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【私の留年体験記】彼氏が自死したあの日から人生が変わった②

インカレ留年サークルクロッカス所属ののりたまです。今日の投稿は「【私の留年体験記】彼氏が自死したあの日から人生が変わった ①」の続きになります。




1人になって


Aが死んだことを受け止めきれず、何にも集中できなくなったり、突然泣き出したりして夜も眠れない日々が続いた。ずっと胸が詰まったような感覚で、食事が喉を通らなかった。警察署でAのことを聴取されたり、Aの家族とAの部屋を片付けたりするうちに、少しずつ現実を受け止めていった。

Aが飼っていた猫は、私の部屋で飼うことにした。幸い部屋で預かっていたことがあったため、すぐに環境に慣れて懐いてくれた。今思うと、猫を引き取ってなかったら、今よりもっと精神が壊れていて、もしかしたら自分も自死を選んでいたかもしれない。猫の存在には今も救われている。

大学には行けなくなり、オンライン授業ですら受けられなくなった。1カ月休養を取りましたが復帰できなかった。期末のオンラインの試験だけはなんとか受けて、2年前期は4科目だけ単位を取ることができた。


精神の限界


2年後期から対面授業が増えていったが、体調のこともあり、すべてオンライン授業で受けられるように申請した。初めは全ての授業に出席し、順調に課題をこなしていた。

後期が始まって間もなく、大好きだった祖父が病気で他界した。突然のことにショックで、家でも葬儀でもたくさん泣いた。葬儀のため青森へ行き、直接祖父の顔を見てお別れをした。

家へ戻ってきて、大学が半期を過ぎたあたりから異変を感じた。昼夜関係なく突然涙が出る。眠れない。文章や話が頭に入ってこない。動悸で集中できない。手が震えて字が書けない。まともに授業を受けられる状況ではなくなっていた。限界を感じ、病院に行った。うつ病と診断され、この日から服薬生活が始まった。医師からの勧めもあり、後期の途中で休学を決めた。ここで留年が確定した。


一進一退


3年生の前期が始まると同時に復学した。私の学科は全ての授業が対面授業で行われることになり、週5日大学へ通う生活が始まった。ただ、復学したからといって全回復したわけではなく、通院と服薬をしながら通っていた。初めは問題なく出席し、課題もこなせていた。

しかし、忙しさからか次第に生活が上手くいかなくなっていった。家事ができなくなる。突然涙が出る。朝起きられなくなる。気づくとだんだん希死念慮が強くなっていた。家族に泣きながら相談して、前期いっぱい大学を休むことになった。夏休みの間に一人暮らしをやめて実家に戻り、後期から家族のサポートも受けて大学へ通うことにした。

通院をしていくうちに、薬の副作用に苦しんだ。眠気が強いと昼まで全く起きられないこともあったし、薬が残ってめまいを起こすこともあった。でも薬がないと気分の調子が悪い。落ち込んだり、頭がごちゃごちゃしてタスクを上手くこなせなかったりすることが多かった。体調に合わせて薬の種類も量も調節してもらったが、薬は増える一方だった。

万全の状態でないまま後期が始まった。副作用を克服できず、朝起きられなかったため、早々に1・2限の授業に行けなくなった。最終的に午後の科目と出席点がない科目のみ試験を受けられた。3年後期のGPAは0.74。ほとんど取れていない。


インカレ留年サークルクロッカスとの出会い


3年生の11月頃にインカレ留年サークルクロッカスに出会った。休学してクラスメイトと時間割が被らなくなり、仲良くしていた友達と話す機会がなくなった。同じ境遇の学生とつながりを持ちたいと思い、インカレサークルを探すことにした。そしてX(旧Twitter)で「留年_サークル」と検索して出てきたのがクロッカスだった。

初めて活動に参加したときのことは今でも鮮明に覚えている。
飛び交うネットミーム。体育会系の声量。喫煙率の高さ。隣の席の知らない人とテキーラを交わす人。酒が並ぶテーブルの中で、誰にも手をつけられていないハイボールのピッチャー。
衝撃だった。「留年」「大学生」という共通項だけでこんなに面白い人たちが集まるのか。でもなぜか居心地が良かった。

今でもこのコミュニティが好きだ。


つづく

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