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そのリアクションは想像していなかった


「ということで、この不正問題を起こした会社は社長が責任を取って辞任しました。不正問題は会社を揺るがす事態に発展することがありますので、注意喚起させて頂きました」

むかし僕がドイツで働いていた時に、仕事の一つとしてコンプライアンス関連を担当した時期があった。

今回の記事は、ある不正問題を起こした日本の会社に関して、当時僕が働いていた会社の全社ミーティングでプレゼンした後の余波について。その時のヨーロッパの人たちのリアクションが、日本人の僕にとって全く想定していない方向だった、という思い出を書いてみる。

不正問題についてのプレゼン

その時のプレゼンは、オンラインで世界中の従業員へ向けて実施した。というのも、僕が働いていた会社はドイツが本社だけど、世界中のアチコチに従業員がいたから。

どんな不正だったか少し補足すると、日本のある製造業の会社が、定められた製品試験の手続きを正しく実施せず、試験を不正に“合格”させて出荷していた。一つの工場の中で発生した問題だったけれど、その不正問題が明るみになった結果として、会社のトップが責任を取って辞任することになった。

この手の不正は、今も日本の多くの会社で起こっている。つい先日も世界に名の知れた日本を代表する自動車メーカーが、同様の不正問題によってニュースを賑わせてた。

日本人の僕としては、そういった不正問題は許されない行為であり、その事案は「会社全体の風土の問題」と考えるべき、という受け止め方が“常識”だと理解していた。そのため「社長が責任を取って辞任する」という結果について、特に深く考えることもなく、そういうものだと漫然と思っていた。

だから僕の働いていた会社でも、この不正問題を他山の石とすべく全社ミーティングで紹介したのだった。日本のことをほとんど知らない人たちばかりだから、ちょっと丁寧に解説して。

プレゼンの余波

そのオンライン会議の中では、みんなから特にフィードバックはなかった。けれど、会議が終わった後でハンガリーの課長からメールが届いた。

ハンガリー人課長
「あのさ。いや、なんていうか・・、その会社って本当に社長が辞めちゃったの?その工場で従業員が実行した不正行為の責任を取って・・?」

なんだか奥歯にものが挟まったような不思議なメール。でも、背景に何があるのか読み切れなかったので、素直に返信した。


「そう、今回説明したことは事実としてそのまま起こったことだけど。何か気になっていることがあるの?」

僕の返信に対してハンガリー人同僚は、

「いや、ちょっと改めて確認したかっただけで。返事ありがとう。くわばらくわばら」

というような、これまたなんとも言えない返信が返ってきた。

繰り返しになるけれど、僕が日本で働いていた時にも、こういった不正事案に対しては、会社全体が社会的な制裁を受けるものだと言われていたし、マスコミもそのような報じ方だった。

特に、組織が仕事の中で起こした不正は風土に問題があって、そういう風土をつくり上げた、または放置したのは経営トップの責任。よって、責任をとって辞任してしかるべきである、と。僕は「そういうものだ」と信じ込んでいた。

謎が解けた

そのメールの後で、ドイツ本社事務所でコーヒーを淹れに廊下を歩いていると、同僚から呼び止められた。

ドイツ人同僚
「さっきのプレゼン、聞いたわよ!映画で見た日本の文化を、まさか現実の出来事として聞くことになるなんて!!」


「ふぇ???何のこと?」

ドイツ人同僚
「サムライの精神って、今も現実に生きているのね!」


「??全然、話がつながらないんだけど・・」

ドイツ人同僚
「おっと、ごめんごめん、興奮しちゃって。順を追って話すとね。ドイツ人が日本という国に対して一般的に持っているイメージがあるのよ。それは、日本のサムライっていうのは、自分の組織で恥が発生したら、メンツのために代表者が切腹して恥をそそぐ。そういう文化があるって」


「はぁ・・、言わんとしていることは理解できるよ。昔はそういう文化があったね」

ドイツ人同僚
「だからね。さっき説明してくれた会社の社長さんは、自分の組織で起こってしまった恥に対して、辞任というかたちで現代の切腹をして、組織の恥をすすいだってことなのよね!」


「いや、そんな発想では・・」

ドイツ人同僚
「言いたいことは分かる。いま、時は現代。そういう構図とは違う、って言いたいよね。でもね。ヨーロッパの人たちは、今回の説明をサムライ文化の文脈で聞いたはずよ」

僕は、彼女の説明を半ばポカンとしながら聞いていた。

さっきのハンガリーからの不思議なメールの背景は、そういうことだったのか。彼もそういうイメージで解釈したから、驚いてメールを書かずにいられなかった、ということだったようだ。

ドイツ人同僚
「だって、別に自分で罪を犯したわけでもないトップが、わざわざ進んで罪を背負って辞任する必要なんて、これっぽっちもないじゃない。不正を実行したのは、その従業員自身なんだから。なのに社長が辞任するなんて、やっぱりサムライスピリットって思っちゃう」

たしかにヨーロッパから日本を見たときには、現代もサムライ文化の延長にあると捉える傾向は感じる。

たとえばヨーロッパの人から言われたことがあるのが、日本では「武士に二言はない」「発言に全責任をもつ」「言葉に魂を込める」といったサムライ文化が現代にも脈々と息づいているからこそ、今でも日本人は言っていることを軽々に変えることは避ける。仕事でも日本人は発言には全責任を持つだろう、と。

話を戻すと、どうやらドイツでは、こういうケースでトップに責任があるとすることは、あまり一般的ではないようだ。


「えーっと、、、じゃあ教えてほしいんだけど。ドイツだったら、あの手の不祥事が発生したら何が起こるの?」

ドイツ人
「いい質問ね!もしドイツで同じことが起こったら、話は全然違ってくる。それは基本的に個人の問題とされる。だから会社で不正問題が起こったら、エライ立場のエグゼクティブが、諸悪の根源を指定するのよ」


「ショアクのコンゲン?」

ドイツ人同僚
「つまり、エグゼクティブが自分の部門の誰かを名指しして、こいつが全ての黒幕だ、っていうことにするの」

思わぬ話の展開に、驚きながら聞き入った。

ドイツ人同僚
「そして、エグゼクティブが厳かに宣言するのよ。『このたび、我々のチームの中で不幸にして悪が行使されてしまった。でもみんな、心配する必要はない。悪の存在は組織から切り離された。つまり、彼は解雇されたのだ。その結果、幸いにして僕たちは元のような身ぎれいなチームに戻った。さあ、みんな、何も心配することはない。仕事に戻ろう』って宣言が成されて、話は終わる」


「え!?そんなもんなの?」

ドイツ人同僚
「そういうものよ。だって、組織で偉い立場に就くってことは、つまりそういう悪を指定する権限も手にする、ってことでしょ。それが権力を手に入れる意義の一つよ」

当時で僕は既に長くドイツ文化の会社で働いていた。にもかかわらず、まだ自分の全く知らなかった世界観があるってことを改めて学んだ。

ちなみにこの話は、オランダの会社で働いていた人からも似たような傾向を聞いたことがある。ヨーロッパでは、ある程度共通的な傾向ではあるようだ。

で、今回調べてみると。たとえば大規模なスキャンダルとなったフォルクスワーゲンのディーゼル車不正問題では、たしかにCEOが影響の大きさに責任を取って辞任した。けれども辞任の際にはCEOが「わずか数人によるひどい過ち」によって実行された事件と位置づけて、やはり個人に原因があったと発言したようだ。

なお、このようにヨーロッパで「個人に原因と責任がある」と考える傾向は今も変わっていないはず。だけど一方で、近年では「エラいエグゼクティブが諸悪の根源を指定」する文化については、だいぶ変わってきているんじゃないかな。最近では外部の専門機関が調査したり、情報やデータを集めて第三者的に評価したり。なので、この風習は既に時代遅れになっている可能性もある。

ドイツ人幹部のリアクション

また、その後でドイツ人の幹部と話す機会があった。

ドイツ人幹部
「こないだプレゼンしてくれた不正問題なんだけどさ。そもそもなんであんなことが起こったのか、全く理解できないんだよ」


「いちおう、組織風土が問題だったってことになっているけど・・」

ドイツ人幹部
「いや、従業員が組織風土とやらで不正行為を行うわけないじゃん。だって、発見されたら自分の職業人生を確実に破壊するような不正行為だよ。転職する時にも、大変不利な状況に置かれるだろう。そのリスクに見合うだけの見返りがないのに、なんでそんな不正を実行するんだ?って話だよ。ありえないだろ」

何ごとにも合理的な彼らしい見方だった。

ドイツ人幹部
「で、いろいろ考えてみたんだけどさ。よほどおかしなボーナス制度が導入されたとしか考えられないんだ。たとえば、製品が不具合を抱えていようがなんだろうが、とにかく生産高を上げれば破格のボーナスが支給される、とか。だから不正だと理解しながら、金に目が眩んで不正を実行した。つまり会社側としては、誤ったインセンティブ制度を導入してしまったことが唯一の落ち度だった、ってことくらいしか考えられないんだ」

なるほど。日本人としては、空気を読むとか、組織ためにとか、赤信号みんなで渡れば怖くないとか、個人の正しさよりもそういった世間のアレコレを優先する行動を起こすのは理解できる。けれどドイツでは、そういった世間のアレコレは、不正の実行を妨げるほどの重要性は持たない、ということのようだ。

だからこのような不正行為をどう解釈するかというと、不正は悪の行為だと重々認識した上で、それを上回る個人の利益があるから実行した、と考える傾向があるようだ。こちらも、今さらながらのカルチャーショックだった。

ちなみに、なぜこのドイツ人幹部が気にしていたのか。それは、もし自分の組織で同じような不正行為が起こった場合には、アジアの文化では自分が責任あることになるのか!?ということを考えていたんじゃないかな。その会社はアジア各地に従業員を抱えていたから、もし自社で同様の事案が起こったらアジアの従業員からどう見られるが気になっていたはず。

まとめ

ということで、5,000字近くになった今回の記事。みなさんがどのように受け止めるのかが、正直想像つかない。

ただ、いずれにしてもこの記事では、どっちの文化がいいとか悪いとかを言いたいわけではない。それよりも、あらゆることに別の見方や考え方がある、ということを感じた経験だった。

自分としては「こういうもんだ」と信じ込んでいることがあっても、必ずしも世界中の人にとって同じであるとは限らない。

だから、ここで伝えたいことは。自分の常識で、あぁ世界の終わりだ、もう絶望だ、と思ってしまうような状況になって打ちのめされてたとしても、必ずしも世界中の全ての人たちの目から見てもそのとおり、ということではないのだろう。

世界の人々の価値観ってものは、自分が思っているよりもずっと幅が広い、ということが真実のようだ。

by 世界の人に聞いてみた

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