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宝島に行ってきた。ワタリウマ旅記 宝島編 〜その7 赤逢黒逢(アコウクロウ)〜

2日目の夕方。
海での演奏会をしようと一同はあの海辺へと向かった。

浜辺に着くと親子がいた。宝島で島バナナを栽培している方で、すれ違って会釈をした方だ。その時、相手は大きなユンボに乗っていたので遠かったが、海辺ではじめて正面で言葉を交わした。

島の人の瞳は浅黄色で、吸いこまれるようだった。海の色でもあり、森の色、両方が合わさった宇宙の色でもあった。

島のまなざしに見守られながら、
ディジュリドゥ、石笛、リンの楽器などを砂浜に並べ準備をしていった。

いずれの楽器も、自然界の植物、鉱物から生まれた存在で、音階のない振動は自然界との呼応を生み出す。

島で暮らす人々、そして私も含めた来訪者たち、全てを受け入れてくれた島の大地、海の向こうの遥かな地平に向けて奏でた。

この最高の舞台で吹いているうちに、思わず立ち上がって足を海に浸ける。しばらく旋回した後に、居合わせた子ども達に向かって息吹く。

その重低音は人間の言葉を越えた言語であり、響きは細胞に伝わって、生命の豊穣を無条件に祝す。左手にもったクバの葉で、海水を子ども達にそっとかけた。

「まれびと」はどこからともなく風のようにやってきて、土地の自然のものを与え、やがて何処かに去っていく。

各地の島々に息づく古来からの風習。人々は異界との交わりを通じて、根源に立ち還り、代謝された生命力を享受する。

なぜ葉っぱで水をすくって子ども達に音とともに浴びせたのかは、先述の事に関係していると実感している。

子ども達はそれをわかっているのか、泣くこともなく立っている。
日は少しずつ沈み、雲の精霊の行列が始まった。

行列は北東の方向、日本列島に向かっている。

あざやかな夕陽が海に反射する。

朝日なのか夕陽なのかもわからなくなる。

見渡すかぎりに広がる雲光。

島の人たちも、「こんな夕陽ははじめて見た。」と驚く。

黄昏時は、沖縄の言葉で、赤逢黒逢(アコウクロウ)と呼ぶそうだ。あちらとこちら、人と自然、昼と夜、光と闇、、両者が渾然一体と混じり合う、聖なる刻であった。

ワタリウマ。
宝島編 その8に続く。


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