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パラリンピックによせて

映画とともに、イントロからアガる曲、「ST. ELMO'S FIRE(MAN IN MOTION)」。歌っているのは、「記憶喪失の男」としてデビューしたイギリス人ロック・シンガー、ジョン・パー(JOHN PARR)。
「記憶喪失」だなんて、もちろん誰も信じていないが、このジョン・パー、最初はソングライターとしてロジャー・ダルトリーやミート・ローフら大御所に曲を提供していた。84年に歌手デビューとなった「NAUGHTY NAUGHTY」で幸先よくビルボード23位を記録。
翌年リリースの"ST. ELMO'S FIRE"は、エミリオ・エステベス、ロブ・ロウ、アンドリュー・マッカーシー、デミ・ムーアなどなど青春スター勢ぞろいの映画「セント・エルモス・ファイアー」の主題歌となり、ビルボードチャートで85年9月7日から二週連続1位となった。

この曲、元々は、脊髄損傷の認知度を上げるために当時世界中を車椅子で回っていたカナダ人アスリートのリック・ハンセンのために書かれた曲である。
リック・ハンセンのこの旅は「マン・イン・モーション・ツアー」と呼ばれ、85年3月21日の出発から2年2カ月、地球一周分の距離である40163.79kmを走破し、87年5月22日にバンクーバーでゴールした。このツアーに寄せられた寄付金は2400万ドルにものぼった。

リック・ハンセン

リック・ハンセンは15歳の時、乗っていた車の衝突事故で、脊椎を損傷し、下半身麻痺となった。
それでもスポーツをつづけ、ブリティッシュコロンビア大に進学、体育学部を卒業。卒業後は、車椅子バスケットボールのチームに入り活躍。80年、初めて出場したパラリンピックで、陸上競技車椅子800mで金メダリストになり、80年、84年の二大会で計6個のメダルを獲得している経歴の持ち主。ケガをした時に知り合った理学療法士の女性と結婚、三人の娘がいる。
ツアー完走後は、障害を持つ学生のために、高校以降の教育を促進させることに尽力し、2010年に地元バンクーバーで行われた冬季オリンピックでは選手村の村長と聖火ランナーを務めた、まさにスポーツ界の偉人である。

話は戻って、「ST. ELMO'S FIRE(MAN IN MOTION)」はジョン・パーとデイヴィッド・フォスターの共作で、リック・ハンセンと同じカナダ人のデイヴィッド・フォスターが、ジョン・パーに「マン・イン・モーション・ツアー」の映像を見せたのをキッカケに誕生した。
そういう背景もあって、1986年度アカデミー賞の歌曲賞にノミネートされたものの、曲が映画のために書かれたものではなく不適格とみなされて受賞を逃している。

St. Elmo's fire(セントエルモの火)
悪天候時などに船のマストの先端が発光する現象。古くから伝承されてきたが、雷雲が発生するような天候において静電気によって発光するものと考えられている。
激しいときは指先や毛髪の先端が発光する。航空機の窓や機体表面にも発生することがある。

尖った物体の先端で静電気などがコロナ放電を発生させ、青白い発光現象を引き起こしている。先端が負極の場合と正極の場合とでは、形状が異なる。雷による強い電界が船のマストの先端(檣頭)を発光させたり、飛行船に溜まった静電気でも起こることがある。放電による「シュー」という音を伴う場合がある。
1750年、ベンジャミン・フランクリンが、この現象と同じように、雷の嵐の際に先のとがった鉄棒の先端が発光することを明らかにした。

Wikipediaより

歌詞が、映画の登場人物たちの人生の新しくわくわくするようではあるが、少し怖いようにも感じるような時期に差し掛かる姿に結びついている。「光」や「火」から類推されるのは、自らを如何なる存在なのかを模索する者が、未知の中で探している道しるべや自身の中で燃え盛る新たな「火」としての役割である。ということで、映画の音楽監督であるディヴィッド・フォスターによって主題歌に取り上げられ、サウンドトラックに収録。ジョン・パーのオリジナル・アルバムには収録されていない。

いろいろと経緯はあったが、パワフルなロックナンバーで、映画やキャンペーン絡みじゃなくても、そこそこヒットしたであろうと思われる。そして映画だけでなく、こういったエピソードが想像を膨らませ、熱い思いを加速させてくれるのだ。

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