学ぶことへの劣等感

姉と話していた際、MBTI診断の話になり、「誰でも当てはまる事が書いてある」「人間はこんなに単純に分類分けできるものではない」とは言いながら、診断してみる流れになった。

姉は『建築家』で、日本人では少数派の、論理的思考が得意で価値基準がはっきりしているためカリスマ性が高い人、非論理的な人を見下す傾向有り、みたいな結果が出た。

私は『討論者』で、具体的な問題よりも構造的な問題を議論することを好む、それ故に机上の空論と批判されることもある、知的好奇心が旺盛で、人の感情の機微を読むことが得意、人間関係は上手いが歯に衣着せぬ物言いで対立する、みたいな感じだった。

感情欠如気味で社会の少数派の似たもの姉妹だったわけだ。

本当は、私はMBTIにこだわりたくはないんだ。科学的根拠も不十分で、そもそもブームの元となった論文での診断方法と有名なサイトでの診断は異なるらしいし。

でも、自分のパーソナリティを客観的に見るきっかけになった。

たしかに私は、上記の特徴にすごく当てはまる。
それを踏まえて、自分の性格を改めて考えてみた。

私は抽象的な議論が好き。
そもそも、怠惰で大雑把な性格なんだと思う。
具体的で複雑な議論よりも、構造的な枠組みの問題について考えるのが好き。
そしてそれらを人と議論するのが好き。
でも常識や教養など、当然知っているべき知識は足りていない。
人とのコミュニケーションは得意で、相手が自分に何を求めているのか分からないことはほぼない。よって人に嫌われることはあまりないが、相手の期待を想像し過ぎて自分の感情がわからなくなることがある。

今まで私は自分のことを「複雑な物事の理解が苦手で、頭が悪く、人より努力が必要な人間。いま人並みの仕事につけているのも、持ち前の口の上手さで、なんとか自分の無能さを偽って、人を騙してきたから」と思ってきた。
始まりは中高生のとき、勉強してもしても、クラスではいつもビリすれすれで、「自分は勉強しても頭の悪いバカ」と思い始めた。だから、それからは『学ぶこと』に対して常に劣等感があった。勉強が好きな友人にはいつも嫉妬してきた。

その結果、何か人と意見が異なるとすぐ「人より劣っているから人と違うのではないか?」と思え、本を読んで少しわからないことがあれば「自分の理解力が足りないせいだ」と思えて集中できなかった。逆に評価されるたび、(本当の自分は無能なのに)(いつ幻滅されるだろうか)とびくびくした。いつも自信がなかった。
自分の抽象的議論を好む傾向も、「土台となる知識がないくせに頭をよく見せようとしているだけ」と思えて好きになれなかった。

でも今回MBTIをきっかけに「抽象的な議論」を自分の得意なものとして認識したと同時に、急に別の見方が降りてきた。

「私は『頭が悪く、人より努力が必要だが、虚勢を張って評価を得てきた』のではなく、むしろ『抽象的な議論が得意で、コミュニケーション能力も高かったせいで、普通よりも努力せずにここまで来れた』のではないか?」

振り返れば、人より努力が必要と思ってきたものの、人よりもずっと努力を重ねたかといえば、そんなことはない。普通に怠惰な人間である上に学ぶことへの劣等感があったため、「勉強すること」が苦手だった。だから資格試験や、仕事に対して、寝る間を惜しんで勉強することなどなかった。多分人並みかそれ以下だ。受験勉強は頑張ったが、今思えば別に普通だと思う。中高とサボってきたツケを受験期に返したくらいのものだ。

知識や頭が足りないとすれば、これらの結果、順当に、知識が積み重なっていないだけである。

それでいて、今の暮らしはどうだ。
努力不足の割に、そこそこの仕事を得て、評価も得てきた(訳あって今休職中だが)。それらに対して常にあった「本来得るべきではない評価」という罪悪感は、単に「持ち前の抽象的思考力とコミュ力でどうにかできてきてしまった」だけで、感じる必要のないものだったのではないか。

つまり、自分は人より優れている部分があり、それに甘えて努力を怠ってきた人間だということだ。

そんなことに急に思い当たり、一人で笑いそうになった。
悲劇のヒロインのように「人より頭が悪い」と思いこんできた割に、其の実、自分の得意なものにあぐらをかいて努力を怠る傲慢人間だったわけだ。

でもそう思えたら、急に当たり前の事に気づいた。「じゃあ努力すればいいだけじゃん」

いままで「努力しても人並み以下」と信じてやまなかったけど、そうではないことがわかったし、今後きっとこの努力以外でどうにかするやり方では通用しない、しっかりとした知識の土台に基づく議論ができなければ相手にされない時が来る。

何より、「人より頭が悪い」わけではないと思えたら、急に『学ぶこと』への億劫さがなくなった。

最近、色々なことを知るのが楽しくなってきた。
アメリカの大統領選、食べ物を消化するとき体内で何が起こっているか、移民を受け入れる政策が経済にもたらす影響、地球温暖化によって世界で何が起こるのか、日韓の外交の歴史、とか
気になったらその都度Chatgptに聞いて、出典元の論文を読んだりしている。

いきなり本が大好き学ぶことが大好きにはなれないことはわかっている。いまでも細かい情報を覚えて理解することが苦手なのは変わりはない。

でも大丈夫だ。努力を怠りさえしなければ、私には得意なことがあり、これからもそれを武器に戦っていける。

私には大学院留学の夢がある。
ずっと勉強が苦手だという意識がつきまとって、自信がなかったが、これからはその夢に向かって頑張れると思える。

私は努力しても人並以下のハリボテ人間などではなく、ポジティブで、コミュ力が高くて、構造的な問題によく気づくちょっと怠惰なやつなのだ。

少しずつ、頑張っていこう。




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