泉岳寺交差点と「忠臣蔵を見ていない」とゲートウェイ
泉岳寺交差点は第一京浜の交差点で、目下建築中の高輪ゲートウェイに通じるコの字の北の部分に交わる場所。
名前の通り、坂を少し登ると泉岳寺があり、ここは忠臣蔵で活躍した赤穂四十七士が眠る墓がある。
大石内蔵助、吉良上野介、赤穂四十七士、松の廊下などは忠臣蔵には欠かせないパーツで、ストーリーもわかっているのになぜか冬になると見ていた(約二十年ぐらい前まで)。年の瀬と言ったら忠臣蔵を見るのがなぜか定番だった。
しかし、ここ最近、年末に忠臣蔵を見ていない。
言われてみると、そもそも、しばらく、放送していない。
たぶん今の若者20代以下の多くの人が、忠臣蔵を見たことがないのではなかろうか。
なぜ、最近、忠臣蔵を見なくなったのか、ちょっと考えて調べてみた。
そして行き着いたサイトはここ。
仇討ち、忠誠心など現代の価値観にそぐわなくなってきた、
とかなんとか価値観や概念の陳腐化など理由は色々後付けできるが、
やはり、原因は制作するための金らしい。
世の中、金じゃ。。。
さて本題の泉岳寺交差点、交通事情を少々。
伊皿子交差点から坂を下ってきた場合、
赤矢印が二本、第一京浜右折、これが品川駅高輪口方面。
青矢印が一本、直進が高輪ゲートウェイ、左折は浜松町方面。
この車線設定より、
都心の内陸から、品川駅に行きやすいような道路計画が読み取れる。
タイミング的には先に泉岳寺交差点の左折青矢印が出て、
その時、同時に、第一京浜の下り方向で泉岳寺交差点を右折する(伊皿子方面)矢印が出ている。
(だから第一京浜において、この交差点はUターン不可)
その他は特に変わったところは見当たらない。
話は変わるが、高輪ゲートウェイは名前を決める公募の際に、一悶着あった。
最多応募の名前が採用されず、何位かは失念したが、なぜか選ばれた「高輪ゲートウェイ」。
命名のプロセスにおいて透明性はゼロだった。
なにせ公募順位130位が採用されるのだから。
公募する前からもう駅名は決まっていたのではと思えるほど。
それを揶揄してかどうかはわからないが、当時現役大学生のくらげさんが山手線の駅のパロディ版を作って、いっとき盛り上がった。
田端、大塚、田町、五反田、有楽町はちょっと💦
個人的には巣鴨グランドマザーズが何気にかっこいい。
ユーモアたっぷりで面白い。
このように泉岳寺周辺はまだまだ話題に事欠かないスポット。
特に高輪ゲートウェイ駅管内はいろいろ実験的な店やサービスが展開されていて、
ちょっとしたエンターテインメントを楽しむ目的で下車しても面白いかも。
それではまた。