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誰でもないのさ 君がいなけりゃ

みなさん、昔、歌番組とかベストテンを見ていて「NOBODYって誰ぞや?」って思った事ない?見たことあるでしょう、吉川晃司の「モニカ」「サヨナラは八月のララバイ」、アン・ルイスの「LUV-YA」「六本木心中」など、曲のタイトルの下に「作曲:NOBODY」って書いてあったのを。
他にも、松田聖子、中森明菜をはじめ、小泉今日子、荻野目洋子、山本達彦ら、多くの作品を提供、今では知っている方も増えてきたが、当時は知る人ぞ知るロック・デュオだった。

NOBODYの主な略歴

相沢行夫(Vo, G)
北海道出身、神奈川大卒。妻は作詞家の竜真知子。
作家デビューは矢沢永吉のソロデビュー曲「アイ・ラヴ・ユー、OK」の作詩。

木原敏雄(Vo, G)
神奈川県出身、明治大卒。
作家デビューは矢沢永吉のアルバムの曲「世話がやけるぜ」「通りすがりの恋」の作詩。

  • 別々のバンドで活動していたふたりは、神奈川大の学園祭で出会った。

  • 木原が大学在学中に矢沢永吉と出会い、バンド「YAMATO」を結成。後に相沢を紹介しメンバーとなる。

  • 1976年から矢沢のツアー、レコーディングに参加、「矢沢ファミリー」という固定メンバーで活動する。二年目くらいから、自分たちも歌いたい、バックミュージシャンではなくアーティストとして活動したいという気持ちが芽生えたらしい。

  • 1981年、矢沢の渡米により矢沢ファミリーは活動中止となり、ふたりは10月にNOBODYを結成し、デモテープを持ち込みレコード会社に売り込みをかける。その作品の中にハウンド・ドッグの「浮気な、パレット・キャット」となる曲があり、曲の依頼が増えるとともにアーティストとしても契約にこぎつけた。

相沢曰く「バックミュージシャンをやめるために、木原と二人でNOBODYを作ったのだから、もうバックミュージシャンだけは死んでもやりたくなかった」。


さて本題だが、「NOBODYってよく名前を見かけるけど、誰?」って思っていた人は、私のまわりにもけっこういて、永ちゃんファンのI君さえ知らなかった。
「NOBODYって誰?」という疑問が最高潮になったのは(大袈裟か)、アン・ルイスの「六本木心中」が、深夜ドラマ「トライアングル・ブルー」の主題歌に使われて、徐々に売り上げが上がっていった頃であろうか。この頃には「オールナイトフジ」でスタジオライブをやって、提供曲のセルフカバーも演奏した記憶があるのだが、それでもまだ“知る人ぞ知る”だったわけで、仲間内でもそうだった。
そしてCMでも「Song by NOBODY」の文字が流れ始めます。

そんな話題が出たあたりで、満を持して・・・

「俺、持ってるぜ!」

NOBODYの「NIGHT WALKER」CDをダビングしたテープをS君にあげた。

NOBODYの提供曲は聞いてるけど、NOBODYの音楽を聴いてないという人がほとんどだったと思う。中には、玄人っぽすぎて手を出さなかった人もいるようだし。
私は永ちゃんの曲を聴いていたし「成りあがり」も読んでいたので、NOBODYが誰かを知っていた。1st、2ndアルバムは友&愛でLPレコードを借り、CDプレーヤーを買ってからは、3rdアルバム「NIGHT WALKER」以降はCDを買ってた。
この「知る人ぞ知る」を知っていたのは、ちょっと自慢だったな。

「NOBODY、いいじゃん!」

気に入った様子のS君に「FROM A WINDOW」、「RESTLESS HEART」、「NOBODY COLLECTIONS 1982~1985」・・・と次々にCDを貸した。そしていつしか仲間内のカーステレオのお供になっていた。

ストレートなロックだけでなく、エレクトリック・ポップあり、マージービートあり、オールディーズ・テイストありと、数多くの歌謡曲を手掛けているので、変わったアレンジも自由自在。一見すると、いや、一聞するとクセがあるように感じるが、意外と取っつきやすいのだ。

NOBODYの作品で好きな曲というと「六本木心中」や「モニカ」よりも、私たちの世代の男性だとやはりこの曲が、挙がるんだろうな。

浅香さんの話では、この曲、最初は女の子に人気だったんだって。この曲を耳にするたび、おっさんである事を忘れて、今でもキュンキュンします(笑)
キュンキュンすると言いながら、この曲と「C-Girl」をカラオケでNOBODY風に歌っていたことを浅香唯ファンのみなさんにお詫びします。
でも、好きなんだもん。

実は、提供曲含めて他にもけっこうCMソングやってるんだよね。


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