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瞑想状態で生きる

わたしの右足には
ボルトが数本、プレートが2枚入っています。
金属製の。

本当はもうとっくにこの金具
取る手術しても良いという時期を
逃しに逃しまくって
未だに金具入りの足で生活しています。

自転車に乗っていて、
何もないところでひとりで盛大にコケまして。

自転車事故、2回。
わたしの人生。

本当に恥ずかしい。2回も…。
この頃のわたし…本当ツイてなかった。
一年に一回大怪我してた。

厄年、ってやつと
ぴっっったりのタイミング。

前厄で手の怪我
厄年で足首の怪我
後厄で、ダメ押しの足首大怪我。

だはは!!!!!


わたし厄年とか気にしたくないんだけど
職場の上司であり年下の子から

「それ、絶対厄年っすよ!!!」
「ヤバイ呪われてるっす!!!!!」

って本気で心配されてハッとした。
呪われてるかも…確かに、と。

瞬間移動の巻


雪の解けた春の始まる頃。
仕事先に向かう朝。
自転車に乗っていたんですね。

まだ、路面が凍っているところがあるから
降りたり乗ったり降りたり乗ったり

そんなことしてたんですけど

よし、ここからもう凍ってない!と
判断したすぐの所

走り出した次の刹那
グルンと回転して気がついたら
女の子座りみたいな格好になっていて

なんだ?!何が起きた?!と
訳が分からなかったんです。

そう、転んだことすら認識できず
自転車漕いでたら次の瞬間
座っていたんです。

なになになに?なに?って
立ち上がろうとしたら、立てない。

なんで?立てない。
あれ?立てない。
よいしょっと。立てない。

どういうことだ????
もう何一つ起きている現状を把握できぬまま
右足を見たらプランっプランになってた。

ええええええええ!!
足、折れたのかも!!!!

えー!!!!
骨折ってはじめて!!!
こうなるんだ!!!!

すごーー!!! 
足、プラっプラなんですけど!!!
え!!!骨折じゃん!!!
一回やってみたかったけど
うわー、どうしよう…

なんて思いながら

取り敢えず、この自転車ひっくり返ったまま
立てなくなってる姿……恥ずかしいーー!!って
恥ずかしさが先立ってしまって
どうにかこうにか立とうとしていた。

もう、まさに子鹿の生まれたての
あれです。
立てそう!!!あぁ〜グニャグニャ〜
立てない〜…って。

なんか自分でも笑っちゃって。
どっか打ってたんでしょうかね?頭。
面白くなっちゃって。

ひとりで立とうとする、立てない、
ニヤニヤ、のループがツボっちゃって。

※MRIなどの精密検査は散々して
足以外は全く異常はなかったので
多分大丈夫だった、はず。

プランプランの足。
立てない。
不思議と痛みは全く無いんですよね
ああいうとき。

無慈悲なもんで
何人か通り過ぎていく人もいた。
通勤時間だからね。

おじさんが通る時、邪魔かなと察知して
あ、スミマセン…なんて身を避けて。
今になるとどうかと思うけど(笑)

それだけ、
まったく危機感を感じていなかった。

邪魔そうに避けていく人達を見て

あぁ、誰も助けてくれたりとか
しないもんなんだね。やっぱり。なんて。

で、

しばらく子鹿の下りをやってみたけど
立てる気配がしなくて
やっと、これは…
ヤバイなと、これは。

仕事に遅れちゃう、と。
足折れてても行く気でした。
でも、立てないから行けない、という判断。

自分の足どうこうじゃなくて
仕事に遅れてしまうから
みんなに迷惑かけてしまう、
申し訳無い…

その一心だったんです。本気で。

やばい。やばすぎる。

良い人だろ〜わたしゃ〜って
話じゃないんですよ!

やばすぎるなぁって。

自分のこと蔑ろにし過ぎなのが
当たり前、ふつう。通常運転。

これ、自分で自分にやっているけど
もしも大事な人と一緒にいる時に
大怪我しているのに

「足折れてる!はじめてだね!」
「立てないね!(ニヤニヤ)」
「大丈夫?!仕事、遅刻したら迷惑かけるよ!」
「人の通り道だから邪魔だよ!」
「こんな転んだ姿見られるの恥ずかしいよ!」

って言われたら…結構落ち込む。

でも、それを自分で自分にやってた。

自分で自分のこと大切にするとか
気にかけるとか、全くできていなかった。
わからなかった。
そんな世界観は持ち合わせていなかった。

いや、むしろ、思わしくないことが起きたら

「なんでこんなことになったんだ」
「もっとああすればよかった」
「あの時、あれをしておけば」
「〇〇できない、わたしはダメだ」

と、当然のように自分を責めていた。

自分を責めることが正しさだとすら。


もしもし、骨折しました

それで、職場に
すみません、転んで骨折して
立てなくなったので
きょうは休ませてください

と電話をすると

応対してくれた方、ドン引き。

大丈夫なんですか?
救急車は?

そう言われて、
あぁ、そうかと。
救急車呼んでいいんだ、って。

どうやって帰ろうか真剣に
考え始めてましたからね。
救急車とか思い浮かばなかった。

また状態が落ち着きましたら
連絡いたします…と電話を切ってから
 
自ら救急車を呼んで。

地べたに座り込んで
救急車を呼んでる。
自転車ひっくり返ったまま。

そんな自分。

もう、何から何まで恥ずかしくて。
この姿見られるの本当に恥ずかしくて。

そこかよ、って。
今なら思うんですけど
当時はまじで、そこだった。

そこしかなかった。
自転車でコケて立てないとか、はずーーって。

不安とか心配はなかった分
この厄介な自意識過剰のおかげで
不安に陥らずには済んでいたのかもしれない。


はじまりはじまり

そんなこんなで…
そこから入院生活が始まるんですけど

確か3ヶ月。
めちゃくちゃ重症。

右足首なんちゃら破裂及び果部複雑骨折、
とか、えらく仰々しい名前をもらったと思う

足首の骨と骨とを保護している袋が破けて
あとは踝だか足首だかが
折れに折れちゃったんだって。

よくわからなかったけど
結構、深刻そうな顔してた。お医者さん。
もう普通には歩けない、という言葉。

その言葉をわたしは絶対信じなかった。
怖くはなったけどね。怯えたけどね。

ただ、人を励ますんじゃなくて
怯えさせるってどうなのとは思いますけどね。

いくら医療的な正しさにおける
真実っぽい御託並べ立てるにしたって。

現に、わたしは執念とイメージを使って
絶対に絶対に元通り歩けるようになると決めて

ptさんやお医者さんも
驚くスピードで回復していき
普通に歩けるようになっちゃったんです。

ていうかそれが自然なんだよ。

人が人に向かって「不可能です」という想念、
恐怖、呪いで人を縛る行為に触れることが
わたしは一番、忌々しい。嫌いだ。

だからこそ
「医者ごときが命の何がわかる」
と着火しちゃったおかげで
リハビリを執念のように
励むことができたのかもしれない。

だから結局、ありがとうってことに
なっちゃうんですけどね。お医者さん。
わたしに火を着けてくれて、と。

すみません、お医者さんへの
悪意とかは無いです。あまり。

ただ、人間が人間をわかったように
権威を持って語るのとか
人を恐怖で縛るのってどうかと思う、っていう

ただ、そういう感性の人間なんです。
わたしは。

そして、その癖
自分で自分に「不可能だ」という
恐怖で縛っている領域があまりにも多い。

厄介だなぁと我ながら思っている。

それに、お医者さんへの怒りもありながら
一番怒っていたのは自分自身に対してだった。

なんで、こんなにもダメなんだ。
不甲斐ない。情けない。悔しい。

とにかく自分という人間が恥ずかしかった。


祈りに触れた

その時。入院生活で、なんですよ…
いっろんなこと起きたのは。

入院したら、何故か
同じ職場で課の違う
おじさんがお見舞いに来たいと言っているらしい。

このとき、同じ職場で
パートナーも働いてたんです。

共に音楽活動しながら
休みを割りと自由に取りやすい職場、
ということだったんで
そこへ一緒に働きに行ってた。

パートナーからの電話で
その、おじさんがわたしの
お見舞いに来たいと言ってるよと
聞かされて…

ん、まぁいいけど。うん。え?うん。
と、話が進んでいった。

そのおじさん、牧師さんで。

牧師さん一本で
生活していけないから、と
働きに来ている、っていうのは知ってた。

おとなしくて穏やかな隣の課のおじさん。

そんなに職場で話したこともないのに
何故、何故わざわざお見舞い?
わたしに???

なんか、勧誘とかしてきたら嫌だな…
って身構えてた。

でも、まぁ
お見舞いに来てもらうのって
悪い気はしないからいいか〜って。

そして、お見舞いにきてくれたおじさん
もとい牧師さん。

フィリピンの宣教師さんと一緒に。
そして、わたしの為に祈らせてほしい、と。  



ほう。


 
祈り………………


怖い怖い怖い怖い怖いって


なに、怖いんですけど
そういうの

免疫ないんで。こっちはそういうの。

怖い…と思いながら

でも、ちょっと触れてみたい気もした。

その日、ふたりが訪れてワハハと談笑していた。

気のいいおじちゃんだから
たまに話すことはあったけど
こんな風に顔を合わせて
話すことなんて初めてだった。

おじちゃん、昨日で職場を辞めたらしい。
それで、その翌日がこの日。

そんでもって
お見舞いに来てくれたというわけらしい。

フィリピンの牧師さんは
わたしの言葉が
わかっているのかわかっていないのか、
という感じではあったけど

にこやかに3人で
会話を楽しんでいた空気を変えたのは
「あなたの為に祈らせてください」

と言った牧師さんの一言だった。

真っ直ぐな目。

はい。と答えると

ふたりがスッと静まって

ふたりとも目を閉じて
同じ場所に、ここではないどこか
同じ場所に向かって
小さい声で、祈ってくれた。

わたしの為に。

わたしの痛みや傷が
癒やされるように、と。

最初は、祈りとはどんなものか、と
まじまじと見つめてしまったけど

真剣に命を込めて、想いを込めて
何かを捧げているその聖なる姿。

美しかった。

なんだろうこの感じ………と
この感じ、なんなんだろう?

次の瞬間、ハッと我に返って
見てちゃいけない、
邪魔してはいけない、と、そんな気になって

わたしも目を閉じて、ふたりと同じ場所を
想ってみた。
それしかできなかった。

すると、不思議な感覚だった。
なんとも言えない気持ちになった。
胸がスーッとした。

すべてが静かで。満ちているような。
そんな空間にいた。

祈りが終わると
いつものおじさんよりも
どこか何か綺麗だった。

なんなんだこれは??


あり得ないことがあり得るから面白い


そして、その牧師さんは聖書をくれた。
新約聖書だった。


・・・・・・・


ということがあったよ〜
とパートナーに電話をすると


よかったね〜。
あのさぁ、俺の部署に
牧師さんが入ってきた。アフリカ人の。

牧師さん?!

牧師さん退職したら
牧師さん入ってきた?!


牧師さん出たり入ったり?!

そんな職場あるん?!


ってめちゃくちゃ笑った。


で、それはそれとして。

わたしは当時、生命の實相という書物に
激ハマりしていた。

これは宗教本なんだけど…

その団体に属したりするわけでもなく
個人的に読み耽り感動していた。

これも、パートナーから
教えてもらって読むようになったものなんだけど。

その書物には「実相」を見よ
と繰り返し書かれていた。

虚像である現実を真実と捉えずに
真実を現実として見よ、みたいな
そういうことが書いてあった。

最高、なにこれ、
これだよ、わたしが求めてたのは、と。
不可能、とか虚像なんだよ。と。

もう、まじでこの宗教入っちゃおうかなと
心酔するほどだった。 

とにかく神を信じなさい〜じゃなくて

物理的な視点や、神懸かり的な奇跡などは
實相そのものであり
實相に生きることこそが真理に生きることだと

實相を観ていれば病気が治るのは当たり前。 

でも病気を治そう治そうとして
實相を見ようとする、それは
非常に現世的で、
實相から遠く離れているのだと。

非常に理路整然と、シンプルに
わかりやすく書いてあったからこそ
これは真理だ!!!!と
得も言われぬ満足感があった。
その書物を読むと。

どんな自己啓発、スピリチュアル
精神世界、それらの教えよりも
何の抜けもない、素晴らしいものとして
わたしは夢中になっていた。

でも、書物を書いた創始者は
相当前に逝去されており

現在は違う方が継いでいるらしく
全く教えが異なっているらしいと知り
入信はしなかったんですけどね。

そもそも前提として
大の宗教アレルギー持ちで。

まず神とか宗教とか本当に拒絶していた。

神がもしも本当に居るのなら
世界がこんな終わってるわけ無いでしょ
っていう、よくある突っかかり方。
あれの代表選手でした。

15歳で父が亡くなったらソッコー
宗教の勧誘とかあって
まじでこういう偽善者は滅びてくれと
真剣に拒絶していた。

そのわたしがだ。

人生立ち行かなくなり、
病みに病んでいたので(診断は受けていないが)
パートナーも困り果てて
何でもかんでも、わたしに良さそうなものを
探して探して探して探して
薦めまくってくれたのだ。

もう、読んで。
いや、読んで。
いいから読んで。
絶対良いから。

と。

最初はやはり受け付けなかったけれど
教えを実践すると、確かに…
人生が好転していく…

人間関係が…
体調が…
仕事が…

すべてよくなっていった。

もうこのまま太るなら
とことん太ってやるぜと
謎に開き直っていた体重も
ある時では80kgをゆうに超えていた。
もう、ここまできたら100kgまで
行け行けー!!くらいの。

それも、スンーと
20kg近く痩せちゃった。
気持ちも穏やかになっちゃった。

標準体重。
イラついていない、穏やかな姉などは
見たことがなかった弟が

「姉ちゃん………大丈夫????」

と、めちゃくちゃ心配させてしまった程だった。

むしろ、
めちゃくちゃ大丈夫になったというのに。

そうやって、自己啓発の類に
激ハマりして 

「ありがとう」
「おかげさま」
「感謝」
「願えば叶う。引き寄せ」

それらのことを
手を付けまくっていました。

ジャンキー状態。
くれくれくれー!!
幸せになる方法どんどん知りたいー!と。

で、その延長線上で
触れたのが、生命の實相。

何をしなさい、とかそういうのなくて。
念仏唱えなさい、ではなくて。

もう、すべてがある。
既に、ある。
常に今であり、その今に生きよ、と。

もう、読んでると瞑想状態に入る感覚。
こんなことは初めてだった。


真夜中のミッキーマウス


素晴らしい書物を読んではいたけれど
それにしたって入院生活は
自分が情けなくて悔しくて
申し訳なくてたまらなくて

こんな自分は本当に捨ててしまいたいと
かなり精神的に参っていた。

何もかもうまくいかない。
人に迷惑しかかけない自分。

入院生活もストレスで。


5人部屋にいる
気難しいオバチャンの存在…

もうひとり、尖りまくりの若い女の子。

つっけんどうな看護婦さん。

ストレス。何もかもストレス。

更には
別階の痴呆徘徊の方が
入り込んじゃったりして…真夜中に。

それがもうコントレベルの。

真夜中。
なんか気配がする…と
目覚めたらおばあちゃんが
わたしの顔を覗き込んでいる。

「!!!!!!!!」

おばあちゃん、
背中におんぶしている
ミッキーマウスに向かって

「お姉さん寝てるからねっ」
「静かにしなきゃだめよっ」
「泣いたらだめよ〜」

って愛情深く、おんぶした
ミッキーマウスをあやしているんだけど
笑ってはいけない、の
何らかのワンシーンのようだった。

ミッキーマウスもすごい年季入ってて。
古い顔のやつで
昔のミッキー怖いの。白目多くて。

耐用年数とうに超えているようで
ミッキー先生、相当やつれてらっしゃる。

元・ミッキーマウス。
ミッキーの皮、みたいな。

ミッキーの皮おんぶしたおばあちゃんが
ずっとミッキーに注意してる。

起こしちゃダメよ、って。
わたしの枕元で。
真夜中。 

なにこれ。

おばあちゃんが、ミッキーを
あやすたびに、搖れるんです。

白目の多いミッキー、首からうなだれてて
もう、首関節きまっちゃってますそれっていう。
怖いって!!!

おばあちゃんも、しなびたミッキーも
叫んではいけない状況も
全部が限界。

しばらくそのコントを
見守るも、おばあちゃん
気が済んだらしく帰っていく。

非常口のランプが光る
仄暗い廊下におばあちゃんが
うなだれミッキーをおんぶした後ろ姿…
見届けるしかなかった。

もう、そんなんで
とにかくストレスだらけ。

常に手術後の足は痛むし
お風呂に入れないし
車椅子の移動は面倒だし

いろいろと限界だった。

そんな中、たまらない気持ちが
沸点に達した頃

ノートに向かってペンを取った。
消灯時間を過ぎ
真っ暗な病室だった。

外には桜が咲き始めていた。
月明かりでぼんやりと幻想的な青光りのする。

はじめは何か自分の想いを吐露していた…
かもしれない

やがて、もう自分では
ペンを走らせていなかった。

自動書記、ってやつです。
文字が勝手に。
 
わたしが神から受け取りたい言葉が
全部記されていく。

出てくる文字を見て、感動している。
なんて美しい、なんという真実だ、と。

なぜか背筋もしゃきっと
真っ直ぐに整っていて
それを見ている自分もいて。

そんなこともあり
自分にとって「神」という存在が
グン、と親しくなったのがこの頃でした。

わたしが好きな歌うこと、ジャーナリングも
突き詰めれば、この自動書記状態が
たまらなく好きなんだと思う。

つまり瞑想状態。
瞑想して生きるの。すべて。

まず最初、初動は自分の意志で動かし始めて
あとは流れている流れと繋がると
勝手に流れていく、という感覚。

生活全部がそれになっちゃったら
すごいんだろうね。

そんな老人になりたい、という
夢があります。

ほんとは今すぐにでもなりたい。

でも一朝一夕でなれるものでもないように
思っちゃったりしています。


あとがき

きょうは、きょうこそは
何が言いたかったんだ?という内容です。

これを読んでくれているあなたへ
何を伝えたかったんだろう?と。

正直、伝えたいことがあって
書いたっていうよりか
自分の想いをつらつらと勝手に語っていたのを
あなたが聴いてくれた、という感覚です。

聴いてもらえていると思うと
話せることもあるもんだよね。

そのまた逆もあるけれど。

クサイんですけど
思っちゃったから書きますけれど
あなたがいてくれて、ありがとう。

別に何をしたからとかじゃなくて
いてくれて、ありがとう。

その上で、読んでくれてありがとう。


きょうも良い一日◎

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