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韓国文学の読書トーク#09『耳を葬る』

「新しい韓国の文学」シリーズをテーマ本にした、読書会形式の連載です。語ってくれるのは「100年残る本と本屋」を目指す双子のライオン堂の店主・竹田信弥さんと読書会仲間の田中佳祐さん。
お二人と一緒に、韓国文学を気軽に楽しんでみませんか?

竹田:みなさんこんにちは。今月も本屋さんの片隅から、僕たち二人の読書会の様子をお届けしたいと思います。
田中:今年1回目の連載ですね。今年は寅年ですが、来年はウサギ年ですね。
竹田:無理やり「耳」の話につなげようとしてません?
田中:というわけで、今回紹介するのは「新しい韓国文学」シリーズの9冊目『耳を葬る』(ホ・ヒョンマン著、吉川凪訳)です。

『耳を葬る』はどんな詩集?

竹田:今回紹介するのは、詩集です。
田中:まずは、どんな作品なのか紹介してみようと思います。本の作者紹介で、ホ・ヒョンマンは「叙情の嫡子」と表現されています。本書では、彼のいくつかの詩集から選定された作品が掲載されていますが、いずれも詩人として生きた人生を素直に感じさせる言葉が並んでいます。
テーマは高齢な母や家族への愛情、草木虫鳥のような私たちの隣人としての自然への親しみ、食べることや聞くことなどの身体感覚、日常の中にある宗教的な安楽など。もちろん韓国を舞台にしているので、地名や料理、お葬式など私たちの知らない文化が出てくるのですが、それなのにあそこにいるかのように風景が心に浮かんできます。心の郷土というか、国や生まれに関係のない共通の故郷のようなものを描いているからなのかもしれません。

竹田:補足ではないですが、翻訳の中に、韓国語の音が残っているところがあってよかったですね。基本的には固有名詞だと思います。韓国語の響きが聞き心地がいいなって思うのと。一方で馴染みのない言葉として、読者が一回立ち止まるアクセントにもなっているような気がします。
田中:詩は小説に比べて短い言葉の連なりですから、響きというのは特に意識しますね。一音一音、気をつけながらゆっくり読んでいるような気がします。

気に入った作品

竹田:それでは、感想の時間ですかね!
田中:各々、気になった詩を紹介していきましょうか。独自の解釈を添えて。
竹田:添えてっていうと料理っぽいね。
田中:「爪」がよかったです。
竹田:ドアに指を挟んじゃう話。
田中:一言で紹介すると元も子もない!
竹田:すいません。それで、どこがよかったんですか。

江原道カンウォンド乾鳳寺コンボンサのトイレで厚いガラスのドアに指が挟まり
人差し指と中指の爪から赤い血が噴き出した
その瞬間 あっけにとられた
うずくような痛みはしばらく後のこと 気分は妙にさえざえと
冬天を飛ぶ一羽の鳥までひときわ輝いて見えた
詩を書く精神とは こういうものなのだろう
緊張と怖れ 痛みと涙を内に隠しておくことが
生きてゆくのに どれほどたいせつな徳であるのかを
血を吐いて一喝している爪
詩人の人生とは こういうものなのだろう

ホ・ヒョンマン「爪」(吉川凪訳)

田中:僕は自分自身を理解するシーンが好きで、この作品にはそれが込められているなあと思いました。もちろん、人間の限られた能力で人生を悟るなんてことは出来ないのかもしれないけど「もしかしたら。行きつくところまで思考できたのかもしれない」と錯覚することがたまにあります。
竹田:でも、行きついたと思ったら、まだ先に道がある。
田中:そう! そんな、行けども行けども生きることへの理解が終わらないことが描かれた作品が好きです。
この詩は、ドラマティックな出来事は書かれておらず、単なる日常の怪我から始まります。ありふれた出来事から自分の長い人生を一挙に振り返る瞬間が、エモくていいです。僕は、よく温泉に入っているときに、このエモ振り返り現象が発生します。
竹田:一番最初に、この詩を持ってきたのは、この詩集が行く道を示しているような気がしますね。選んだのが著者か編者か分からないけど。

田中:竹田さんが好きだった作品は?
竹田:「後ろ姿を求めて」「幸福」「草虫の声」が同率1位。
田中:ずるい!どれかひとつにしぼってください。
竹田:んー、迷いますね。「後ろ姿を求めて」かな。この詩はKTXという新幹線みたいな電車で、進行方向とは逆向きの席に座って、そのとき見える風景について語られています。日常生活の中で、いつもと違う視点を獲得しようとする精神が好きでした。

KTXに乗るたび
逆向きに座る
今日も六号車で逆向きの6D席に座り
前からは見えない山の裏側の
谷から湧き上がる霧を見る
霧に濡れて浮かび上がった山の色が
人里までついてきて
真っ白な雪として降り積もったのを見る
夢のような光景に涙がにじむ
誰が私の背後に
こんな涙の瞬間を見るだろう

ホ・ヒョンマン「後ろ姿を求めて」(吉川凪)

田中:竹田さんは、学生時代に通学路を毎回変えてたんでしたっけ?どこか似ていませんか?
竹田:そう、共感したんです! 飽きっぽいともいえますけど。
田中:高速鉄道って、僕にとっては日常にないものだから、どうしても乗っている人たちには特別な理由があるんじゃないかなと思ってしまうんですね。
竹田:新幹線とか、僕たちは旅行する時くらいしか使わないもんね。
田中:そうそう、KTXも韓国に旅行した時に乗ったよ。高速鉄道には、乗っている人々の人生の特別な瞬間が秘められているのかもしれないなとこの作品を読んでちょっと思いました。
竹田:もしかしたら、喜怒哀楽がすごく詰め込まれた乗り物なのかもしれないね。

翻訳の奥深さ

田中:この連載では、日本語に訳された韓国文学をテーマにしていますけど、翻訳って興味深い作業ですよね。特に詩においては、元々研ぎ澄まされた言葉が別の言語へ変換されている。なのに、作品の魅力がしっかり伝わってきて、言葉って不思議だなって思う。
竹田:詩の翻訳について考える時、多和田葉子「翻訳者の門」(『カタコトのうわごと』)というエッセイを思い出すんですよ。パウル・ツェランの詩の翻訳を読んだ時の気付きから始まって、ヴァルター・ベンヤミンの「翻訳者の使命」に触れつつ、詩や文学を翻訳するときに言葉には一体何が起こるのかを多和田流に解釈していく。

田中:ツェランの詩は、とても魅力的で社会的な切実さが伝わってきます。僕は日本語でしか読めませんが、作品に対して真剣に向き合うことができると思っています。
竹田:ツェランの詩集の日本語訳を読むと、「聞」や「閾」とかのモンガマエの漢字がたくさん出てくる。その漢字がツェランの詩集を理解するヒントになっていくんです。あたかもツェランが日本語の漢字を知って書いているのかとさえ感じます。

田中:そういう、作者と翻訳者の仕掛けというか、偶然になんだけど必然的に生まれたようにみえる一致を発見すると、文学好きとして熱くなりますね。今回の詩集で言うと張思翼チャンサイクで、不思議な体験をしました。
竹田:「パンソリ」という韓国の伝統芸能の演者をテーマにした詩ですね。「パンソリ」を調べてみたら、太鼓と一人の歌手だけで演奏する音楽のようです。

あの声が天地を轟かせる
あの声が雷鳴 あの声が山おろしの風
あの声が血を含んだ悲しみの塊
あの声がくねくねと千里を流れる深い川の水
ああ あの声が凌雲りょううん
あの声が雲を貫き あの声が肉身を脱ぎ捨てる

ホ・ヒョンマン「張思翼」(吉川凪)

田中:「パンソリ」を全く知らなかったんですが、詩を読んだときに音圧を感じるというか、空間に声があふれているイメージを思い浮かべました。「あの声」という同じ言葉が詩の中で繰り返されているからだと思います。「パンソリ」ってなんだろうと思って、ネットで動画を見たときに、詩で思い浮かんだイメージにピッタリだなと感じたんです。
竹田:翻訳された言葉の詩が、知らないはずの芸術文化とつながったんですね。
田中:原語である韓国語の詩を読めたとしたら、「パンソリ」の臨場感をしっかり感じられるんだろうけど、翻訳された言葉でもそれが伝わったのだと思います。ただの偶然かもしれないけどね。

アンソロジーを作る

竹田:訳者あとがきに書いてあったけど、この本に収録する詩を選んだのはクオンの代表のキムさんなんですね、選んだ理由も聞いてみたい。
田中:詩や小説を選び出して、また新しく一冊の本を作る作業は作品を別の文脈に置く活動だから、翻訳にも似ていますね。
竹田:同じ作品でも、どの文脈に置かれるかで読み味が変わったり、逆に普遍的な価値が見つかるところが面白い。
田中:二人で主催していた河出書房新社の日本文学全集を全部読む読書会で、作品が置かれる場所が変化することの楽しみを知ったような気がする。竹田:僕は宮沢賢治の回が印象に残ってますね。学生の頃から何度も読んだことがあったんですが、日本文学全集では中島敦と同じ巻に収録されていて、どうしても同時に二つの作者を比べるように読むことになるんですね。そうすると、また新しい読書体験になる。
田中:違う文脈に置いても変わらない価値が、また別の方法で読者に手渡されているのかもしれないですね。

竹田:いつか僕たちも選集を作って、提案してみたいです。
田中:ぼくは双子のライオン堂出版部から、詩集を出してみたいですよ。
竹田:いいですね。紹介したい詩人がたくさんいるから迷いますね。
田中:え?竹田さんの作品の話ですよ
竹田:え!?
田中:どうせ、中学生のときとか書いてたでしょ?
竹田:(ドキッ
(この後二人で、竹田家の押入れにある卒業文集を大捜索するのであった)


◆BOOK INFORMATION

『耳を葬る』 
*ためし読みはこちらから
著者 : ホ・ヒョンマン(許炯萬)
1945年、全羅南道順天市で生まれる。中央大学国文科卒業。
1973年『月刊文学』に「冥婚」を発表して創作活動を始め、第一詩集『清明』以来、韓国詩壇において「叙情の嫡子」と言われる重鎮である。
40年間の詩歴において、叙情の絶え間ない深化を通じた自己省察と生命思想、他者発見の詩学を見せ続けており、特に言語の触覚が鋭利だ。詩集『燃える氷』(2013)を始め、『陰という言葉』『始発電車』『魂の眼』など十四冊の詩集を刊行し、活版詩選集『陰』、評論集『詩と歴史認識』『永郎 金允植研究』ほか、多数の著書がある。
 韓国詩人協会賞、永郎詩文学賞、月刊文学東里賞、順天文学賞、光州芸術文化大賞、全羅南道文化賞(文学)、など多数受賞。

吉川凪(よしかわ なぎ)
仁荷大学に留学、博士課程修了。文学博士。
著書『朝鮮最初のモダニスト鄭芝溶』、『京城のダダ、東京のダダ』、訳書『申庚林詩選集 ラクダに乗って』、『都市は何によってできているのか』、『酔うために飲むのではないからマッコリはゆっくり味わう』、『アンダー、サンダー、テンダー』、『となりのヨンヒさん』、
『広場』など。
キム・ヨンハ『殺人者の記憶法』で第四回日本翻訳大賞受賞。


◆PROFILE
田中佳祐
『街灯りとしての本屋』執筆担当。東京生まれ。ライター。ボードゲームプロデューサー。たくさんの本を読むために2013年から書店等で読書会を企画。共著に『読書会の教室』(晶文社)、企画編集協力に文芸誌「しししし」(双子のライオン堂)。好きな作家は、ミゲル・デ・セルバンテス。

竹田信弥
東京赤坂の書店「双子のライオン堂」店主。東京生まれ。文芸誌「しししし」発行人兼編集長。「街灯りとしての本屋」構成担当。単著『めんどくさい本屋』(本の種出版)、共著『読書会の教室』(晶文社)、『これからの本屋』(書誌汽水域)、『まだまだ知らない 夢の本屋ガイド』(朝日出版社)など。FM渋谷のラジオ「渋谷で読書会」MC。好きな作家は、J・D・サリンジャー。
双子のライオン堂 公式サイト https://liondo.jp/

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