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1983年4月5日

3月31日、春のセンバツは、健大高崎(群馬)の優勝で終わった。筆者の若い頃と違って、日程が前倒しである。こうせつおいちゃんの歌う明豊高校校歌と、昨年亡くなったチンペイさん(谷村新司)の歌う「今ありて」が聞けて、我々ニューミュージック世代は、ちょっと胸が熱くなりました。

その「今ありて」が生まれる10年前、1983年、第55回のセンバツは、筆者が高校3年生になる春でした。
前年の夏を圧倒的な強打で制した池田高校が夏春連覇を狙う大会で、“やまびこ打線”も、“阿波の金太郎”水野雄仁投手も絶好調だった。
決勝の相手は、我が県の代表、Y校こと横浜商。こちらも三浦将明投手が安定していて、2回戦から準決勝まで、三試合連続完封中。両投手ともに準決勝まで2失点で、数字の上では、ほぼ互角だった。

決勝戦は4月5日、0時30分開始。打倒池田、夏春連覇阻止をうすーく期待しながら、高3の一学期の始業式から急いで帰った。
始まってみると、3回以降は、強力打線の池田に終始押され気味。Y校三浦は、強力やまびこ打線に12安打を打たれながらも、3失点でしのいだが、池田の水野がこの日も絶好調、打者としても2打点とさらに調子づき、2安打完封。
Y校のトップバッター西村隆史内野手は、最初の打席(三振)からベンチに戻って「(水野の球は)速くて見えなかった」と言っていたそうだ。他の選手は「(スライダーが)消えた!」と。そんな感覚のまま、試合は、2時間かからずに終わったのであった。

優勝した池田の水野・井上のバッテリー

点差よりも差を感じた試合だったし、水野のストレートは、スピードガンでは最高138kmくらいだった筈だが、テレビで見ていても、小気味よくキレがり、確かに速く見えた。
高校最終年ということで、とても印象に残っているセンバツである。しかし、全国の強豪校が「打倒池田!」を掲げたこの年の夏、もっと印象に残る、あのコンビが甲子園を驚愕させるのである。それは、いつか書くかもしれない。(※ちなみに、あのコンビ=タカとユージじゃないよ・・・念のため)

当時、神奈川の女子高生に大人気だった三浦投手

三浦君、同い年なんだけど、誇らしくて、うらやましかったなぁ・・・

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