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わたしと母の恩師

妊活を考えはじめた影響なのか、この頃なぜか子供時代のことをよく思い出します。私は幼稚園から小学3年生の終わりまで兵庫県の海沿いの町に暮らしていたのですが、その頃は全てが楽しくてたまりませんでした。家族との時間に、お友達、学校生活。そんなたくさんの大好きのうちの一つが、1年生の頃に担任をしてくださったツリカワ先生でした。

ツリカワ先生は母親よりも年上のベテラン感溢れる教師でした。凛としているのに柔和な女性。そしてツリカワ先生の書く美しい文字は7才の私の心を一瞬でわしづかみにしました。まさしく国語のお手本のような文字、と言えば伝わるでしょうか。「先生みたいな字を書けるようになる!!」と来る日も来る日も先生の文字をマネて練習したものです。

他内容は割愛しますが「図工の時間に赤いお花を黒く塗ってバカにされた事件」や、「クラスの男子と大乱闘事件」など、何があってもまず私の気持ちに耳を傾けてくれたツリカワ先生。こうして私ぷんこは立派なツリカワ先生大好きっ子となりました。担任をしていただいたのはその1年だけだったこと、数年後には転校をしてしまったことなどから、その後の関係は濃いものではありませんでしたが、大人になった私の中にもいまだ「恩師」として心に残る存在なのです。

しかし、そんな私よりもツリカワ先生を「恩師」とあがめ続ける存在がいます。私の母です。「小学校はじめての担任がツリカワ先生でホンマに良かったわ~」がお決まりのセリフですが、私にとっては「なぜ、あんたが」。私よりもツリカワ先生に惚れ込むタイミングなぞ一体どこにあったのか、と長年疑問に感じていたのですが、ある時聞いてみることにしたのです。「お母さんツリカワ先生のことめっちゃ好きやん、なんで?」と。

ここからは母から聞いた話で、とある面談時でのこと。
「学校でのぷんこさんはいつも進んでお手伝いをしてくれる優しい子ですよ」と。それに対して母は「家では全くそんな子どもではありません。いつもダラダラしているし、頼んだお手伝いもしなかったりで困っています。学校ではできているなら尚更です。一体なぜなんでしょうか。」と嘆きました。そんな母に先生がかけた言葉は慰めでも励ましでもありませんでした。

「お母さんは、ぷんこさんをほめていますか?」
「すごいことができた時だけじゃなく、当たり前のことができた時でも、ぷんこさんをほめていますか?」

「お母さんはぷんこさんの行動を”できて当たり前”だと思っていませんか?同級生と比べても身体も大きくて性格もしっかりしているので忘れてしまいがちですが、ぷんこさんはまだ1年生なんです。こんなことまで?と思うような些細なことでもほめてあげてください。お手伝いしてくれてありがとうと伝えると、ぷんこさんいつもとっても嬉しそうな顔をしてくれるんです。」
「ぷんこさんはしっかりしなきゃと常にアンテナを巡らせているように見えますが、私はこんな1年生は見たことがありません。だからこそ、ご自宅に帰るとどっと疲れが出てしまうのではないでしょうか。お母さんにもお考えがあると思いますが、どうかおうちに帰った時だけでも、ぷんこさんを沢山甘えさせて、ほめてあげてください。」


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ツリカワ先生から見て、母から見て、当時の私がどうだったかは私にはわからないけれど、確かに昔から大人びた子どもではあったように思います。同級生と遊ぶより1つ2つ上のお友達と遊ぶほうが心地よく、いつも年齢より上に見られていました。一方、3つ下の弟は私とは全く違ったタイプで、お母さんにくっついて離れないとっても甘えん坊な男の子だったので、母は母で精いっぱいな時期だったのかもしれません。

「全部ツリカワ先生に言われた通りやってん。ぷんこはほっといても手がかからなかったから、ついつい期待しすぎてしまってたと思う。それ以来ちゃんとほめることを気を付けるようにしてん。あの時ツリカワ先生に叱ってもらって良かった~って今も思うわ。」

ツリカワ先生がいなければ、母も今の母ではなくて、私も今の私とは全く違っていたのかもしれません。その後の人生にもそれなりに色々あって「明るく、まっすぐ、純粋に」育ってきましたとは言えないひねくれ女として完成してしまった感はあるけれど、親以外の大人が自分を見守って慈しんでくれたという経験は、きっと今の私のなにかを形作っているのだと思います。

ツリカワ先生お元気かなあ。先生のおかげでこんなに大きくなりました!

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