ライト兄弟の失敗
「鳥のように自由に空を飛びたい!」
この夢がかなうまで、人類は何十万年という月日を必要としました。
そして、1903年12月17日、アメリカ・ノースカロライナ州キティホーク…。
兄ウィルバー・ライト、弟オーヴィル・ライトの「ライト兄弟」が作り上げた世界初の飛行機、ライトフライヤー号は、この日、最初の飛行で12秒、その後4回の飛行を行い、最長で59秒の飛行に成功。
どれも1分に満たない飛行でした。
それでも、これが、人類が自由に空を飛べるつばさを手に入れた始まりでした。
そんな、歴史的な初飛行から9年後、兄ウィルバーはなくなり、残されたオーヴィルも、すっかり年を取りました。
そして、思います。
「あ〜あ、まちがっちゃったなあ」
ライト兄弟は、自分たちの飛行機の技術に「特許」を取っていました。
特許とは、簡単に言うと、「他人にまねさせない権利」のこと。
これにより、ライト兄弟の技術は、かれらにお金をはらわない限り、勝手に使えないものになりました。
しかし、飛行機は人類にとって夢の乗り物。
より速く、より遠くまで飛べるものを作ろうと、多くの人が熱心に研究していました。
当然、ライト兄弟の技術を参考に作られた飛行機も、次々とあらわれます。
すると、ライト兄弟はすかさず「おれたちの特許に似ている」と文句をつけたのです。
もちろん相手も「いや、自分たちで考えたものだ」と言い返す。
こうして、どちらが行っていることが正しいのかを判断するための裁判が始まります。
ライト兄弟は、このような裁判に時間を取られるようになり、飛行機を改良する時間を持てなくなってしまいます。
その間も、他のライバルたちによって飛行機の技術はどんどん上がっていき、ライト兄弟の技術は、どんどん時代遅れになっていきました。
飛行機の大会に出ても、彼らの飛行機は良い成績を残せなくなり、そんな中、兄ウイルヴァーがわずか45才で亡くなってしまいます。
その3年後には、弟オーヴィルも飛行機作りをやめ、ライト兄弟は飛行機の世界から完全に姿を消してしまいました。
ライト兄弟の本当の失敗は、「成功をうまく使えなかった失敗」です。
ライト兄弟は、初飛行を成功させるまで何年もの間、苦労に苦労を重ねました。
ふたりの会話は飛行機のことばかり。
かれらはまさに人生をかけて、飛行機を完成させたのです。
だから、似たような飛行機を見て、許せない気持ちになるのもしかたありません。
でも、ひとつの成功にいつまでもこだわっていると、実は損をすることが多いのです。
成功とは、「守るもの」ではなく、次の成功のために「使うもの」。
たとえば、一生懸命、走り方を学び、たくさん練習して、大会で1位になったとします。
この後、「すげーだろう」と言うだけの人と、自分が速くなった方法をみんなに教える人。
どちらがより大きな成功をつかめると思いますか。
答えは、もちろん「みんなに教える人」。
明太子を作った川原俊夫(ふくや創業者)は
自身の店の拡大などに無頓着で、明太子の商標登録も製法特許も取らず、
同業者に広くレシピを公開した。
この私利私欲を排した行動により、色んな店の切磋琢磨があり
明太子は福岡の名物に君臨し日本人のごはんのおともになった。
(川原俊夫さんは戦後の博多の町を元気づけたい開発の動機だったそうだ)
目先の損得でない大きな徳の力
自分だけで利益を独占しようとしたり、囲いこもうとするビジネスは、最初はよくても後でだいたい失敗する。
自分が知った情報でも、もったいぶって出さない人も同じだ。
世の中に出ている情報は多かれ少なかれ、時間の差こそあれ必ず広まっていく。
つまり、もったいぶっている人や、ケチくさい人は、好かれないということだ。
人間関係においても、わずかなお金を惜しんだために、信頼関係を失った例は多い。
ライト兄弟の例でもわかるが、自分のノウハウを守るがあまり、
人を成功させないという負のパワーは自分も傷つける。
むしろ、共に伸びていく、助け合うという、仲間にしていく戦略の方がうまく行く。
競争相手を敵とするのではなく、味方に引き入れ、共に伸びていく。
人の生き方で大事なことは、敵をつくらず、味方の数を増やしていくこと。
そうすれば、土に植えた種がやがて芽を出し、花をさかせ、
たくさんの実を付けるように、成功も大きくなって、
みんなの元へ帰っていく
私は、自分から発する思いはどんなものか
そっと胸に手をあててみた
『失敗図鑑』大野正人著 文響社より
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