17-桐井のこと

 僕の高校の同級生の桐井は、霊能師匠の山村さんから「あんたの前世はわからんね」と言われた。前世がわからないと言われる人は時々おり、そういう人は、大抵は大きな組織で高い地位についていたようだ。そのような人々は、その組織の掟に忠実に従い、自分の意志で生きていないので、個人としての人格が見えてこないのだということだった。

 もうひとつ、他の部族から支配された一族のように、強い弾圧を受けて全てを封じこまれたような前世を持っている人々も前世が見えてこないとのことだった。桐井の場合はどちらであるかもわからなかった。

 桐井には総合病院で勤務医をしている叔父さんがいた。大きな病院には、必ず霊を見たというような話があるが、そこの病院にも「夜中に死んだ患者さんとすれ違う廊下」というのがあり、看護婦さんたちの間では評判になっていたそうだ。そして、その叔父さんも、時々、夜中にその廊下で点滴をつけた患者さんが歩いているのを見ると言う。

 しかし「もしそんなものの存在を認めてしまったら、自分の信じている医学の基礎が根底から崩れてしまうので、夜中で疲れていることと、看護婦たちの噂話を聞いていたことが合わさって、自分の脳内で幻覚を作り出しているのだと考えるようにしている」と言っていたそうだ。かつて唯物主義者だった僕はこの叔父さんの気持ちがよくわかる。

 桐井の父親は早くに亡くなっている。桐井の父親は徹底したマルクス主義者で、九州大学で経済学の講師をしていたそうである。その父親の影響で桐井も唯物論に固執していた。

 その父親が死んだ時、桐井は中学生、上の妹は小学生で末の妹は幼稚園だった。入院していた父親が危篤状態になり、桐井と上の妹は学校に連絡が来て病院に駆けつけた。末の妹は、その日は幼稚園を休んでおばあちゃんと家で待機しており、おばあちゃんが連絡をもらって出かける準備をしていた。しかしその頃、父親は病院で亡くなっていた。

 準備を終えた末の妹が縁側に立っておばあちゃんを待っていたら、庭の土から白い煙が立ち昇り、人間の形になった。妹はおばあちゃんを呼んだが、おばあちゃんが来た時にはもう消えていたという。

 この出来事の意味は唯物論的には説明がつかないのだが、桐井は、唯物主義者であるにもかかわらず、こういう話を実際にあった話として人にするという、自己矛盾を抱えていた。その矛盾が悲劇的な結末をまねくことになる。

 2003年の夏の日、桐井が死んだ。まだ38歳、ガンだった。通夜にも葬式にも行ったが、彼が死んだという実感はなかった。彼自身にも自分が死んだという実感がなく、まだそのあたりをさまよっているのではないだろうかと思ったのだが、色々な「常識」を信じこんでいる僕には桐井の姿を見ることはできなかった。

 当時僕の子供が4歳だったので、先入観のないこの子なら桐井と会えるかもしれないと思い、葬式の日の夜、寝る前に「もし桐井くんに会ったら教えてね」と子供に言った。

 次の朝、子供は「桐井くんに会ったよ」と言った。「どうしてた?」と聞くと「公園にいたんだけど、プンプン怒ってた。怒りながら公園を出て、道路を渡って、機関車に乗って行ってしまった」と言う。

 子供はついて行こうとしたのだが、道路を渡るスピードが早すぎてついていけなかったのだそうだ。「そうか、怒ってたのか、そして行っちゃったんだね」僕は納得した。

 2006年の9月24日、桐井が夢に出てきた。夢の中で僕は不気味な古い一軒家の玄関のあたりにいる。そこは僕の家なのだが、何日も留守にしていて、不気味で一人では入りたくない感じである。

 その家の、玄関先のちょっとした庭のような場所に、寝椅子のようなものがあり、そこに桐井が横たわっている。僕は桐井に、「そんなところにいたら蚊に刺されるから中に入りなよ、今日はうちに泊まって行くよね?」と聞く。桐井は答えずに半身を起こすのだが、全裸なのである。生前桐井とは一緒に風呂などに入ったことはなく、全裸の姿を見たことはなかった。

 これは、山村さんから聞いていた話なのだが、人は死ぬと霊界へ行き、まず最初に、霊界でのしきたりを学ぶそうである。この期間が約一ヶ月間で、どうも仏教でいう49日というのは、この期間を指しているようなのである。

 次が懺悔の期間。自分の一生を振り返り、あのときはこんなことがあった、あのときはどうしてこうしてしまったんだろうか、と、反省会があるそうだ。その時にマンツーマンでついて指導してくれるのが「閻魔さま」であるそうだ。この懺悔の期間は、早い人で1年、普通の人は大体3年から5年くらいで、人によって個人差があるそうである。

 懺悔の期間を終えると霊界での出発地点が決まり、霊界での修業が始まる。出発地点とは、大雑把に言うと、霊界には、地獄と極楽と愛の世界の3つがあり、その人の魂の成長の度合いに応じて、地獄では力の修業を、極楽では問答の修業を、愛の世界では守護霊として人間を導く修業をするそうである。

 霊界での修業が始まると、以前の人間だった頃のその人ではなくなり、新たに霊界の住人となるので、霊界での自分の出発地点が決まった時に、かつて地球上でお世話になった人に本当のお別れのあいさつをしに来ることがあるようなのだが、どうもこの桐井の夢はそれだったようである。2006年の9月24日というのは、桐井が死んでから約3年と2ヶ月目にあたるのだが、それはちょうど、約1ヶ月間霊界のしきたりを学び、それから約3年の懺悔の期間を終えた頃に相当するのである。

 立ち入った話になるので詳しくは書けないが、実は桐井は、ちょっと考え方に問題があり(唯物論に強く固執していた)、そのことに気付くための「試練」(最初の子供が脳性麻痺で生まれたことや、自分自身が末期の大腸がんになったことなど)も、桐井の身の上にふりかかってきていたので、僕が「このままではやばいことになりそうなので、なんとか軌道修正できないだろうか」と思って、無理矢理2回程山村さんのところへ手を引っ張るようにして連れて行っていたのである。

 しかし、桐井は山村さんの言うことが理解できず、というか、頑なに理解しようとせず、むしろ僕を避けるようになってしまった。そして、しばらく連絡をとらずにいる間に、僕が危惧していた通り桐井は末期ガンになっていて、見舞いに行った時にも全く僕の話を聞こうともせず、そのまま亡くなってしまったのであった。

 それで、僕は大変悔しい思いをしたのだが、やっと最近になって、周りがどんなに心を痛めても、本人にその気がなかったら、たとえ山村さんのところへ連れて行っても、その人の人生が前向きに変わるということはないんだなと、あきらめがつくようになりつつあったのである。

 でも、そんな彼も、懺悔の期間に、閻魔さまからアドバイスされて、これから霊界に行くにあたって、一目僕にあいさつに来てくれたのだと思う。全裸だったのは「これから全てを脱ぎ捨てて、赤ちゃんのように裸になって生まれかわります」という意味だったようである。

 夢の中の桐井は一言もしゃべらず、赤ちゃんのように無心な眼で僕を見ていた。しかし、赤ちゃんのようなかわいい裸ではなかったけどね。でも、本当によかった。少しは僕の言いたかったことが伝わったように思え、おかしくて笑えたし、嬉しくて涙が出た。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?