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【私の留年体験記】彼氏が自死したあの日から人生が変わった ③

インカレ留年サークルクロッカス所属ののりたまです。今日の投稿は「【私の留年体験記】彼氏が自死したあの日から人生が変わった ②」の続きになります。



逃亡

だんだんコンビニエンスストアでのアルバイトが苦痛になっていった。まず客がストーカー化した。仕事が終わって、事務所で雑談をしてから店を出ると、木陰から自転車で走ってきて、声をかけられ連絡先を聞かれた。なんと1時間半出待ちされていた。これはさすがに警察に相談した。しばらくはストーカー客の来店に怯えながら働いた。

加えて店長のセクハラに悩まされていた。下の名前で呼び捨ては当たり前。LINEの語尾はだいたい♪がついていた。なぜか出勤するたび「好き」と告白され、冗談ではあったものの、いつも反応に困っていた。もちろん社内で問題になった。他にも同じようにセクハラで悩んでいた社員やバイトがいたらしく、内部告発があったそうだ。社長に怒られ、次やったらクビとまで言われたらしい。(後日談だが、私が辞めた後にもう一度やって訴えられ、降格になったらしい)

次第に仲良くしていた社員が別の店舗へ異動になり、一番よく組んでいた同期のおじさんが店長と合わなくなって辞め、馬が合う人がほとんどいなくなってしまった。夕勤で一番頼れるもう一人の社員の異動が決まったタイミングで辞めた。仕事ができる人が次々に消えていったからだ。私はしわ寄せから逃亡した。


新しい環境
コンビニエンスストアを辞めた後、カフェで働くことになった。レシピ、レジ操作、配置、覚えることは山積みだったが、苦ではなかった。カフェ店員になるのが憧れだったからだ。たくさん失敗した。たくさん怒られた。それでも成長を讃えてくれる環境で、なんとか挫けず頑張れた。後に入院をすることになり辞めてしまったが、カフェでの1年間は私を成長させてくれたと思う。

カフェで働き始めて少し経った頃、恋人ができた。年上の人とも社会人ともほとんど付き合ったことがなかったので、新しい経験ばかりで刺激的な日々だった。広い視野を持っていて、私が思い悩んだ時も力になってくれた。付き合っていくうちに自分の未熟さを思い知らされた。彼には本当に救われた。ちなみに6月にお別れしたばかりで、ショックで未だに立ち直れていない。


入院を決意
4年生になり、通院と服薬を続けながら大学に通っていたが、薬の効果が薄れてきて、量がどんどん増えていった。さらに副作用の眠気が強まり、動けなくなる日々が続いていた。そこで主治医からECT(電気痙攣療法)という新たな治療法を勧められた。簡単に説明すると、脳に電気を流して刺激する治療だ。治療の間は麻酔をする必要があったため、日帰りではできなかった。そのため、休学して約1カ月半入院して治療することを決めた。

病院で朝6時に起床、夜10時に就寝という規則正しい生活を送っていたことで、体調が安定してきた。治療の効果もあり、薬の量が半分ぐらいに減った。希死念慮や突然涙が出ることはなくなった。


現在の状況、これから
大学は今年で在籍5年目になるが、現在も休学をしている。主治医の許可が出たため、今年度の後期から復学する予定だ。あと2年半の学生生活を存分に満喫しようと思う。

薬は炭酸リチウム、オランザピン、ラモトリギン、イフェクサーを1日計7錠飲んでいる。落ち込むことは減ったものの、気分に波があって、無気力感や動悸で思うように活動できない日もある。病気の影響なのか、元々コーヒーが好きなのにカフェイン過敏になってしまい、摂ると動悸で手が震えたり落ち着かなかったりする。


今でも時々うつ病になった自分を恨むことがある。もちろん病気になりたくてなったわけではない。このまま治らないのではないかと、将来が見えなくなることもある。それが原因で恋人に振られたこともあった。心身ともに健康で、自信満々に堂々と人生を謳歌している人が憧れで羨ましい。

でも病気になる前に戻りたいとは思わなくなった。経験は人を強くするから。今苦しんでいるこの時間は無駄ではないし、むしろ誰よりも成長できるチャンスでもある。そう信じ、自分のために日々変わり続けていく。そして誰かに憧れられるような素敵な大人でありたい。

人生は1度きり。私は強く生き続けるよ。

おわり



拙い文章ではありますが、私の約4年半を書き切ることができました。
最後までお読みいただきありがとうございました。

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