イタリア人とお盆
【イタリア人と2019年に語った話】
お盆にまつわる話を。少々スピリチュアルな内容だけど、ご容赦を。
以前書いたことのあるイタリア・シチリア島出身の友人は、とても信心深いカトリックのキリスト教徒。彼女は幸運と感じられる出来事があると、「この幸運が起こったのは、神の思し召しでは」とか「自分は神に導いてもらっている、守ってもらっている」と感じるらしい。
その彼女は、日本のアニメを通して日本について興味がある。それで以前、彼女から日本について書かれた本を貸してほしいと言われたので(*彼女も僕もドイツに住んでいます)、僕が持っていた英語で書かれた本を貸した。その本は、日本の文化・精神性・名所等についてざっくり紹介しているものだった。
後日、本を返却してくれた時のこと。彼女が、その本に書かれていた日本人の『お盆』の考え方にとても感銘を受けた、と言っていた。
その本の説明によると、お盆とは、
「8月中旬に、祖先の魂を現世にお迎えして、期間中はその魂にお祈りして、期間が終わるとまた霊の世界へお送りする行事。京都や奈良では、大きな送り火を焚いてお見送りする」
と書かれている。
イタリア人
「ご先祖様が一時的にでも帰ってくる、っていう考え方が心温まるわ。亡くなってそれでお別れ、というのじゃなくって」
僕
「日本の神道の考え方では、日本人が亡くなったら、その人の魂は死後の世界へ行き、ご先祖様として今の日本の土地や日本人を守っている、ってことだと思う。つまり死者と現世はつながりがあるから、亡くなる人は寂しく思う必要もないし、生きている人もご先祖様から守ってもらっている。生きている人は、そのことに感謝して謙虚に生きなければいけない、って考え方なんじゃないかな」
と説明したら、「わかるわかる。良い考え方だわー」 と感じ入っていた。
ドイツ人へのお悔やみの言葉は?
それで思い出したのが、ドイツ人の元同僚の女性が、2018年に旦那さんを病気で亡くした時の話。その同僚とは関係が深くて、お葬式にも招いてくれたので、その時に通り一遍ではない心からのお悔やみの言葉をかけたいと思った。
でもハタと悩んだのが、どんな言葉をかけるべきか。文化が違えば、生や死に対する考え方も違っておかしくない。日本人同士だと思いやりになる表現が、ドイツ人の場合は気に障る恐れも充分にある。
そこでお葬式に参列するにあたって、予め別の友人のドイツ人に相談してみた。
僕
「旦那さんを亡くした友人に『旦那さんは亡くなっても、空から見守ってくれている』とか言いたいところなんだけども、ドイツ人的には、そのイメージがおかしいとか、理解し難いとか思われないかしらん?」
そのドイツ人同僚は、少し考えてから答えてくれた。
ドイツ人
「そのイメージは理解しやすいと思うよ。キリスト教でも、人が亡くなったら天に召されて、それまで亡くなった人たちとともに、天国から現世を見守る、っていうイメージがあるから」
ということだった。これって宗教画でよく見る、亡くなった人々が天国からこの世の人たちを見守っている絵のことだと理解した。
つまり、死生観に対して、キリスト教の考えがベースにあるドイツ人も、神道や仏教がベースにある日本人も、お互いに理解可能な似たイメージを持っている様子。
たしかに、人を亡くすという出来事に対して、その不安や悲しみを和らげるのを手伝うのは宗教の重要な役割。だから、たとえ文化は違えども、似たような世界観になるのかも、と思った。
by 世界の人に聞いてみた
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