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はじめに言葉ありき


自分の口から出てくる言葉は、
「言えば言うだけもう一度それを言いたくなるような現象が降ってくる」というのが、宇宙の法則です。

聖書の中のヨハネ伝の「はじめに言葉ありき。言葉は神とともにあり。言葉は神なりき」という一節は、
実は人類創世期の描写ではなく、普遍的な宇宙方程式であるらしいのです。


「うれしい、楽しい、幸せ、愛してる、大好き、ありがとう、ついてる」というような喜びの言葉を言っていると、
またその言葉を言いたくなるような現象が自分の身をとり囲む、
そして、その数が多ければ多いほど本人が考えつかないくらいの喜びの出来事が起こり始める。

そうなると人生が楽しくてしょうがないですよ、ということです。

逆に、「世の中はそんなに甘くない」と言っていると、
いつまでも「甘くない」状況に囲まれているということです。 


そういう単純な方程式を言っているわけで、
「肯定的な言葉をいつも言えるような心の美しい人にならなければいけない」という話ではありません。

このことは以前、本で書いていますが、本を読んだ方から次のような質問をされました。

「念ずれば思いはかなう、ということを自己啓発セミナーで聞きました。それと同じですね?」 

全然違います。


私の話は根性型自己啓発セミナーの教えとは180度違うのです。 

その方は、「ナンバーワンになりたい、と言っていればナンバーワンになれるという ことですね?」とおっしゃいました。

そうではありません。

「ナンバーワンになりたい」と言っていると、来年もまた「ナンバーワンになりたい」と言っている状況が続く。

すなわち永久にナンバーワンにならない、ということです。

言葉が現象化するとはそういうことです。


「〜になりたい」と言い続けて幸せになった人はいません。

私が把握した宇宙法則には、自己啓発セミナーで教えているような、「思い続ければ夢はかなう」というものはないようです。


「ありがとう」を年間1万回言ったとしたら、また「ありがとう」と言いたくなるような現象が1万個降ってきます。

「ありがとう」の内容はわからないけれど、ただ「ありがとう」と言いたくなるような現象が用意されるのです。

「〜になりたい」「〜が欲しい」と叫んでいる人は、自分の欲望のとおりになってほしいという思いがあります。


それでは宇宙方程式は使いこなせない。

顕在能力15%にとどまっている間は、この「打ち出の小槌」は振れないのです。

「打ち出の小槌」は実は自らの言葉だった。

「言葉は神なりき」。


言葉はオールマイティーの力を持ってい るということです。

実践してみればわかることですが、考えてもわかりません。

やってみた人だけに、とんでもなく楽しい人生が始まるのです。


「幸も不幸も存在しない。そう思う心があるだけ」

たとえば、困難なことに出会ったとしても、そのことがあったからこそ、今の自分があると感謝できる人がいる。

反対に、自分はまったくついてない、最悪だと愚痴や文句ばかりを言う人もいる。


事実はひとつだが、そのとらえ方によって、生き方や考え方は正反対になる。

毎日のように、まわりを非難し、文句を言うなら、文句を言いたくなるような現象が繰り返しやってくる。

そして、文句や愚痴を言い、傷口をなめ合うような仲間がまわりに引き寄せられ、失意のうちに人生を閉じることになる。


「ありがたい」と毎日のように言っていれば、感謝をしたくなるような状況が毎日やってくる。

「ついている」と毎日のように言っていれば、ついてる状態がずっと続く。

「楽しい」と毎日のように言っていれば、楽しいと言いたくなるようなシーンが毎日のようにあらわれる。

そして、まわりを気遣う愛情のこもった言葉「愛語」を毎日のように言う人は、「愛語」に囲まれる。


それは、「ありがたいこと」や「ついてること」、「楽しいこと」を見つけるのがどんどん上手になる、ということでもある。

それは「感謝上手」になるということであり、「おかげさま」とまわりの人に感謝できる人。

つまり、本当の意味での謙虚な人。


現在の環境や境遇に感謝をせず文句ばかりを言っている人が、何かを願ったとしてもそれが成就するはずはない。

自分が神様だとしたら、片方で文句を言っているのに、
片方では都合よく自分の願いを叶えて欲しい、
と言っている人を好きになるはずがないからだ。

好かれる人は、ただただ、「おかげさま」と感謝する人。


口から出てくる言葉は、「言えば言うだけもう一度それを言いたくなるような現象が降ってくる」。

宇宙の法則です❣️


小林正観
『小林正観さんの「生きづらい」が「楽しい」に変わる言葉』主婦の友社 より

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