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【よどみの探究:第0回】まえがき:この連載が目指すもの

はじめまして、橋口七と申します。

この連載は、シチズンサイエンスに代表される市民の研究活動への参画について、小説調の記述を通して描写することを試みます。このような活動に関わる主人公の視点を小説調に描写することで、論文調の記述では表し切れない重要な論点に焦点を当てることを目指します。このような記述を目指すのは、次の二つの理由からです。

ひとつは、論文調の記述にすることで客観性を確保することが、学術研究を語る上で常に正義といえるのかという疑問です。そのような論文が不要という意味ではなく、客観的に問い続けることで得られる知見もきわめて重要です。ただ、その知見を他者に伝える場合、正しさや客観性に価値観を感じられるかは別の話です。正しさや客観性はひとつの評価軸として大事ですし、正しさや客観性を犠牲にしてまで研究の知見を伝えることには私自身も疑問に感じます。しかし、研究者以外の視点から研究の知見を受け止める価値観として、正しさや客観性といったもの以外の評価軸を開拓する必要があり、そのためには同じ研究者でも専門の外の視点、そして市民の視点を描く必要性を痛感したのです。その要件を満たすには、論文調の記述ではなくある人物の視点から世界を描く小説調の記述の方が向いていると考えました。

そしてもうひとつは、この正しさや客観性に代わる価値観の開拓に関わる点です。この連載の中でも追い追いその価値観をとりあげてゆくつもりではありますが、表現の上で注目しているのは共感です。共感といっても、感情・価値観の面で同意することを目指すのではなく、一度他者の立場に立ってみて同意できることとできないことを自覚することが、さまざまな価値観の軸を浮き彫りにするのではないかと考えたのです。分野や研究対象にもよりますが、研究者は「全知全能」に近い視点をとることで人間や自然を正しく知り、人々や社会を正しく導くことを目指すことを往々にして考えがちです。これを支えるのは確率論や再現性に裏づけられた個別性を排除した標準を定め、その標準をもとに人、集団・組織、社会、自然を捉えるという発想です。しかし、個別の人、集団・組織、社会、地域、……それぞれは研究者のように「何度もサイコロを振って、それぞれの目が出る確率が同じかどうかを確かめる」ようなことはできません。「一度目が出たら、その目が出た事実を受け止めて現実をやりくりする」ことしかできないのです。このような個別の当事者の感覚を描き、当事者の視点に立ってみて同意できること・できないことに自覚的になることで学術研究に対する新たな価値観の軸を浮かび上がらせることが目的でもあります。

研究の世界で求められる正しさや客観性との向き合い方を考える上で、この正しさや客観性の価値観を伝える物語を描くという選択肢もありますし、それもまた重要と考えます。この連載が目指すのは、小説調の記述と共感を軸にした価値観の違いの明確化を通して、「いかにも研究者的な思考の持ち主が研究者らしく問いを追求する」という学術研究のイメージを変え、研究の形を多様化させるためのヒントを得ることです。

では、まずこの連載の主人公、野川抱志(のがわ ほうし)の人となりに迫ってみましょう。

この連載の背景を知るための文献ガイド

この連載には毎回、連載内容に関連した文献ガイドを付ける予定です。まず、この連載を始めるにあたってその背景となった文献を紹介します。

20XX年の革命家になるには
論文以外のアウトプットの方法や手段を模索する試みの可能性と必要性を感じたのは、この本の影響が大きいです。社会にインパクトを与えるためのアウトプットの選択肢を広げる上で示唆に富んでいます。

唯が行く!』/『ケアする対話
ある登場人物の視点から置かれた状況を描く、というアイデアはこれらの本における「当事者創作」という試みからヒントを得ています。前者の本における自閉スペクトラム症の当事者の視点から描く試みについて、後者の本でその背景を解説しています。また、後者の本で「当事者創作」を行うのは「これまでに存在しなかった種類の本」を書きたいという動機があったからという記述もあります。学術研究のアウトプットとして「これまでに存在しなかった種類」の形を目指したいという思いもあります。

他者と生きる
医学が提供するエビデンスは「全知全能」に近い視点から複数の選択肢を患者に示すことで少しでも患者を救えるのではないかという方向に向かいますが、患者からしてみれば選択肢を選べるのは基本的に1回きりですし、一般論と個別の事例は違います。これは医学に限らず、科学を社会に向けて応用する場合には似たような問題の構造に直面するでしょう。その意味で当事者の視点を描き出すことが重要と認識したことも、この連載の背景にあります。

著者プロフィール

橋口 七(はしぐち なな)
研究の新たな可能性を模索する「研究の研究家」。「研究者」ではなく「研究家」を名乗るのは、研究をある種アマチュア的な視点で捉えることが大事と考えるからでもある。
既存の研究の枠組み、価値観、評価体系や研究に関わる人のキャリア形成に違和感を持つ中でシチズンサイエンスと出会い、研究者の立ち回り方、市民の研究への関わり方の可能性を開拓する必要性を痛感する。知ること、学ぶこと、探究することへの自覚と価値を掘り起こすための表現活動とその反響を通して「研究の研究」を進めている。

#学問 #研究 #シチズンサイエンス #共感 #当事者