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コンプレックスは妨げにはならない                 テモテへの手紙第二4章2節

Anita S.によるPixabayからの画像

2023年4月23日 礼拝

Ⅱテモテへの手紙
4:2 みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。寛容を尽くし、絶えず教えながら、責め、戒め、また勧めなさい。

κήρυξον τὸν λόγον, ἐπίστηθι εὐκαίρως ἀκαίρως, ἔλεγξον, ἐπιτίμησον, παρακάλεσον, ἐν πάσῃ μακροθυμίᾳ καὶ διδαχῇ.


はじめに


今回紹介するパウロが弟子テモテに書き送った手紙の中から気になるみことばを取り上げていきたいと思います。
Ⅱテモテ4:2はクリスチャンであればよく知られた聖書のことばです。
一度や二度、かならず耳にする言葉です。特に、伝道を意識したメッセージが語られる時に取り上げられる箇所ではないでしょうか。
今回は、この言葉の中にある『時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。』という勧めを取り上げていきます。この勧めの中に込められているパウロの思いというものを紹介したいと思います。

時は常に悪い


今回取り上げる箇所は、伝道の必要性と、時代の特色に応じた信徒教育という観点で若き伝道者テモテに勧めている箇所になります。

そのなかで、『時が良くても悪くても』という部分を取り上げていきますが、それは、時代背景や文化、環境というものがどうであっても、宣教しなければならないことをパウロは勧めるものです。
しかし、その本意とはどこにあるのでしょうか。
直接的には、その後の節を見ますとパウロの真意というものがわかります。

では、IIテモテ4:3-4を見てみましょう。
そこには

Ⅱテモテへの手紙
4:3 というのは、人々が健全な教えに耳を貸そうとせず、自分につごうの良いことを言ってもらうために、気ままな願いをもって、次々に教師たちを自分たちのために寄せ集め、
4:4 真理から耳をそむけ、空想話にそれて行くような時代になるからです。

出典:『新改訳改訂第3版』いのちのことば社

当時のクリスチャンの信徒たちの傾向が書き記されています。
パウロが活躍した時代、時は決して良いものではありませんでした。むしろ宣教には悪い時代であったと思います。迫害や無理解というものが宣教する地域全てにおいて存在しました。宣教するには良い時代ではなかったのです。

しかし、それ以上に、宣教を阻むものとは一体何であるのかということをパウロは示すのです。それは、教会の人々が神の御心よりも、説教者の良し悪しであったことです。パウロがテモテに宛てた手紙の内容を見ていきますと、教会のクリスチャンたちは、聖書の真理や教理よりも、自分の願いや自分好みのメッセージを聞きたいという欲求から、牧師や伝道者を取っ替え引っ替え選んでいた姿が浮かび上がります。

事実、当時の教会のクリスチャンの姿を見ていきますと、パウロの証言によれば、

Ⅰコリ 1:12 あなたがたはめいめいに、「私はパウロにつく」「私はアポロに」「私はケパに」「私はキリストにつく」と言っているということです。

出典:『新改訳改訂第3版』いのちのことば社

コリント人への手紙にありますように、信徒間で教師を選ぶ、あるいは派閥といった現象が現れていたようです。

ここで、アポロやケパといった人物が紹介されています。

雄弁家アポロ

まず、アポロという人物は、新約聖書の使徒行伝18章24節から28節に登場します。アポロは、エジプト出身のユダヤ人で、学者であると言われています。
彼はユダヤ教の律法に精通しており、雄弁家だったと評されています。

アポロは、コリントの市内でイエス・キリストを信じていたアクラとプリスキラによって、イエス・キリストの教えをより正確に助言したことをきっかけに、さらに教えを深めることができました。

アポロは、聖書の記述によれば、その後、強力な伝道者となり、キリスト教の伝道に力を注ぎました。彼は、イエス・キリストを信じる人々を励まし、教えを広めることに貢献しました。

アポロとの比較において、パウロは、口下手であったと言われています。
彼は自分自身が言葉で説明することには苦労していたと述べています。たとえば、コリント人への手紙において、

Ⅰコリント人への手紙
2:4 そして、私のことばと私の宣教とは、説得力のある知恵のことばによって行われたものではなく、御霊と御力の現れでした。

出典:『新改訳改訂第3版』いのちのことば社

と述べていますが、はっきりとこうだとは断言はできませんが、アポロの存在を暗に認識することばです。パウロは、そういう自分の弱さを感じていたようで、この節の前の3節によれば、

Ⅰコリント人への手紙
2:3 あなたがたといっしょにいたときの私は、弱く、恐れおののいていました。

出典:『新改訳改訂第3版』いのちのことば社

と述べています。そのように、パウロ自身は語る言葉に自信がなく、「口下手」と感じていたかもしれませんが、彼は神の力によって多くの人々を導き、彼の文筆はきわめて影響力を持っていたことは事実です。

ケパ(ペテロ)

一方、ケパについてですが、ケパ(ペテロ)は、新約聖書に登場する12使徒の一人で、イエス・キリストに最も近しい弟子の一人とされています。彼は、漁師であり、イエス・キリストに出会う前はガリラヤ湖で漁を営んでいた人物です。

イエス・キリストは、ケパを自分の「岩」(ギリシャ語でペテロ)と呼び、教会を建てる「岩」としての使命を与えました。ケパは、イエス・キリストの死後、その教えを広めるために使徒の一人として活動し、多くの人々をキリスト教に導きました。

ケパは、使徒言行録や新約聖書の書簡によく登場します。彼は、強い信仰心を持ち、イエス・キリストの使徒たちの中でもリーダーシップを発揮していました。しかし、彼にも不完全な部分があり、イエス・キリストを裏切ったり、偏見や誤解にとらわれたりすることがありました。

ケパは、キリスト教の歴史上、非常に重要な役割を果たしており、カトリック教会では、初代ローマ教皇とされている人物です。

ケパ(ペテロ)といえば、イエス・キリストの愛弟子であり、十二使徒を代表する人物ということになると、そうした比較をされるとなると心中穏やかになるのは難しいかと思います。

パウロは、イエス・キリストが地上におられた時期には直接の弟子ではありませんでした。しかし、イエス・キリストの死後、復活されたキリストについての啓示を受け、キリスト教の布教に大きく貢献したため、後に「異邦人の使徒」として讃えられることになりました。パウロは、自らを使徒と自称していますが、保守的な信徒の中には、パウロの使徒性に関して疑問を持つ、使徒として認めないという人々の存在があったようです。

比較されて悩む


Ⅰコリント 1:12を見ますと、初代教会を代表する3人の人物が紹介されています。雄弁家アポロ、十二使徒のトップと目されるペテロにせよ、非常に有能かつリーダー性に溢れた人物であることは、一目瞭然です。

そうした人物がパウロから紹介されているということを見ていきますと、パウロ自信、彼らに対する尊敬と羨望といったものもあったことでしょう。もちろん人間ですから、彼らに対するひがみもあったのかと想像してしまうのです。そうした比較を信徒たちからされるとなると心中穏やかになるのは難しいかと思います。

コリントの教会で先に活動するアポロ

使徒の働き18章によると、パウロはコリントに到着した際に、最初はユダヤ人たちの集会所で説教を行いました。ところが、彼の説教に反発した人々から迫害を受け、新たに信仰を受け入れた人々と共に、コリント市内に移り住んで宣教を続けました。その後、パウロに仕えるシラスとテモテが到着し、パウロは彼らと共に伝道を行いました。

一方、アポロは、コリントにパウロよりも早く到着し、既にキリスト教の説教をしていました。彼は、聖書に通じ、キリストについての教えに熟知していたため、多くの人々から支持を受けました。しかし、彼の教え方にはまだ足りない点があり、アクラの夫妻というキリスト教徒の夫婦によって、より正確な教えを受けたわけですが、実は、パウロよりも先にアポロがコリントに到着して、教会の人々にメッセージをしていたのです。

コリントの教会では、アポロに薫陶された教会員が多数いました。そうした後に、パウロがコリント教会を訪れ、メッセージを行いました。アポロの感動の後に、次はパウロが訪ねてくるという期待に胸を踊らせていたのではないでしょうか。
かねてからパウロの手紙を読んでいたコリントの教会の人々は、パウロの筆に感動し、彼の言葉を直接聞いてみたいという聴衆であふれていました。ところが、いざ、パウロが語りだすとどうでしょうか。
あの一読三嘆の著者から直接言葉をいただけるという期待を裏切るものであったようです。コリントの教会の人々からはメッセージへの不満と落胆が広がったようです。

Ⅱコリ 10:10
彼らは言います。「パウロの手紙は重みがあって力強いが、実際に会った場合の彼は弱々しく、その話しぶりは、なっていない。」

出典:『新改訳改訂第3版』いのちのことば社

コリントの教会の人々のパウロに対する評価はこういうものでありました。

言うまでもありませんが、パウロの前に来たアポロと比較されるわけです。心打たれるメッセージを行ったアポロは素晴らしいということになります。アポロに教会を委ねたいと思う人も出てくるはずです。パウロは頼りないという評価を受け、教会を離れた信者も存在したかもしれません。

こうしたことを見ていきますと、若い伝道者であったテモテは、自分はメッセージを語ることができるのだろうか、自分が教会を任されたからといって、経験もなく、ましてや前任者が立派な先生の後任になったとしたら、躓かせてしまいはしないだろうかという不安もよぎったと思うのです。

そうした、テモテへの気持ちを察して、教会運営のリスクについてパウロはアドバイスをしているわけですが、その中でも特に、自分のコンプレックスへの対応が伝道の妨げになるということを示唆しています。

コンプレックスへの克服が鍵か


パウロは、こうしてみていきますと、コミュニケーションにおいてコンプレックスを抱えていたことが理解できます。また、体調が悪く、時には目の不自由さや身体的苦痛を訴えています。彼は、自分の弱さを恥じているようであり、自分自身を縛り付けるようなことを言及しています。Ⅱコリント12:9では、自分の身体的な弱さがありつつも、それを克服するために神の力を借りることを示しています。こうした要因が、パウロ自身が、他人からの批判や不満を過剰に気にする傾向につながったと考えられます。
彼は、自分のコンプレックスや肉体の弱さについて何度も祈り求めたようです。しかし、結局は与えられなかったようです。

Ⅱコリント人への手紙
12:7 また、その啓示があまりにもすばらしいからです。そのために私は、高ぶることのないようにと、肉体に一つのとげを与えられました。それは私が高ぶることのないように、私を打つための、サタンの使いです。

出典:『新改訳改訂第3版』いのちのことば社

こうしたパウロの記事を見ていきますと、彼の気持ちが痛いほど理解できます。私自身も、『口下手』な人間ですから、パウロの心理というものを想像できます。メッセンジャーとして、口下手というのは致命的だと思うのです。献身を考えた人の中には、自分は話が下手で、話が続かない、人とのコミュニケーションがうまく取れないと思って献身を諦めた人も中にはいるかも知れません。

だからといって、献身を祈っている方々におすすめしたいのは、『口下手』だから、話すのが苦手・・・といって献身を諦めてはいけないことです。神があなたを召したならば、あなたは主の召しに委ねることを大切にしていただきたいとおすすめしたいのです。

たしかに、「この牧師は、メッセージするために生まれてきた方だ…」と思う牧師もいるのは事実です。私自身、弁舌にすぐれた方を見ていきますと、うらやましいと感じたこともあります。

しかし、たとえ口が下手であったとしても、私たちは、主のお言葉に従うべきものです。私は、若かった頃、初めて教会で信徒メッセージをしたときに、何も語ることができず、講壇の上で号泣してしまったことがありました。しかし、今や私は講壇の上で語ることができるように変えられました。

もちろん語れるようになるためには、相応の時間がかかったのは言うまでもありませんが、神はかならず知恵と力を与えるお方だということを教えられました。旧約聖書のモーセも口下手な人であると記されています。

出エジプト記 
4:10 モーセは主に申し上げた。「ああ主よ。私はことばの人ではありません。以前からそうでしたし、あなたがしもべに語られてからもそうです。私は口が重く、舌が重いのです。」

出典:『新改訳改訂第3版』いのちのことば社

モーセも、自分が口下手であることを告白してます。しかし神は、モーセに対して、必要な力と助けを与え、モーセを神の人として用いてくれました。

モーセは、召命にあたり、決して前向きではありませんでした。神の召しを断ってすらいるのです。

神は、コンプレックスを抱いていたモーセを遣わしました。
モーセは神に前に働くことは無理だと認識していました。若い頃には、虐待されたユダヤ人を助けようとしてエジプト人の現場監督を殺してしまった過去があり、エジプトからは指名手配犯という負い目がある。また、口下手な私が、エジプトの王の前に立ってユダヤ人をエジプトの奴隷から解放を宣言することなど、とてもじゃないけど自分には担えない、できるはずがないという拒絶するだけの理由がありました。

パウロもそうでした。パウロはかつてはクリスチャンを迫害した側の人間でした。パウロの捕縛のせいで命を落としたクリスチャンもいたかもしれません。しかも、人が目を背けるような障害もあったようです。たしかに学識は非常に高く、パリサイ派ユダヤ教思想の開祖の一つでもあったヒレルの孫ガマリエルの熱心な門下生ということですから、当時のユダヤ教のエリートでもありました。ところが、弁舌に秀でているわけでもない。エリートでありながらも、すべてにおいて秀でていたわけでない、クリスチャンを迫害下側の人間ということで、彼も相当なコンプレックスを抱えた人物でありました。

しかし、モーセにせよ、パウロにせよ、それぞれ大きなコンプレックスを抱えながらも、神から委ねられた責任を全うするためには、自分が抱えているコンプレックスを何とか克服しなければなりませんでした。

多くの人は、自分がコンプレックスを克服するためには、並大抵の努力では済まない、時間や労力を積んで鍛錬をしなければ克服できないと思う人もいるでしょう。しかし、モーセやパウロを見ていきますと、コンプレックスの克服の鍵は、そういう自分の力に頼るものではない、彼らはただ『神の御心に委ねる』ということにつきます。

私たちの努力はもちろん必要ですが、それ以上に、努力ができるようにしてもらえるのも、神の導きです。モーセやパウロだけではありません。
神は『あなた』を招いておられます。
それも、自分の弱い部分、コンプレックスに働く神です。

自分の弱さは弱さで終わるものではない。
また、自分のコンプレックスがコンプレックスのままで残されるわけではありません。

事実として、現実として、私たちには弱さは弱さとして残っているかもしれません。また、コンプレックスはそのまま相変わらずのままでしょう。

しかし、パウロやモーセの証しを見ますと、彼らは決して立派ではなかった。むしろ、弱さやコンプレックスに生きていた人物です。そうした意味では私らと何ら変わることない人物でした。

彼らが、常人と異なる点はいったいどこにあるのでしょうか。

それは、人間の弱さというものを益として、神のご栄光として働く場であることを示したことにあります。

『時が良くても悪くても』と今日読んだ箇所にありますが、そうしたものは、神の側では一切関係ありません。

神は環境の悪さ、逆境、人々の弱さや欠点をも使って、私たちを伝道や奉仕のために用いることができるということを強調しています。神はみここによって事をなすお方であることを私たちは覚えなければなりません。

私たちがどうであろうと、私たちは神の器として生きていますでしょうか。
ぜひ、クリスチャンの方々は覚えていただきたいのです。
あなたをすべてをさらけ出して、用いられていきましょう。
あなたの恥ずかしい部分にこそ、神は働き、伝道のために用いてくださるということです。

弱さにこそ働いてくださる主に明け渡していこうではありませんか。
アーメン。