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01-孤独についての考察

 夜中に目が覚めて、外は雨が降っていた。昨日はちょっといいことがあって、奥さんが作った梅酒をサイダーで割って、グラスに一杯飲んだのだが、昼に2時間ほど雨の中を歩いたせいもあって、すぐに身体がグラグラになり、その場で横になって寝てしまっていた。

 奥さんに起こされて、ベッドに移動して寝たのだが、夜中に目が覚めて、雨の音を聞きながら少し考えてしまった。それは、自分の孤独についてだ。

 僕がかつて、霊界でエンマ様と議論して、「それなら思うようにやってみなさい」とエンマ様から言われて、今の僕として生まれてきたという話を霊能師匠の山村さんから聞いたことがあるのだが、その話について、夕食の時に奥さんが、僕の考えはとても変わっているから、エンマ様もほとほと手を焼いて、僕の好きにさせるようにしたのだと思う、と言った。奥さんから見ても、僕はとても変わっているのだそうだ。しかし僕自身はそのことを自覚しておらず、なぜ他の人が自分の考えを理解できないかがわからないのだそうである。

 奥さんに僕と同じタイプの人間を知っているかと聞いたら、僕達には結構変わった知り合いが多いのだが、他のどの人とも違うタイプで、本当に独特だと言われた。僕がそれを自覚していて、あえて開き直ってやっていたり、内心気にしていたりするのならわかるけど、自分が特殊であるという意識が全くないので、これからも苦労すると思うよと言われた。

 ちなみに奥さんの性格はどうかというと、何かの占いで調べてもらったところ、人並みはずれた大衆性を持っているとのことで、その大衆性は宮崎駿レベルだということだった。「正反対の性格だから結婚することになったのかなあ?」と奥さんは言った。

 自分が人と違っているという意識は、小学校3年生くらいから持ち始めただろうか、4年生の時、書道の時間に、色紙に「大」という字を書こうとして、結果的に、「一人」という字のバランスで書いてしまったことがあった。当時はただ書き損じたと思っていたのだが、数十年後に押入れからその色紙が出てきて、もしかしたら自分は「大」ではなく、「一人」と書こうとしていたのではないか、ということに気付いたのが15年程前のこと。

 それ以来「一人ってどういう意味だろう?」「一人で何かを成し遂げるという意味だろうか?」などと考えていたのだが、もしかしたら「一人」というのは「あなたのような人は一人しかいませんよ」という意味なのかもしれないと思った。もちろんそれは、いい意味にも悪い意味にもとれる。

 僕は大学の卒業論文では、太宰治の「人間失格」をテーマにしたのだが、あの小説は主人公の大庭葉蔵が、ことごとく人間社会に適応できず、若くして廃人のような暮らしをするに至る、というような内容である。しかし、最後に知人の口から、大庭葉蔵は「神さま」のように純粋無垢だった、と語られるのである。

 つまり、「人間以下」だったから「人間失格」したのではなく、「人間以上」だったから「人間失格」してしまった、というストーリーになっているのである。まあ、「神さま」のような人が人間社会で暮らしていたなら、それは孤独だっただろうなとは思うが、このことで「太宰治は傲慢だ」などと、特にキリスト教系の研究者などから言われたりもした。

 しかし、僕はそうは思わない。そもそも「神さま」が立派なものだとは思っていないからだ。太宰の他にも、色々なアーティストの作品に魅かれていたが、それぞれに自分が所属しているジャンルからも、少しはみ出していて、もちろん一般社会にも適応できず、独自の作品を作っている人ばかりだった。おそらくみんな孤独なんだろうと思っていた。

 僕が自分の孤独について悩み始めたのは、中学生くらいの頃からだが、自分の考え方が、他の人と大きく違うことが原因だとは思っていなかった。ただ、なぜ僕と同じような感性の人と出会えないのかは、ずっと不思議だった、というかずっとそのことで悩んでいた。

 自分なりの選択でバンド活動をやったり、自主制作映画を作ったりもしてみたが、バンドをやるにしても、映画を撮るにしても、最低でも何人かは、自分と同じような感性の人がいなければ、物事が前に進まない。かといって、僕がリーダーだからという理由で、強引に自分のやりたい方向へ持って行くのは嫌だった。それで結局、バンドもやらなくなったし、映画も撮らなくなっていった。

 かつてフランツ・カフカが、インタビューで、「あなたはそんなにも孤独だったのですか?カスパー・ハウザーのように?」と聞かれ、「いいえ、私はもっと孤独でした。そう、フランツ・カフカのように」と答えたそうなのだが、僕も、孤独だったことでは誰にも負けないかもしれないと思っている。


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