マーティン・エドワーズ"The Life of Crime"(ミステリ史の通史)の中の日本の「本格ミステリ」~個人的まとめ

・はじめに

 評論『探偵小説の黄金時代』、小説『処刑台広場の女』の邦訳がある、イギリスのミステリ作家・評論家のマーティン・エドワーズ(Martin Edwards)による今年出版されたミステリ史の通史、"The Life of Crime  Detecting The History of Mysteries and Their Creators"(以下"The Life of Crime")の中で、日本の「本格ミステリ」について一章まるまる触れています。

 この記事では、その内容を軽く紹介していければと考えています。
 "The Life of Crime"というタイトルは、意訳するとすれば「ミステリの歴史 ミステリとその作家の歴史を探る」とでもすればよいでしょうか。
 もともとこの"The Life of Crime"は、イギリスのミステリ作家・評論家のジュリアン・シモンズによる著作『ブラッディ・マーダー 探偵小説から犯罪小説への歴史』(新潮社)(以下『ブラッディ・マーダー』)というミステリ史の通史の現代版を意識して書かれたものです。

 シモンズの『ブラッディ・マーダー』は労作ですが、この"The Life of Crime"も大変な労作といえるでしょう。"The Life of Crime"は、今秋邦訳が刊行予定のようです(おそらく国書刊行会あたりからでしょうか)。
 補足として、イギリスでは日本での「ミステリ」というジャンルのことを"crime fiction"、"crime"と通例で呼んでいるようです。


・まず最初に

 "The Life of Crime"の第48章の章題は"Mystery Games  East Asian detective fiction"となっています。日中韓のミステリシーンについて触れられていますが、紙幅の九割は日本の「本格ミステリ」についてです。
 では、主に日本の「本格ミステリ」シーンを書いたこの章は、どの作家の紹介から始まるか、想像できるでしょうか?

 これは個人的にも大変印象的だったのですが、実は乱歩や横溝、涙香といった作家ではなく、戸川昌子という昭和の女流ミステリ作家の紹介から始まります。
 本邦では現在、戸川のことを知らないミステリファンもいるのではないかと感じていますが、"The Life of Crime"では本文十ページ中の二ページを割いて、戸川の作品や職業、波乱に満ちた人生について書かれています。
 紹介されている作品は、『大いなる幻影』("The Master Key")、『猟人日記』("The Lady Killer")、『火の接吻』("A Kiss of Fire")です。
 イギリスの「タイムズ文芸付録」("Times Literary Supplement")によれば、「戸川昌子は日本のP・D・ジェイムズである」と評されたそうです。


・そして乱歩

 江戸川乱歩についても、二ページ程度記述があります。西欧探偵小説に影響を受けて「新青年」から「二銭銅貨」("The Two-Sen Copper Coin")で作家デビューし、日本探偵小説界の黎明期を切り開き、戦後は評論家として活躍し、日本探偵作家クラブ(推理作家協会の前進)の創設者のひとりだったことが書かれています。

 この中で、日本の「本格ミステリ」のことを"Honkaku"と呼んで紹介しており、 黄金期ミステリの伝統を受け継いだ「(ミステリの)本来的な作風」と説明しています。
 記述の中で紹介されている作品は、「二銭銅貨」以外に『D坂の殺人事件』("The Case of the Murder on D. Hill")、『陰獣』("The Beast in the Shadow")、『幻影城』("The Phantom Castle")、『芋虫』(The Caterpillar)、『類別トリック集成』("The Classification of Tricks")です。
 また、乱歩の作風として「エログロナンセンス」のことも紹介しており、マイクル・イネスやニコラス・ブレイクらを"Shin Honkaku"(英国新本格派)と呼んだことまで書かれています。


・松本清張と夏樹静子と島田荘司と

 「社会派」("social realism")の創始者として、清張が紹介されています。
 清張はジョルジュ・シムノンやパトリシア・ハイスミスのようなサイコロジカル・サスペンスに移行し、夏樹静子はハイスミスのシナリオを道徳的などんでん返しに転換した作家として書かれています。
 島田荘司は、後述する「新本格」の作家の前進として、『占星術殺人事件』("The Tokyo Zodiac Murder")や『斜め屋敷の犯罪』("Murder in the Crooked House")を書いた「新本格前夜」の「本格ミステリ作家」としての扱いです。


・そして綾辻行人以降

 まず『十角館の殺人』("The Decagon House Murders")が紹介されます。綾辻は著名な古典ミステリ作家の名前をニックネームとして使うことを、"symbolic characterisation"(すみません、訳語がわからなかったです)と呼んでいたようです。

 「十角館」以降"Shin Honkaku"が興隆し、今村昌弘の『屍人荘の殺人』("Death among the Undead")がジャンルミックス的で「新本格」をさらに活性化させた、と書かれています(これに異論がある人はいるでしょうが)。

 有栖川有栖は、この著作の中でも「日本のエラリー・クイーン」として紹介されています。有栖川が同志社大学ミステリ研究会の一員であったことも書かれており、"Shin Honkaku"を牽引した作家たちは黄金期の作家やミステリに触発され、その多くは大学ミステリ研所属経験があったことも特徴として触れられています。
 また、この中で"Shin honkaku"は"the new orthodxy"と説明されており、「新たな正統派」という注釈がなされています(元をたどればカール・バルトの「新正統主義」の神学が語源のようですが、聞きかじりですので詳しいことはわかりません)。

 「本格ミステリ」はファンタジーやSF、ホラーなどと多様にジャンルミックスし、「叙述トリック」("narrative tricks")にも言及があります。
 法月綸太郎の名前も見え、「悩める作家」としての法月の一面が書かれています。
 本格ミステリ作家クラブへも触れ、東野圭吾の『容疑者Xの献身』("The Devotion of the Suspect X")が本格ミステリ大賞を受賞したこと、東野は「日本のスティーグ・ラーソン」(『ミレニアム』を書いたスウェーデンの作家)と呼ばれていることが書かれています。

 最後に、泡坂妻夫に関する記述があります。クレイトン・ロースンと比較しつつ、曽我佳城やヨギ・ガンジーものに触れ、その目新しさに驚く評論を引用しています。


・余談

 ここまで書いて一段落ですが、横溝正史の名前は本文にほんの少し、注釈でその説明があります。乱歩を大きく扱っているのに、横溝への言及がほぼないのはバランスが悪い、と日本のミステリ読者なら思うのではないでしょうか。ファンの欲目かもしれませんが。
 また、「本格」("Honkaku")についても、注釈で甲賀三郎が「本格探偵小説」と「変格探偵小説」(変格についての記述はありませんが)にわけたところから説明しており、代表的作家として大阪圭吉をあげています。
 鮎川哲也も注釈にほんの少ししかでてきませんし、また乱歩の項で書きませんでしたが、井原西鶴の書いた物語も「ミステリ」として扱われています。

 シモンズの『ブラッディ・マーダー』と比べて感じたのは、「個々の作品や作家に対する価値判断がほぼない」点が違うな、ということです。
 『ブラッディ・マーダー』はシモンズの作家作品に対する好悪が強く出ていましたが、"The Life of Crime"にはそのような点は(今まで読んだところでは)あまりないように感じます。他の章を読めば印象が変わるのかもしれません。どちらの態度を好むかは、読者によって違ってくるでしょう。

 ここまで簡単なまとめでしたが、なかなか調べられているな、と上から目線で感心しました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?