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魔法の使い方について。

苦しくて苦しくて
自分を変えたくてどうしようもなくて

自己啓発とか精神世界、宗教
いろいろ手を出して
「正解」をたくさん知ることができました。

その正解を切り札にして
人生は好転していきましたが

わたしは常に
正解を出さなくちゃいけないという
強迫観念めいたものに、常に苛まれてしまって

良い人間になりたい
という思いに再び縛られるようになった時期が
長いこと続いていた。


特に、とにかく
人と接することが怖かったので 

「これであなたも会話上手」
「魔法のコミュニケーション術」
「コミュニケーションの教科書」

その手の本は手当り次第に読んだ。

そもそも、幼少期から
父の前では父に合わせて母の悪口を言い
母の前では母に合わせて母の悪口を言う。

自分が好きだと思った人の前では
その人に好かれるための人間になる。

自分というものがなかった。
個性的な人に憧れて
個性的な人になろうとしていた。

だから、自分がある人だ、と
周囲からも思われていた。

実際は空洞。
人に合わせることが当たり前で
そもそも、人当たりは良かった。

ただ、大人や異性には一切心を閉ざした。

怖くてたまらない感情を認めたくないから
とにかく怒りを感じていた。 

不機嫌に突っぱねたり、
金縛りのように身体をこわばらせて
コミュニケーションの一切を
身体が拒絶してくれていた。

そういった恐れの土台のしっかりと
出来上がっているうえで
コミュニケーション術を学ぶ……。

これは一体どういうことなのか。


全治3ヶ月の全身骨折で
血塗れなのに、周囲からは
そのことに気づかれずに元気に歩けちゃう!

みんなに好かれるハッピーライフハック☆

これですね。
これをやっていたんですね。

んもう、何が何だか…!

こちとら瀕死寸前だというのに
人に好かれるために傷を隠して
元気に振る舞う。

いや、もうね、
痛々しい。わたし。
そんなことばっかりやってきた。


だからね、
ハウトゥとか魔法というものは
まさに魔界の入り口だとも思っています。

ちょっとここで
声を大にして言わせてください。

魔法を信じている人を
一切、まったく、断じて、否定していません。
伝わってますよね、きっと!


わたしの価値観の話であって、
魔法を否定したりはしていません。

それに、魔界の入り口と聴いて
それも一理あるなぁと
思ってくれているんじゃないかな、とも思います。

あくまで自分と本当の自分が
一致している実感が在る上で

もしくは、一致したいと願っている上であれば
人生の歩みを助けてくれるツールとしての
魔法、ならば絶大な信頼を寄せます。

自分が自分ではなく何者かになりたいという
心理状態ではないのであれば。


自分軸ができてからは
占いやタロット、ヒーリング、数秘術
あらゆる魔法の数々を体験して
もう…感動した。

自分を知るために背中を押してくれるもの。
自分の可能性を広げてくれるもの。

自分を知らなかった時には
何だかわからないけど
何だか凄い力があるものだった。

この数ヶ月の間に
有り難いことにそのような
セッションを受けさせていただく機会に
何度か恵まれて。

今までの自分の心の在り方では
感じることのできなかった
励ましや勇気を
受け取らせてもらうことができた。

なにより、技術はもちろんだけど
セッションをする人
その人自身のエネルギーが
乗ったものだからこそ
魔法のような力が発揮されるのだとも思った。

その人のエネルギーの心地よさが。



わたしは、ありとあらゆる
ツールを探して手に入れてきた。
doingを助けるものたち。

だけど、肝心のbeingをなおざりにしていた。

自分がどのように在りたいのか
自分をどのように扱いたいのか
自分を大切にしたい、という想いは
皆無だったので

ツールを使いこなすとしても
自己分析に過ぎなかった。

あらゆる疑いに
メスを入れて自分なりに
解釈するためのツール。

あれはこうでそれはこう。
ふむふむ。ふむふむ。

自分を動かすためではなく
思考を捗らせるためのものとしての
使い方をしていた。


自分の在りかた、beingを
安寧や、調和で満たされる事に
生き方をシフトしてからは

今まで手に入れたツール達が
自分の心を神殿のように建てあげてくれる
助けになってくれている。

だから、何一つとして無駄がなかった。
学んできたことのすべて。

そして、ボーカルレッスンをする側としても
それらはとても役立ってくれています。


時に、アドバイスというものは
その人の可能性を奪う。

特に、アドバイスを求められてもいないのに
アドバイスをしてしまった時。

それはまるで
自分で殻を破り生まれてくる鳥のヒナの
生命力を信じずに
こちらから殻を割ってやる行為。

そして、ヒナは生命力を奪われる。

それでいてアドバイスをした側は
良いことをしてやったという
正義感や使命感を満たす。

誤解を恐れずに言うのであれば、
自分の劣等感を満たす為に
生徒さんを利用している。

あなたには出来ないことが
出来る、という人としての先生。

そして立場関係が出来上がる。

出来ない人、生徒さん
出来る人、先生。

わたしは先生。
上手い人。出来る人。

先生はすごいなぁー…と言われて
気持ちがいい。

この自分に気づいた時があったんです。

これをやっていたんです。 
やっちゃっていたんです…。

こんなことをやって
いい気になっていたんです。わたしは。
嫌気がさした。吐き気がした。

この仕事を始める時に
絶対に自分のポリシーに
適わぬことはやるまい、と誓ったというのに。

やっちゃってた。

生徒さんの欠点だと思われるものを
直そうとしてしまったり

アドバイスをしすぎて
訳が分からなくさせてしまった経験があります。

自分が生徒という立場になってみたり
先生という立場になってみたりして

教えるということは一体何なのかと
省みた時、そのように
気づいた瞬間があったのでした。

そんな、迷妄に迷わせるような
ことをしていた時にこそ生徒さんからは
「先生ってすごい…!!」と
褒めそやされることになります。

そりゃそうです。

あなたはできていませんよ、
わたしはできますよ、ってことを
伝えているんだから。

妙な依存関係、パワーバランスが
出来上がってしまうのが容易である
先生と生徒さん、の関係。

魔法を使える先生が
魔法を使えない生徒さんに教えてあげる関係。

こんなことをしていては…
生徒さんはわたしに頼らなければ
自分の足で歩けない。 
自分のハートに従って歌うことが出来ない。

気づきを得る力を養えない。

ところが、わたしは頼られて気持ちがいいから
どんどん生徒さんの欠点を探す

・・・なんだこれ。気持ち悪い。

そうじゃない。
そうじゃないことに気がついた。

みんな、誰しもが
自分を邪魔しているものに気づくだけで
ひとりでに殻を破り、生まれ出て来る力がある。
羽ばたいていく。

そんな姿を幾度となく目の辺りにしてきた。

昨日もそんな瞬間に立ち会えた。
中3の女の子。
すごかった。歌ってすごいと思った。


もう、わたしは
レッスンでアドバイスはしない。基本。

だいたい、
必要な質問をする。

何を感じましたか?
本当はどうしたいですか?
何が嫌でしたか?
こんな動きをしていましたが
自覚はありましたか?

と、相手の鏡になる。
レッスンはほぼ
これだけ、といっても過言ではない。

そして、あなたにはできますよ。
もう、できてますよ、って。
可能性を伸ばすお手伝いだけ。


これだけ気をつけていても
やっちゃってるんだけどね、アドバイス。
お節介働いちゃう。

もちろん、アドバイスして欲しい方には 
全力でしたい。しています。常に。

教えようだなんて言う気持ちも
どうなのかな、と最近は特に思う。

教わることしか無い。生徒さんから。
気づかせてもらえることばかり。 

ただただ、鏡になるという
有難い役目をさせていただいている。

鏡になる、ということも
自分の経験から得た学びだけでなく
心理学などでも同じことを
説いていて確信に至っている。

今では魔法のようだと言ってもらえる
レッスンができるようになってきた。
こんな自分でも。

だけど
魔法というか…

魔法を使っているのは生徒さん本人で
わたしという単なる鏡に映るそれを見て
みなさんが魔法だ!と感動している、という…

教えるって何なんだろう
魔法って何なんだろう

言葉で言い表すと
謙虚ぶってるみたいで若干イタいですが
本当にそう思うんですよね。


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