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1983年8月 主役交代の夏

第65回夏の甲子園、「1983年4月5日」で取り上げた池田高校、大会前の評価では、夏の二連覇、夏春夏三期連続優勝も曇りなしかと思われた。

幕を開けてみると、初戦は大差での勝利だったが、納得いかない内容。3回戦の広島商戦では、水野投手が頭にデッドボールを受けたり、夏の暑さにも苦しんだ。しかしながら、準々決勝中京戦では、野中投手との投げ合いを制し快勝、順当にベスト4進出。

準決勝第一試合、相手は下馬評の決して高くないPL学園。水野は試合前、完封を狙っていたらしい。
しかし、ここで、主役が交代するのだ。背番号11、PLの一年生投手、桑田真澄だ。まずはバッティングで魅せた。2回裏、絶対エースの水野からレフトスタンド中段へホームラン、投げては強気の内角攻めと大きなカーブを武器に、やまびこ打線を5安打に抑えて完封。
対する水野は、デッドボールの後遺症もあったのか、球が走らず、被本塁打3、7失点と普段とは程遠い内容だった。

PL学園 桑田真澄投手

準決勝のもう一試合、目標であった池田が負けているのを、移動のバスの中で聞きながら球場入りした横浜商(Y校)は、動揺もあったであろうが、久留米商を12-2と大差で下して決勝進出を果たした。

翌日、8月21日日曜日、PL学園対横浜商の決勝戦。Y校はわが県の代表なので力が入った。しかし、この試合も春の準優勝校Y校有利という前評判を覆し、2回裏の先頭打者、もうひとりの一年生清原和博がライトラッキーゾーンへ先制の一発、甲子園初ホームラン。打倒池田で習得した三浦投手のフォークが落ちなかったとはいえ、合わせただけで、ライトラッキーゾーンへ叩き込む力を見せた。

横浜商 三浦将明投手(左)とPL学園 清原和博内野手(右)

もうひとりの主役、桑田もコントロールの良さと投球術のセンスを見せ、6回1/3を無失点で、先輩のエース藤本へ引き継いだ。
7回、8回と1点ずつ加点したPLは、3-0、完封リレーで二度目の全国制覇を果たした。
「1983年4月5日」で書いた、“あのコンビ”は、甲子園五期連続出場で、数々の記録と記憶に残ることになるのは言うまでもない。
春から『打倒池田』を掲げてきた、わが県代表のY校が、池田と試合ができなかったのと、決勝でやぶれたのは、残念だったが、KKコンビを語るうえでとても大きな試合を見られたのは、貴重な事だったなと、夏になると今でも思う。同世代万歳だ!

時は流れ、2024年夏、準決勝と決勝を残すのみ。PLの野球部は廃部になり、Y校も池田も甲子園からしばらく遠ざかっている。

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