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思いがけずバングラデシュ人女性に共感した話

前回投稿したように、友人のバングラデシュ人女性と話をして、ラマダン期間中の断食を通じてイスラム教の考え方について教えてもらった。

彼女はいまドイツの理系大学院で勉強している学生(*僕もドイツに住んでいます)。おっさんの僕からすると、彼女は喋り方もまだ少しあどけなく、いくぶんキャピキャピした感じ(←死語?)も残っている。

さて、今回の投稿はその続き。そんな彼女とイスラム教について会話していた流れで、次に彼女の昔の話、つまりバングラデシュで学生だった頃の話になっていった。

イスラム教の考え方をどこで学んだのか


「イスラム教についてそれだけスラスラと説明してくれて、さすがに詳しいねー。どこでそういった考え方を学んだの?」

バングラデシュ人女性
「バングラデシュの学校では初等教育の中に『宗教』の勉強時間があってね、そこでイスラム教に詳しい先生が教えてくれるんだ。コーランを読む時間もあったから、自分はアラビア語を読むことができる。アラビア語って自分の母語であるベンガル語とは全然違っているからとっても難しくて、勉強はまるで罰ゲームみたいな気分だったよー」

ということで、学校でイスラム教にまつわることをきっちり勉強するらしい。それも単にコーランを読んだり、イスラム教の風習を理解するだけでなく、前回書いたように、その背後にある考え方も学べるみたい。

社会科の勉強

バングラデシュ女性
「でね、宗教とちょっと似たような科目として、社会科の時間もあった。学ぶ内容は「家族とは何か」「社会とは何か」「歴史」「地理」「政治」とか。その中では特に『家庭とは何か』とか『社会とは何か』の勉強が良かったなー。授業では『哲学家の思想を通じて学ぶ』という方法だった。正直、授業を受けていた当時は、聞いてて『はぁ?』って思っていたんだ。でもね、大人になってから振り返って思い出すと、とっても大切なことを学んだって思うようになった。当時の授業の内容を一言にまとめるなら、まあ要は『家族と社会は、人にとってとても大事だ』ってことだったと解釈している」


「日本ではそれらについて、学校の授業ではあまり学ばない気がするなぁ」

という話の流れから、彼女自身が目指す人間像についての話題に。

自分はどんな人間になりたいか?


「そうやってイスラム教や社会科を勉強して、じゃあ『自分はこういう人間になりたい』とか考えていることはあるの?」

バングラデシュ人女性
「そうねえ、私が嫌いなことはね、自分の視点からだけで相手を見て、それで相手は間違っているとか決めつけたり、自分こそが正しい!と信じたり。でもそうじゃなくって、自分は『あらゆる視点から物事をみられて、理解できるような人』になりたいんだ」

元々の会話はイスラム教とか僕にとっては遠いことを聞いているつもりだったのに、思いがけず自分も普段から考えている内容に近づいていった

バングラデシュ人女性
「私はね、一人で世界を変えることはできない。世界の全てを一気に変えられるような魔法は使えない。けど、まずは自分がそういった広い視野を持った人間になりたい。そしてそんな自分を他人が見て、おおこれは勉強になるぞ、って思って自分を変えてくれるきっかけになったら嬉しいよね、やっぱり。自分もそうやって人から学んで、自分を変えてきたから」


「ドイツに住んでヨーロッパの人たちと一緒に生活すると、彼らって僕たちアジア人と全然違う考え方しているところがあるから、視野が広がるって思えることがいっぱいあるよね」

バングラデシュ人女性
「そう、そうなんだ。アジアってさ、なんとなく考え方が似ていて、それなりに分かるじゃん。ある程度文化的に発展している国、例えばインド・中国・韓国・日本とかって、肌感覚で理解できる部分がある。中東も。でも、ヨーロッパって、根本的な部分が違うんだよね。ギリシャやローマ帝国からの流れで成り立っている文化だから。だからヨーロッパ人の考え方を理解したいんだ」


「僕もおんなじように考えて、ヨーロッパで働きたいと思うようになって、そして実際にこうやって働けるようになった」

目指す人間像は


「で、そんな感じで自分が目指している人間像について、何か一言で表すことができる?僕のキーワードは『ユニバーサルな人間』って言葉がいちばん近いと思っているんだけど」

バングラデシュ人女性
私のキーワードは『人として良い人(Good Human)』ってことかな。親からもずっと、Good Humanになれるようになりなさい、って言われてきた。Good Humanとはなんぞやっていうと、相手を尊重すること(respect)と、寛容になること(tolerant)だと思う。それができることが人にとって大事。そのためには、まず他人のことをよく理解できる人間にならないと。表面的に見えている人の言葉や行動の裏には、必ずそれを裏打ちする価値観や文化や考え方があるそれを理解したいんだ」

彼女が力説していることは、まさに自分もそう思っていたから、とても共感した。

バングラデシュ人女性
「私はね、ドイツに来る前にバングラデシュで少し仕事をしたことがあって、ヨーロッパの人たちと電話やメールでやり取りしていた。それを通じてある程度は表面的に見えてくるものはあったよ。でもさ、その程度のやり取りだと、それ以上のことは分からない。実際に彼ら/彼女らがいる場所で一緒に生活してみて、はじめてベースに隠れているものが見えてくる。だから私はドイツに移り住んで生活することにした。実際に生活してみて、とても有益な経験だと思っているんだ。これからも、こうやって学んでいきたいのよ」

バングラデシュ人に共感

彼女の言っていたことは、僕がnoteの一番最初の記事に書いたこと、けっこう共通点があった。

しかも彼女は、僕よりもずっと利他的に考えていて、そして「こうありたい自分の姿」まで昇華させた上で、その考えを理路整然と見事に言語化できていた。たぶん、イスラム教の思想に裏打ちされたものもあるんだと思う。彼女からいい勉強させてもらいました。

ということで、人種も年齢も性別も宗教もなーんにも共通項のない、バングラデシュ人の20才台の女性と、日本人の40才台のおっさん(僕)。この二人が、何やらどこか似たような考えを持っていた結果、母国から遠く離れたここドイツの同じ場所で同じ時間にこうやって共感しながら話をしているという、偶然のような必然のような不思議なご縁のお話でした。

普段は彼女と自分に共通点があるなんて思ってもみなかったけど、こうやって彼女が普段何を考えて、何を大事にしながら生活しているのか突っ込んで話をしてみると、こんなに共感を感じられるところが発見できるもんやね。

これだから、世界のいろんな人と話してみるのは、楽しくてやめられない。

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by 世界の人に聞いてみた

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