夫婦。我が家の場合。~転機~
夫が待ち望んでいた子供を二人授かることができて、
理想の家族に近づくはずだった。
しかし、二人目は数百人に一人の確率で(感覚的には数千人に一人くらい)産まれる、
先天性疾患をもって生まれてきた。
外に出れば好奇の目で見られ、
中にはあからさまに驚きの声を上げる人もいた。
そして、「〇〇ちゃん、ちょっとこの赤ちゃん、見てごらん!」
と自分の子供を呼び寄せるお母さんも。
「私の赤ちゃんは見世物じゃない」
そう心の中で呟いた。
自分のことだと立ち直れないことも、
母としてこの子を守るという使命に駆られた。
それでも、20年以上前は情報も少なく、不安だらけ。
夫に訴えると、
「普通に育てればいいんだよ」
のひとことだけ。
投げやりにしか聞こえず、不安は増すばかり。
そんな時、毎日上の子を遊ばせていた公園で、偶然ある学びに出会う。
初めは警戒していたけれど、
皆さんのあたたかさに触れて安心して、その学びに飛び込んだ。
しかし、夫は大反対。
理屈だけではどうしても納得してもらえないので、
教わった家庭内の実践を続けていると、理解を示してくれるようになった。
学びの中では、お役をいただき忙しくなり、
夫の反応もそれにつれて厳しくなっていった。
上の人からは、
「他のことではご主人に合わせても、辞めろということだけには合わせないのよ。
これはご家族のための学びなのだから。」
と言われ、板挟みに悩んだ。
学びに行けば仲間がいて楽しく、厳しいこともお互い切磋琢磨して成長を感じていた。
夫には学ぶ理由を伝えたことはあったが、わからないと言われ、
それきり。
もっと話し合いたかったけれど、
夫は結婚したころから自分の態度で判断しろと言って話し合ったことはなかった。
私の学びに対する想いも言えないまま、
責任ある立場を全うするため、そして、家族のために寝る間も惜しんでひたすら実践の日々。
ところが、ある時から突然夫は口をきいてくれず、
作った食事も手を付けずに弁当を買ってきて食べるようになった。
幼いころから我慢することに慣れていた私は、
苦しい気持ちを心の奥に押し込めて、
家では思考停止。ひたすら我慢。
その分、学びの実践で外を歩き回り、ストレスを発散していた。
それは7ヵ月も続いた。
ある時外出から帰ると、部屋の中が荒らされていたので泥棒が入ったのかと思ったら、
良く見ると、私が大切にしている本が何冊も引き裂かれてバラバラにされて、
書類もビリビリに破られ、床一面にぶちまかれていたのだ。
紙を挟むプラスチックの硬いボードも、力任せにねじ曲げられていた。
次は私が裂かれるのではないかと本気で思い、背筋が凍った・・・。
それでも折れない私の根性も筋金入りである。
結局、その数か月後に私が学びへの執着を手放してつながりを断つことで悪夢は終わった。
その過去の劣悪な状況は、
ずっと私の被害者意識で記憶にとどまっていた。
しかし、今年の春からの複数の学びの中で、
「過去を再定義する」
「人生を主体的に生きる」
という新しい流れを取り入れて、
そこから過去が目覚めたように変わってきた。
人生は光から学ぶこともあるが、
闇から学ぶことの方が圧倒的に多い。
私の奥に秘める強い自我をむやみにふりかざさないように母が抑えてくれて、
わかりやすい反面教師として、私を導く役割を果たしてくれていたこと。
その役割に応えず、自分と向き合わずに逃げている私に、
逃げずにぶつかることを強力に促す役割の夫。
母や夫、そして子供のことで深く悩んだからこそ、
学びに出会えて、
真摯に取り組み、
認められて貴重な責任ある立場を経験できた。
この経験は、のちに職場で活かされることとなる。
そして、数々の嫌なことを「された」のではなく、
「させた」のだと学びから気付いた。
私は嫌なことを「させる」ことを選んだのだ。
感情も、辛く悲しく傷つくことを選んだ。
相手の行動も、自分の感情も、
「選んだ」ので、
これからのことも選べるのだ。
選ぶ言葉は否定形は使わないことも教わった。
なぜなら、否定形は潜在意識が区別できないから。
これからは、精神的に自立すること。
言われたことや行動はいったんそのまま受け取って、
相手を尊重しつつ、言うべきことは言う。
そんな私になることを選ぶ。
今が変化の時なのだ。
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