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歳をとるということ
週末に所用があり、その帰りに
家人と二人、若い頃の想い出深い街を何十年かぶりに訪ねました。
遠い記憶を手繰り寄せるようにあちらへこちらへと歩いてみれば、
アパートは建売住宅に、
馴染みの店たちはまとめて姿を消し、きれいな集合ビルに、と大きく様変わりしていました。
それでも、変わらない街並みもそこここに見受けることもでき、懐かしさに胸も小躍りしました。
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一人暮らし初心者の私を魚料理好きにしてくれた魚屋さんも、同じ場所で変わらず元気に営業中。
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覚えたての鰯の手開きが楽しくて、オイルサーディンを何度も作ったのを思い出しました☺️
けれど何より驚いたのは、
帰り道に「もう住めないな…」と
二人揃って心から実感したことでした。
閉塞感、かつてはあんなに好きだったゴミゴミとした佇まい、騒がしさ(選挙演説もあったから余計でしたが…)に、たった数時間で疲れてしまったのです。
きっと、ずっとあの街に住み続けて居たら
こんな心持ちになることもないのでしょう。
慣れというのはそういうものなのかもしれません。
昭和の佇まい溢れる喫茶店を探し、コーヒーをゆっくり頂いてから、帰路につきました。
その後最寄駅に降り立って海風の匂いを嗅ぎ、
広々した夕焼け空の色を眺め乍ら
自分が心底ほっとしているのに気づいては、
また驚いたりして。
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もちろんどちらの街にも、それぞれに魅力があり、
街並みより大きく変わったのは、住まうわたし達。
あの街に居た頃は…
毎朝急いで出かけ、土日も厭わず働き、夜もほぼまっすぐ帰らずに線路脇の居酒屋で待ち合わせ、一杯引っ掛けて帰るのが日常でした。
それが今は、月に一度飲むか飲まないか。
飲み方もたいそうライトになりました。
子供が産まれて、より自然に触れることができるところで育てたくなったのが31年前。
自分が子供の頃から引っ越しが多かったため
我が子には故郷を作りたい、という希望も
ここで叶いました。
その子供たちもいつしか大人になり、
知らず知らずこんなに歳をとったのだなと実感しましたが、なぜか悲しくもなりませんでした。
仕事は今も都内で、通勤にはそれなりに時間がかかり
もちろん近くにはとびきり美味しいパン屋さんも、素敵なカフェも、気の利いた花屋さんもありません。
不便なことはいくつもあります。
それでも、きっとこれからも通勤時間を短くすることはないのだろう、と思います。
何を大切に思うかが、年齢を重ねる中で変わってきたのを実感した週末でした。
時間のたっぷりある若い頃のように、自分のできないことに刮目し続けるのをやめるのはもちろん、
(状況が許す範囲ですが)どこでどう過ごすと安心で快いのか、を心に置いて急がずに、が今のわたしに向いているのだろうと、すとんと腑に落ちたように思えます。
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