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【よどみの探究:第1回】プロローグ:野川抱志の現在位置

玄界灘を望む糸島半島の高台にある自宅で、野川抱志は静かに思いに耽っていた。
街の喧騒から離れた、夜になると暗闇と静寂が広がるこの場所は、思索を深めるにはちょうどよい。
さまざまなノイズから距離をとり自分を保てる場が欲しくて、抱志はここに住むことにしたのである。

抱志は学生時代を東京で過ごした。大学院まで進み、日常生活で人と関わるロボットの研究に関わっていた。
この分野はロボットの技術に造詣が深いだけでは、うまく研究を進めることができない。人間のロボットとの関わり方、人間同士の関わり方、複数の人間とロボットが関わる場での人間の振る舞い、……などといった人間の認知や行動についても前提知識と認知・行動の変化を知るための研究手法に通じている必要がある。たとえば「工学」と「理学」、「文系」と「理系」などという括りで考えていては成り立たない研究分野でもあるし、ロボットは「役に立つ」仕事を任せられる存在ばかりでなく、ある意味「その場にいるだけでいい」に近い存在にもなりうる。学生時代の抱志はロボットの技術さえ発達すれば人間との関わり方の問題は解決すると思っていたが、ボランティアでロボットのワークショップ運営に関わるようになり市民と交流する中で、専門分野にこだわり過ぎることへの弊害や、「役に立つ」ことだけを志向した研究に対する違和感を持つようにもなっていた。

大学院は博士課程まで進み博士号も取得できたのだが、抱志はアカデミアの道は目指さず、東京でソフトウェアエンジニアとして民間企業で働く道を選んだ。アカデミアの道にも興味は持っていたものの、職業研究者としてやっていける自信がなかったことが、そのときの進路選択の理由だった。仕事で求められる知識を勉強会で学び、積み上げた業績や資格取得で自分の能力を証明しながらより重要な仕事を任せられる立場になることに、抱志はやりがいを感じていたものの「このまま『役に立つ』とされることや、ある程度勝ちパターンが確立していることばかり学ぶような学び方を続けてもよいのだろうか?」という疑問を持っていた。
またその一方で、学術研究に対する「自分を出して自由に探求する活動」に対する思いも捨てきれずにいて、中高生向けの科学教室や市民を対象としたロボットやAIのワークショップの運営ボランティアにも関わるようになっていた。研究者としてやっていくのは難しいが、大学院まで続けてきた研究活動に近い活動には関わりたいという思いに応えられる活動がこのボランティアだった。このボランティアに関わることに面白さを感じる一方で、「中学生らしさ」「高校生らしさ」を大人が押しつけてくる空気があったことに違和感を持っていた。そして、彼らの研究の中にも大学生や研究者に交じって学会などで発表すればその面白さが伝わるものもあるのではという手応えを感じるのに、そのような発表の機会もなかなか得られなかったことにも物足りなさを感じていた。

仕事やプライベートの行き詰まりを強く感じていた数年前のある日、帰郷していた大学時代の知人の誘いで福岡を旅した時に出会ったのが糸島だった。それまで福岡に縁のなかった生活をしていた抱志は、福岡の街の面白さと、街とのほどほどの距離感を感じられる糸島が気に入り、職場を辞して東京から移住することを決めたのである。フリーランスでエンジニアの仕事をする傍ら、引き続き中高生向けの科学教室や市民を対象としたロボットやAIのワークショップの運営ボランティアを福岡市近郊で引き受ける日々を送っている。
糸島に移り住んでから、抱志にはある習慣ができた。
抱志は一人で過ごす夜の時間などに、以前あった出来事を急に思い出して「あの時のあの出来事は何の意味があったのだろう?」「あの時ああいう発言、ああいう行動をしておけば……」などと無意識に「振り返り」が起きてしまう癖がある。このような癖のおかげで抱志は気分の浮き沈みが激しいことがあるのだが、この感情の動きを客観的に捉え直し、建設的な問題解決ができないかと記録を残そうと考えたのである。このとき思い出す場面は大学院時代の研究生活、企業勤務の際に抱いた学びやキャリアに対する違和感、ボランティア活動で市民との交流、……など多岐にわたる。抱志にとってこれはあくまで個人用の記録に過ぎないので、広く公開するつもりはない。ただ、このような記録を積み重ねておくことが、将来の自分、そして自分以外のための行動の変化につながる可能性があると抱志は考えている。

ある日の夜、抱志の「振り返り」がまた始まった。
抱志はノートPCを開き、福岡市内の専門店で薦められた紅茶を味わいながら、「振り返り」の意味に思いを巡らせつつ手を動かし始めた。

著者プロフィール

橋口 七(はしぐち なな)
研究の新たな可能性を模索する「研究の研究家」。「研究者」ではなく「研究家」を名乗るのは、研究をある種アマチュア的な視点で捉えることが大事と考えるからでもある。
既存の研究の枠組み、価値観、評価体系や研究に関わる人のキャリア形成に違和感を持つ中でシチズンサイエンスと出会い、研究者の立ち回り方、市民の研究への関わり方の可能性を開拓する必要性を痛感する。知ること、学ぶこと、探究することへの自覚と価値を掘り起こすための表現活動とその反響を通して「研究の研究」を進めている。

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