のある定型詩なので勉強しないと書けないような難しい詩なんです。私の言葉遊びもある種の規則を発見しないといけないので、そういうところでは見習う点もあります。
さらに付け加えると、私にとって詩を書くことは、規則を作ってそれを壊すこと。これができるといい詩ができたなと思います。自分で規則をつくり、その規則を裏切るような詩を目指しています。
四元 ということは、ウンさんは、韓国の詩における長い歴史の最先端で書いているという意識はなくて、どちらかというと、歴史から断絶された20世紀の、あるいは20世紀から始まる近現代詩史の流れの中で書いてるという、そんな感覚なんでしょうか。
オ・ウン 近代詩史と繋がっているという意識もありません。いま、この時代の現場をどのように捉えて、どのように詩に込めるかが最も重要だと思います。四元さんもそうだと思いますが、私たちは2023年の詩人であって、21世紀の詩人でも、20世紀の詩人でもありません。今ここで起きていることを観察して、これを自分なりにどう表現するかが、私がやらなければならないことだと思います。系譜につながる詩人ではなく、今ここ、現在の詩人でありたいです。
四元 それは、ウンさんたちの世代では一般的なことなんでしょうか。それとも、ウンさんならではの考えなんでしょうか。
オ・ウン 人によりますが、朝鮮時代まで遡って詩人としての系譜を考える人はいません。大体80年代や90年代、あるいは50年代、60年代の詩人から影響を受けている人もいるでしょう。しかし、私は学校で文学を専攻したわけではなく、自ら本を読んで吸収してきた人間です。どちらかというと、自分なりのやり方で物事を受けいれ、表現しようとするタイプに属していると思います。
四元 うん、僕もね、文学や詩を勉強したことは全くないんです。とにかく詩を書いて、書いていくなかで手当たり次第に詩を読んできたのだけれども、日本の詩人は、僕も含めて、歴史を意識していると思います。例えば、明治維新以降の近代詩について、かなりの詩人が自分に地続きの、今のものとして意識しているだろうと思うし、僕よりちょっと若い世代でも、万葉集あるいは古今和歌集など古代から中世の詩歌と現代詩を関係付ける視点を持っているような気がします。こういうところが、韓国と日本の違いなのかもしれないですね。
オ・ウン 系譜よりも次のようなことに関心があります。韓国の80年代の詩を例に挙げると、民主化運動の時代だったのですが、一方では、大衆的な文化が盛んになって、映画がたくさん作られたり、ハリウッド映画が上映され始めたりした時代でもありました。その頃は、民主化運動を記録した詩や、大衆的な文化を扱った詩などが書かれました。私は、なぜこの2つを分けなければならないのかと疑問に思いました。
系譜というと、自分が何かに影響されて選び、それを受け継いでいくものだという気がします。そのようにするべきでしょうか? 民主化運動を記録した社会参与詩と大衆文化を記録した詩、これを一緒に書いてもいいのではないかというのが、私の立場です。
「現場」を詩にする
四元 歴史的な影響ではなく、「今ここの現場」という言葉がウンさんの口から出て、とても興味をもったのですが、ウンさんにとっての現場はどんなところで、どんなものですか? なぜこの質問をするかというと、僕だけではなく、日本の詩人の今の問題は、現場というものが見当たらないところにあると思うんです。現実というものからリアリティーがなくなっていて、消費社会の記号みたいなところで暮らしている。生きているリアリティーがないところで詩を書くのはつらい。
オ・ウン 現場は、どこでも現場になります。労働者のデモや集会などを現場ということもできますが、私が考えている現場はもう少し広い概念なんです。人間がいるところ、事物があるところ、事件があるところ。何かの痕跡があるところは、全て現場です。
例えば、荒れ地があるとしましょう。ある人は荒れ果てた土地を開墾して、畑を作ろうと思うかもしれませんが、私はそのままでいいんです。何がこの場所を荒れ果てさせたのかという好奇心が生まれます。好奇心が文学を動かす最大の力ですよね。なぜ、この人はこうなったのか。なぜ、そのように見えるのか。こういう疑問が生まれる空間が、まさに現場なんです。そして、詩人というのは問いかけが上手な人ではないかと思います。
四元 今の「荒れ地」というのは、ただの例としてぱっと出てきたと思うんだけれども、先ほどの「現場」と同じで、荒れ地という言葉にも心が響きましたね。というのは、今の日本の社会も荒れ果てた地に見えてしまうんですよね。ウンさんにとって、韓国で生きている今の日常や現実は荒れ地でしょうか。
オ・ウン 私は1982年生まれなのですが、自分の同世代のことはよくわからないです。灯台もと暗しといいますか。でも、自分より若い世代、1990年代とか2000年代生まれの人を見ていると、夢や希望がないような感じがします。私の子供の頃には、夢は大きいほどいいと言われましたが、今の若い人たちは、食べていくことしか考えられず、何か意気消沈しているような、だんだん水気がなくなっていて、荒れ地とまではいかないけれど、そのような感じがします。
会社に勤めていた2016年に『有から有』という詩集を出しました。四元さんの『笑うバグ』と似たような感じです。この詩集の半分ぐらいは会社勤めの自分のことですが、もう半分は次の世代、もっと若い人たちに目を向けたものです。というのも、当時、若い人たちの失業問題が社会で取り沙汰されていたんです。
私は、会社が大変で辞めたいなと思っていたのですが、すぐ横を見ると、就職できなくて苦しんでいる人たちがいる。そういうアンビバレントな気持ちがありました。
四元 僕も、数年前に日本に帰ってきて大学で教え始めたので、1990年生まれ以降の若い世代が夢や希望をなくしていることをとてもリアルに感じています。
それが、詩を書いたり読んだりするということを難しくしている。夢も希望もなく、生活に追われている状況で詩を読むということは、ナンセンスとしか思えないのでしょう。でも一方では、それ故に、若い人たちの中で詩を求める気持ちが、僕らが若い時以上に強くなっている。僕らが若い頃に詩を読みたいと思ったのは、芸術に対する深い興味があったからですが、今の若い世代は、詩を芸術として、あるいは表現としてではなく、コミュニケーションツールや、自分が1人ではないことを確認するための、セラピー的なものとして詩に期待を寄せている。求められている詩のタイプも、僕らが若い頃とは変わってきているように思います。
オ・ウン 最近は、優しい言葉で慰めてくれるような詩を読みたがる傾向にあるようです。
四元 日本も韓国もそれは同じだね。
オ・ウン こういう時代だからこそ、詩がさらに必要になるのでしょう。全てを手にして豊かであれば、本を読んだり、音楽を聴いたり、芸術に何かを求める必要はないと思います。足りないからこそ何か芸術を求めるのであって、その中でも詩を求める理由は、詩の余白で自分の物語、自分の感情を語ることができるからではないでしょうか。
四元 なるほど。そのあたりは今の韓国と日本は似ているし、多分、韓国と日本だけではなく、アメリカやヨーロッパ、中国も同じ状況ではないかと思いますね。
オ・ウン 世界中で景気が良くありませんから。
四元 景気は昔から良くなかったよね。世界的に景気や経済が人々の生活の中心にのさばってきたから、それが問題になるのではないかと思うんです。
オ・ウン そうですね。余裕の問題じゃないかと思います。経済的な余裕ではなく、最も重要なのは心理的な余裕。
四元 心理的な余裕の問題は大きいよね。
オ・ウン 重要度で言えば、1番下が経済的余裕で、その次が時間的余裕、空間的余裕で、心理的な余裕が1番上です。今という時代は、心理的な余裕が最も不足している時代です。みんな上手いことやっているのに、自分だけなんでこうなんだろうと思ったりする。周りを見渡しても希望を感じられないような、そういう時代ではないかと思います。
これから書いていきたい詩
四元 希望のない時代で、ウンさんはこれからどんな詩を書いていこうと思っていますか。
オ・ウン どういう詩を書くかは断言できないです。これまで21年間詩を書いてきて、6冊の詩集を出しています。3、4年に1冊出してきたことになりますが、今読み返すと、その時々に関心のあったことを無意識に書いています。なので、少なくとも、2023年、2024年の韓国、あるいは世界についての詩を書いていくと思います。今ここが最も大事だから。“Now”と“Here”を合わせると“Nowhere”ですよね。いかなるところも見つめていこうと思います。
四元 やっぱり、今ここが大切なんだね。
オ・ウン そうですね。今ここを凝視する詩を書いていくつもりです。
四元 素晴らしいね。それはすごく励まされる言葉です。
オ・ウン こちらこそ、ありがとうございます。
素晴らしい対談をありがとうございました。
プロフィール
四元康祐 (ヨツモト ヤスヒロ)
1959 年、大阪生まれ。86 年アメリカ移住。94 年ドイツ移住。2020年3月、34年ぶりに生活の拠点を日本に戻す。
91年第1 詩集『笑うバグ』を刊行。『世界中年会議』で第3回山本健吉賞・第5回駿河梅花文学賞、『噤みの午後』で第11 回萩原朔太郎賞、『日本語の虜囚』で第4回鮎川信夫賞を受賞。そのほかの著作に、詩集『単調にぼたぼたと、がさつで粗暴に』『小説』、小説『偽詩人の世にも奇妙な栄光』『前立腺歌日記』、批評『詩人たちよ!』『谷川俊太郎学』、翻訳『サイモン・アーミテージ詩集 キッド』(栩木伸明と共著)『ホモサピエンス詩集 四元康祐翻訳集現代詩篇』『ダンテ、李白に会う 四元康祐翻訳集古典詩篇』、編著『地球にステイ! 多国籍アンソロジー詩集』『月の光がクジラの背中を洗うとき』など。現在、日本経済新聞に「詩探しの旅」を連載中。
オ・ウン
1982年、韓国全羅北道井邑生まれ。
2002年『現代詩』にて詩人としてデビュー。
詩集に『ホテルタッセルの豚たち』、『私たちは雰囲気を愛してる』、『有から有』、『左手は心が痛い』、青少年詩集『心の仕事』、散文集に『君と僕と黄色』、『なぐさめ』など。
朴寅煥文学賞、具常詩文学賞、現代詩作品賞、大山文学賞などを受賞。邦訳作品に『僕には名前があった』(吉川凪訳、クオン)がある。
関連記事
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?