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神さまだった⑤

《続き》


祖母と父のことは
存在しなかったものにしたくて

いわば、封印、抹消したつもりでいたけれど
触れてみたら、初めて知った。

本当は大好きな人だったということ。
本当に大好きだったということ。
それなのに手に入らないから
拒絶して憎むしかなかった。

それ程せねばならないほど
大好きだったということ。

こうやって自分を知っていったら
寂しさや悲しさというものを
知ることになっていった。

それまでは、寂しさや悲しさなど、
得体の知れない感情やら
何でもかんでも自分の傷に触れるものを
感知するたびに怒りが生じていた。 

そのパターンしか知らなかった。
いわば、もう限界を超えた
ネガティブの飽和、パニック状態による
検知機能ゆえのエラーのような。  

  
いや、むしろエラーというより
わたしの傷がこれ以上傷まぬようにと
必死に機能してくれていたんだと思う。
わたしのエゴが。

きっと、必死に働いてくれていた。

エゴは敵でもなくエラーでもなく
愛すべき存在だと認められるようになってから
自分を責めることが格段に減っていった。

ただ、それもまだここ数年のことで。

それまでは、
周りを責めるという考え方が生じると
それと同じだけか、その倍以上に
自分を責めてしまっていた。 

自分を責める気持ちや
苦しさ、やりきれなさが限界に達すると
自分の脳みそがおかしいんだ、と
耐えられなくなって 

壁に頭を打ち付ける衝動に駆られていた。
中学時代からの悪癖だった。

間違った方法で自分なりに癒やしを求めていた。 
今すぐこの苦しみから逃れたい、と。

もう何も考えたくない
わたしの考えることはすべて間違っている、
こんな脳みそを壊したい、
こんなものがあるからいけないんだ、と。

なにも考えたくない、という言葉に
相応しいほど
常に考えることは希死念慮と
罪悪感と無力感、恥、絶望だった。


時には、ストレスフルになると
何も考えたくないから食べた。

食べられるだけ食べた。
もう食べられなくなっても食べた。
何でも良いから片っ端から食べた。
食べるものが無くなるまで、
気絶するまで食べた。

ただの食欲旺盛だと思っていたけれど
これはどうやら過食症というらしい、と
気づくまでにかなりの時間を要した。

知らなかった。

これらのことが自傷癖だということを。
リストカットは、しなかった。

こんなみっともない自分は
誰にも絶対にバレないように隠した。 

人から、何にも悩みがなさそうでいいね
いつも明るくて、羨ましいよ

そう言われる度に
よかった、バレなかった
本当の自分が…と胸を撫でおろしていた。



ねえ、何が不満なの?
学校も行かせてもらって、
何不自由なく育ててもらったのに。
理解できない。

凶悪な殺人犯ですら
親を愛することは普通なのに。
親が嫌いって…絶対にどこかおかしいよ。
普通じゃない。感謝が足りないんだよ。
 
 

あんたは良いわね!誰からも好かれて!
と、職場で足を引っ掛けられて
転びそうになった。

事実、職場では
誰とでも打ち解けて
毎日が充実していた。

当時、刃渡り30cmはある
包丁を扱う仕事だったので
足を掛けられた時に驚いて
振り返ってその相手を凝視すると
「フン!」とそっぽ向かれた。

いや、昭和かよ。
どういう世界観だよ。

コイツわたしより年齢倍以上なのに
どうしようもなく終わってるな性格…。

わたしって頑張ったり
楽しそうにしていると
妬まれる、本当に疎ましい存在なんだ…

なんて。

こんな時ですら、相手の否を責めたり
自分を責めたりで。
自分を労るような、
ケアするような発想はなかった。


あなたは素晴らしい人ね
あなたはどういう育てられ方をしたの、

きっと、あなたのお父さんとお母さんが
すごく素晴らしい方なのね

ちゃんと感謝したほうがいいよ、
大事に育ててもらったんだから!



・・・・こんなようなことを
人から言われることも少なくなかった。


こういうのは、、さすがに堪えた。
飲み込めなかった。 

いや、言われなくてもやってるし。 

感謝できないけどしてるし。
してるのにまだ許せてないし。
許そうとしてるし。必死だし。

生まれながらにして
天真爛漫で幸せに生きてきたんじゃない。

執念でここまで何とか死なずに
やってこられただけなんだ。

お前の暇つぶしで
わたしにアドバイスしてくるな

お前に何がわかる
お前になんかわかんねえだろうな
軽々しく命令してくるな、



己の内で牙を剥き、生じた毒を隠して
張り付いた笑顔をして返すのが精一杯だった。
  

祖母への素直な気持ちを、
ある時期に取り戻せたのと同時に

また、良い人間になる為の仮面を
いくつも必死に手に入れることを
良しとするようになった結果のことだった。

何を言っても良いですよ、という
柔和そうな雰囲気に漂う不気味さを
放っているのは、自分でもわかっていた。

ニコニコと、張り付いた笑顔の下では
たすけて、と言えない
苦しみに満ちた形相が潜んでいた。

不気味な笑顔。
良い人そうな笑顔。

「わたしは平和な人間ですよ」
という顔をして振る舞うことで
地獄の苦しみがバレないように
取り繕うのが上手になっていた。



自己啓発はある種の
これまでの人生を全否定する
恰好のツールとなっていた。

感謝。感謝。感謝。
ゆるし。ゆるし。ゆるし。

これまで感謝やゆるしの念が足りないから
不幸で間違った人生だったのだから 

感謝しなくてはいけない。
ゆるさなくてはいけない。

必死だった。


その、自分の外へ
吐くことのない毒は全身を蝕んで
あらゆる感覚を麻痺させていった。

文字通り自分がわからなくなった。

この猛毒の作用は
自分の望んだ通りのことを
叶えてくれるのには十分だった。

何も考えられなくなれた。
何もわからなくなれた。

日付がわからない。
今日のスケジュールがわからない。
昨日も明日も。 

今、何処に居るのかがわからない。
これから何処に行けば良いのかわからない。
職業柄、スケジュールにより
場所も人も変わるのに。
 
自分は講師という立場なのに
何を教えたら良いのかわからない。
言葉がわからない。名前がわからない。

文字がわからない。
人の言葉がわからない。
言葉は耳に入れど意味が理解できない。

目が開かない。足がもつれる。
手元がおぼつかない。
言葉が口から出てこない。
人の名前もわからない。
約束したことを覚えていられない。
記憶を思い出せない。
クリエイティブな創造などできない。

レッスン中に眠気に襲われる。
教える側なのに。

寒いのか暑いのかわからない。
何を着たらいいのかわからない。

苦しいのか、体調が悪いのか、
きょうは元気なのか、体調がわからない。

自分は何がしたいのかわからない。
自分は何がしたくないのか、わからない。

思考して正解を出すことだとを
正義としていたのに
正解がわからないから
何を思えば良いのかわからない。

何にもわからなくなってしまった。

生きるのがこんなに苦しいのなら
何もわからなくなりたい
何も考えられなくなりたい 

その願いは叶ってしまった。

だけど
歌はわたしを自由にしてくれた。

混じりっけなしの漆黒
闇でしかない毎日だったからこそ
音樂の光はとてつもない眩さだった。



 

だけど、全くもって
あらゆる症状も自分を痛めつける行為も
ピタリと止んだ。

だからこうして話せるようになった。

自分を知るようになってから。 
そもそも知りたくないから
自分を無視して苦しかったのだと
今になるとよくわかる。

知りたいと思えるようになったことが
まず重要な第一歩だった。

それは、自分は生まれながらにして
罪があって罰を受けることが
相応しい存在なのだという思いから
離れることができた瞬間でもあった。

自分を愛してみたい
と、強く想うようになっていった。



わたしの内で
エゴによるコントロールがしたい欲求が
常に暴走していて、
それが効かない対象に罪を与えたがっていた。

その対象は触れるものすべて。


たとえば、何不自由なく親に愛されて
生きているように見える人間が
悩んだり嘆いたりしているのが
どうにも許せなかった。 

もう十分恵まれているくせに。
愛されているくせに。

何がまだ欲しいというのだろう、
何を嘆くことがあるのだろう、と。
ふざけんな、と。

本当は羨ましいのだという
本心に気づくことをさせないように、
エゴは必死で暴れる。

もう生きてはいけないほどの
惨めさが自分にはあることを
必死でその思いに気づかぬようにと
エゴが大暴れしてくれていた。

自分の触れるもの何もかもが
「ずるい」「ゆるせない」
「それは間違っている」という思いを生じさせた。

エゴはすぐさま、 
罪と罰を与えるべきだと騒ぎ出した。

そして、そんな愚かなことを考えたくないのに
どうしてもその考えから逃れられない
醜い自分に相応しい罪と罰を与えた。

そんなパターン化された思考から
逃れられないままで
罪と罰の世界を、真実なのだとして生きながら
「ゆるし」を得ようとしていたのだから、
いわば自分に苦行や修行を強いることになっていた。

エゴがもたらした恐れによる幻想。

先程から、エゴ、エゴ、と言っているけれど
この、エゴというのは
直訳すれば「自我」なのだろうけれど
わたしは「恐れによる反応、暴走」という
意味で用いています。

既に恐れがあって、その恐れを
感じたくないがない為に
あらゆる行為をしたくなる欲求を持つもの。

エゴ。


エゴは、無いものは「ある」と言う。
あるものを「無い」という。

その、無いものをある、ある、と
言っているから苦しい。
あるものがある。ないものはない。

ないものをある、ということを
証明するために人生を注ぐことをしたがる。

どんなにリアリティのある感覚だとしても
恐れが創り上げた世界は
すべて幻想であると知った瞬間に
覆い隠してあった真実が現れるようになる。

真実を探しても見つからなかったのに
すべては幻想であった、と
まるで夢から目覚めるかのように
気づきが起こると、真実が出現する。

それは、同時に
本当の自分が出現する瞬間とも言える。

自分が自分だと思いこんできたものは
ほんの自分の端っこのようなものに過ぎない。

それを、自分なのだと思い込んで生きている。  

確かに、現実に自分が認識した自分、
というものが自分ではあるのだけれど

それは決して自分そのものではない。


真実を外側に追い求めることは
幻想がもたらした美しい噓を
掴もうとする行為。

その幻想から覚めれば
既にすべてがあることが
明らかになるということ。

そして、こんなわたしに
何ができるかと省みると
やっぱり、歌だ。

そして

すべての人が、自分の本体
そのものの姿になって歌う姿が見たい。

わたしも、自分自身
まだまだ出し切っていない
自分の本体で歌う体験をしたいと思っている。


現在、日々音楽を通じて色々な方々と
心の交流をさせていただいていて
本当に幸せな日々を生きられるようになった。

そんな今だけど、
ある時、音楽活動を辞めることにした。
限界はとうに超えていた。

ずっとふたりで活動してきたことを
全て捨てることにした。

もう、ふたりでは音楽をやらない。

音楽どころか
もう、ふたりでいるのはやめよう、
ぜんぶ、何もかも。もうやめよう、と
話を進めていた。

このあたりのことが
あまりにも色々な事が起きた頃で
時間軸が定かでないのですが

ふたりの仲は破綻していたけれど
それでも彼は、わたしに対して
歌っていて欲しい、と願いを込めて
新しく名前をつけてくれた。
それが、わたしの名前。

もう、わたしを苦しめる
すべての呪いから解放されて、
なりたい自分になって生きて、
と願いを込めて付けてくれた名前だった。

いくらもがいても
家族の呪縛から逃れられなかった人生。

その呪いを解くかのように
これまでの名前を捨てて新しい名前を、と。

常に泣いていた、常に暗い暗い闇にいた。
闇に咲く花の美しさ。

その花を咲かせて生きて、という
彼の願いなんです。

クライさくら。

ははは。

はずかしいですね。こうやって書くと。
でも本当にそうなんです。

闇に咲く、さくら。
涙から咲く花、なんて願いを込めてくれた。

それで…
その名前をもらって健気にその名前で
活動していたら美しい話なのですが…

その名前をプレゼントされたとき…
わたしは………………………………

拒否だったんですね。
無理、でした。

いや、まずわたしの柄ではない。
さくら、って。

寅さんの妹?
さくら?

なんか…それ…
線の細い美人にしか
その名前、無理でしょ、

わたし、さくらでは………ないないない。
いや無理だって。

無理でしょう。厚顔無恥にも程がある。

しかも、クライ、って…尖りすぎでしょそれ

国籍どこの人の設定…クライさくら、って……………

いーーーや、
無理無理無理無理無理
無理、無理なものは無理、だったんです。

でも、彼のインスピレーションと
それから姓名判断、四柱推命、
占星術………

いろいろ学んで研究して
やっとこれだ!!と渾身の想いで
命名してくれた名前…………

画数も、音の響きも、
彼からすると満足の行くものができた、

と、満身創痍でプレゼントしてくれたもの
なのだと知っていたから
思い切り拒否するのは流石に忍びなく
とりあえずは有り難く受け取った。

でも、おこがましさにも程がありすぎて
とても名の名乗れる名前ではなかった。

だからその名前には、
手を付けず数年寝かせっぱなしにしていた。

彼の切なる願い、想いに
応えられない自分。
どうしようもなかった。
やはりそんな自分が許せなかった。 


ある時。

今から3年前、かな。
しばらく音楽活動は休止していたけれど

とある御縁で
ふたりの歌を聴きたい、と
わたしたちのイベントを
催してくださる方達がいて。


そこで、です。
そのタイミングで、わたしは「蔵井さくら」
という名前を使い始めたんです。

往生際悪く、名字を漢字表記にして。

そして、SNSも再開した。
アイコンも自分の顔を出してみた。
これまでには有り得ないこと。

自分を少しずつ出していった。

自分の顔なんか
人目に触れさせるなんて
公害でしかないと本気で思っていたのに。

自分を大切にしたいと思うように
なっていったら、
あれだけ苦しんだ自分の容姿も
嫌いではなくなってきた。

今は自分のことを愛すべき相棒と感じる。
大好きな友達。仲間。
理解者。家族。大事な人。

自分自身を大切な存在だと
心から思えるようになりました。

そして、このnoteを始めるに当たって
この機会に、と「クライさくら」
という名前を使うことにしました。

そして、いま
さくら、と呼ばれることにも、
「クライさくらです。」と名乗ることにも
違和感がなくなっていて。

彼の込めた願いも違和感なく
受け取ることができる自分になっていて。

自分、というものも
いくらでも生まれ変われるし
やり直せるし生き直せるし
終われるし始まれるし

なんて心境になっています。

もう、逃れられなかった
「ドラマ」も「ストーリー」も終わって
「家族」という名前の呪いから解かれて

そして、わたしはいま
自分の人生のすべてを愛おしく思います。

父母の元に生まれてきたことも
綺麗事は一切抜きにして、心から感謝していて。
嘘偽り無く。

自分の信じている「前提」が
変わると、過去も未来も変わりました。  

今、が真実だということに
安心して生きられるから。

本名である自分の名前も
今では気に入っています。

父母を愛している、だなんて
曇り無く、心から言えるようになるような
心境に至ることになった最後の決め手は
やはり瞑想でした。

その瞑想に至るまでも
たくさんの重要なプロセスがあった。

気づきが起こるたびに
人生が音を立てるように変わっていった。

そうなるに至ったプロセスは
またこちらで書く機会に恵まれたら
書いてみようかな、と思います。



ここまでツラツラと書き綴ってきて
悲劇のヒロインを
お披露目したかったわけではない。

こんなにも彼に愛されてきた
アタシをひけらかしたかった訳では
毛頭ない。

そもそもは、なんとなく
ばあちゃんのこと書いてみよーっと、
なんて思いつきで始めたことだけれど

ここまで書き終えて思っていることは
本当の気持ちに気づくことの大切さ」
伝えていきたい、ということです。

「素直な自分」になる、とも言い換えられます。

自分、自分、と思っているものって
本当の自分の
ほんの端っこみたいなものに過ぎないです。

メインとなる「本体」で
その自分で
生きることができたら生きづらさは消えます。 

本当の気持ちを蔑ろにしてきて
たくさんたくさん
失ってきたわたしだからこそ
言えることなのかもしれないなんて
思ったりもしています。 

ヘビー過ぎて、ちょっと
ここにはまだ書けなかったこともあったりして。

いずれまた機会が恵まれることがあれば
語ることがあってもいいのかな…
とは思っています。

こんなわたしだったけれど
幸せを感じて生きられています。

こんなわたしだからこそ、とも
思っています。

勇気を与えたいだなんて
言うにはちょっと気が引けますが、
わたしはわたしとして
満足して生きられるようになりました。

もう、何もかも失ったと絶望した
わたしだからこそ
既に、すべてがある、ということに
気づけたことへの喜び、
それはかけがえのないものでした。


苦しみから解放されるために修行を積むのも
素敵なことだと思います。

だけど、解放されてからの自由な人生で
残りの人生を生きたい、そんな人に会いたい。

まだそうではない人ならば
解放されていく姿を見たい。たくさん。
お手伝いがしたい。

わたしができることで
そのお手伝いがしたい。

歌を通して。あとはこういった言葉を通して。

どちらも自己開示と自己表現です。
自分を知ることになるもの。

わたしは自分を愛するとは何なのかを
ずっと探してきました。
わからなかった。
愛するという行為とは一体何なのか。

だけど、自分なりに
気づかせてもらうことができて
これだ、と確信しています。

いま、わたしが定義する
愛するということは、知ること
知ろうとすること、だと。

つまり触れること。

何の善悪もなく、
ただ、すべてを知ること。
ただ、知ろうとすること。

知ったところで
それをコントロールするでもなく。

ただ、知ろうとすること。
触れること。

自分に対して善も悪もなく、
ジャッジせずただ知ろうとすること。


そうやって、何の偏りもなく
クリアな目で見た自分。

その自分を知ると、
自分を許せるようになっていく。

自分をいじめるような
思考をしたくなくなっていく。


すると、自分が自分だと思っていたものが
剥がれていく。

そして本当の自分が出現してくる。
その自分で生きるんです。

その、視点を持てるようになると
人に対しても
そのように思えるようになりました。

罪と罰の世界から
ジャッジのない世界へ。

わたしは残りの人生を
ずっとそこに留まっていたい。

そして出会えってくれた大好きな人達と
共に生きていきたいです。



ヘビーな内容も含まれていたのにも関わらず、
ここまでお付き合いくださり
ありがとうございました。

思わぬ反響をいただいたりして
とても励みになりました。

生まれてきたくなかった、と
悩み通してきた人でも
解放されて積極的に生きることができる
ということを知っていただいて 

何か小さな小さな
布石にでもなれば、とても幸いです。

生きていてくれて、
出逢ってくれてありがとう。


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