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LAST OF EARTH

暑い、暑すぎる。どうしてこのド田舎は20分も自転車を走らせないとケーキ屋に辿り着けないんだ。こんな真っ昼間の猛暑にもかかわらず車にも乗れない。なぜなら僕はまだ運転免許も取れない高校2年生。バイクを買えって?バイクって意外と高いなと思ってしまう高校2年生。

辺りには田圃が広がり、田植えをしたばかりの稲の青葉が風に棚引いている。その間を縫うように畦道を走ると、右手には延々と続く雑木林。そこから聞こえる蝉の声が、ツクツクミンミンジージージーと折り重なり、夏の暑さを演出する。

今日は汗を流しながら同級生の彼女の誕生日を祝うためのケーキを買いに来た。
さっさと買って帰ろう。やっと辿り着いたケーキ屋の横に自転車を停めて、クーラーの冷気が漏れる手動ドアを押して店内へ。
「いらっしゃいませ」という朗らかな声と柔らかな笑顔がショーケースの向こうから飛んでくる。少し恥ずかしくなる気持ちをぐっと抑えて、会釈をしながら視線を下のショーケースに向ける。
さて、何を選ぶべきか。3種のベリーショートケーキ、チョコレートケーキ、桃のタルト、ハニーレモンチーズケーキ、他にもショーケースには魅惑的な甘い輝きを帯びたケーキたちが並んでいる。

僕も彼女も甘いものが好きで、放課後には頻繁に、コンビニで買ったアイスを食べながら帰った。

彼女はきっと桃のタルトを食べたがるだろうな、僕はやっぱりチョコレートケーキだな、なんて腕組みしながら吟味していると、後ろでドアが開く音がし、60代ぐらいのご婦人が2人入店してきた。

「暑いわねえ」、「そうねえ」という夏らしい会話が聞こえてくる。暑さを思い出してしまうから、それ以上言わないでくれと心の中で呟きながら店員の女性に桃のタルトとチョコレートケーキを指差し「これとこれを1ピースずつ」と注文する。すると、後ろのご婦人の片方がケーキ屋では聞くはずのないワードを、日常の欠片を拾い集めるかのごとく優しく平凡な口調で言い放った。

「明日、地球が粉々になっちゃうんだって」

は?

思わず僕は後ろを振り返り、ご婦人の顔をじっと見つめる。
「そうらしいですわねぇ。今朝私も隣の山本さんに聞きましてね、地球もそろそろ寿命なのねぇって話をしていたんです」
そうらしい?地球もそろそろ寿命?
ダメだ、理解ができない。ご婦人の口からこぼれ出た言葉もそうだが、その内容をすんなり受け入れてしまっているご婦人の態度や精神状態が理解できない。
「お客様。お客様」ショーケースの向こうの女性店員が僕に話しかけていることにようやく気付いた。
「は、はい。何でしょう」
「ロウソクやネームプレートはご入用ですか?」店員はペンとメモ帳を持ち、準備万端ですよ、と言わんばかりの笑みを見せつけてくる。
全くそれどころではない会話が後ろで繰り広げられている。ご婦人の会話をもう少し聞いてみたい。そう思った僕は「じゃあ、ロウソク2本とネームプレートを。名前はカタカナで、イブ」と告げた。
「かしこまりました。少々お待ちください」
店員がバックヤードに入ったところで、ご婦人が2人並んでショーケースの前に歩を進めるのを見計らい、僕はそっとレジ横に退く。
「これが最後のケーキになるのかと思うと、なんだか感慨深いわね」
「ええ、今までいろんなものを食べてきましたけど、最後の晩餐はケーキって決めてましたの」
「じゃあよーく選ばないとね」
2人は同じように腰を折り、同じようにショーケースの中の輝きに胸を躍らせる。とても楽しそうだった。2人の空間だけが過去に戻り、まるで女子高生がはしゃいでいるようにも見えた。きっとこの人達は昔からずっと一緒にいるのだろうと、その変わらない友情に憧れるほどだった。
しかし、僕はどうして信じているのだろう。地球が粉々になるという何のリアリティもない話を。普通であれば、ボケたおばあちゃんが変なこと言ってるだけだと一蹴するはずの話なのに、僕にはどうもそれができない。楽しそうに終末を迎えようとしている2人の姿が、僕の目には希望の象徴のように映るがゆえに、地球が粉々になるという未来の絶望を、拭い去ってしまっているのかもしれない。もし本当に地球が粉々になってしまったとしても、その瞬間すら笑っていられるのではないか、そんな想像が頭を過ぎったところで、店員にネームプレートの名前の確認のために呼ばれた。


結局、その後は地球の最期に関する有益な情報は得られず(ご婦人はケーキの選別に余念がなく)、仕方なくケーキが入った箱を片手に自転車に跨って帰路に着いた。昔の岡持ちを持ったラーメン屋の様相で、片手でハンドルを握り全力で自転車を漕いだ。

彼女の家でケーキを見せると、「よく分かってんじゃん、あたしが桃好きだって」とお褒めに預かった。
「まあ長い付き合いだからね」
彼女とは幼馴染で、彼女の家族が引越してきた幼稚園の頃から高校までずっと同じ場所に通っている。彼女と付き合い始めたのは高校に進学したタイミングだった。2人が一緒にいることはあまりに自然で、あまりに変わり映えがなく、あまりに居心地が良かった。きっと僕達は地球が粉々になっても一緒にいられるのではないかと思えてしまうほど、2人の存在は絶対的で、永遠を感じられる。
「よし、食べようか」と彼女はフォークと皿を取りにキッチンに向かった。今日は彼女のご両親はどちらも仕事で外出していた。
皿に盛られた桃のタルトの上には、2本のローソクと「Happy birthday イブ」と書かれたホワイトチョコレートでできたネームプレートをのせてある。1ピースだけのタルトのトップは少し窮屈そうに、ライターで灯された火を掲げている。
「17歳の誕生日、おめでとう。さあ、吹き消して」
ふっ、とひと吹きすると、ローソクは細い煙を上げながら、役目を全うして焦げた頭を垂れた。

「ここのケーキ屋さんのケーキ久しぶりなんだよねぇ」彼女は笑みをこぼしながらローソクを取り除き、ネームプレートを齧る。彼女の名前は如月いぶき。だから僕は昔から彼女のことをイブと呼んでいる。イブと書かれたネームプレートを食べ終わると、タルトを切るようにフォークを刺し入れる。
「武蔵も食べなよ」
安達武蔵、それが僕の名前で、彼女は単に武蔵と呼ぶ。学校の男友達は、苗字の頭2文字と下の名前の1文字目をくっ付けて「アダム」と呼ぶこともある。「イブの彼氏がアダムって、安直過ぎない?あたしはその呼び方なんか嫌かな」と言って彼女は僕のことをアダムと呼ぶことを嫌う。

「やっぱチョコレートでしょ」
切り取ったチョコレートケーキの端を見詰めながら独りごちる。
「武蔵ってホントにチョコ好きだよね。そんなにチョコばっかり食べてると鼻血出るよ」
「それ、迷信だから」
こんな下らない話が僕達にはしっくりくる。一緒にいる時間が長ければ、必然的に話すことなんてなくなっていくはずだけど、僕達の話は尽きることを知らない。そうだ、あの話をしてみようか。ケーキを半分ほど食べ進めたところで思い立った僕は、何気ない雰囲気を装いながら呟いた。

「明日、地球が粉々になっちゃうんだって」

彼女の咀嚼がピタッと止まり、瞬きを数回繰り返す。予想通りの反応だ。最初にこの話を聞いた時の僕の反応も間違ってなかったのだと思える。
「ああ、なるほど。武蔵くんは脳みそが粉々になっちゃったんだねぇ、お大事にねぇ」
小さい子をあやすような口調で僕をバカにする。やはり、こんな話を信じるはずないか。むしろ「そうだよ、知らなかったの?」なんて言われなくて良かったとさえ思う。笑い飛ばしてくれればそれでいい。それが彼女のいいところだから。
「なんてね」
「その冗談、全然面白くないからね」
「はいはい、すいませんでした。でもさ、本当に地球が粉々になるとしたら、最後に何したい?」
「最後か・・・」テーブルの木目を人差し指でなぞりながら彼女は考える。「ベタだけどさ、好きな人と一緒にいたいと思うよ」と告げた彼女の瞳は、僕を捉えて離さない。僕達と時間と空間が止まった気がした。ほんの数秒のことだったはずなのに、それはとても長く感じられた。彼女が続けて言う。
「こうやって甘いものでも食べながらさ、地球が粉々になるなんて嘘なんじゃないかって思えるくらい自然に、最期を迎えたいよ」
僕は今、彼女を抱きしめたいと思った。
明日、地球が粉々になったとしても、ならなかったとしても、それはあまり意味のない“しがらみ”なのかもしれない。僕には今しかない。彼女を抱きしめたいと思ったこの瞬間だけが僕の全てであり、幸福なのだ。
「そうだね。それが一番かもね」


また明日。そう約束して僕は彼女に手を振る。明日なんてないかもしれない。それでも、僕は手を振って別れを告げる。約束は、未来のためにあるのではない。その未来を夢見る今を、美しく彩るための布石なのだ。

夕陽が、遠くに聳える山肌に寄り添うようにして、町全体を紅く染め上げる。
また明日。沈みゆく太陽に小さく放った別れの言葉は、蝉の声と風の音で掻き消されていった。

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