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「耳を澄ませる」という感覚 | 「本性」黒木渚

いつからか、街ですれ違う人やテレビにたまたまうつる一般の人たち、「その他大勢」の人たちの生活がいちいち気になるようになった。アニメ「あたしンち」で言うなら、紫色で表されているような人たちだ。

アニメの登場人物だって「これは関東だとどのへんにある家で、専業主婦がいて、何歳くらいの子どもが何人いて、車は持ってるくらいの人たちなんだ」とか、現実ならどんな暮らしなのか、あれこれ妄想を膨らませる。「あたしンち」の主人公の家族で言うなら、地方でお見合い結婚した夫婦が東京(23区ではない)で賃貸マンションに暮らし、サラリーマンの夫に専業主婦の妻、子供は2人、あまり出てこないけど自家用車も所有している、みたいな具合だ。こうして考えてみると、アニメになっている部分以外の生活もなんだかリアルに浮かび上がってくる気がする

就職活動で面接をしている時には、なんだか少し高圧的にも感じる面接官のおじさんにも“ガクチカ(学生時代に力を入れたこと)”があるんだろうなあとか、センター試験(おじさんの世代的には共通一次)や模試の点数で一喜一憂した過去があるんだろうなとか、はたまた今日は朝ごはん何食べてきたのかなとか、電車は何線で帰るのかなとか。「その場」で見える以外のその人の暮らしを想像してみると、結構楽しかったりする

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自分と同じ生き方をしている人なんかいないはずで、もちろん、道にいる占いの人や、タクシーの運転手、ローカルのCMに出てくるモデル、公園で寝ている人、パチンコ屋で目が合った人、それぞれにそれぞれの生きてきた生活があって、また様々な価値観があるはず。突然違う街に出かけてみたり、突拍子もないうそをついてみたり、いろんな人がいろんなことをするのを見ていく中で、その人の「本性」が浮かび上がる。それは必ずしも他人から見て綺麗なものとは限らないし、だいたいの場合、汚い。それを追っかけられるという意味で、小説を読むというのは、いろんな人の生活を覗き見しているみたいで楽しい。

帯に書いてある通り、世界に満ちあふれる声たちに耳を澄ませる感覚だ。「人間観察」というと、なんだか目を凝らしてジロジロ見つめるような感じになってしまうから、「耳を澄ませる」といった方がいいのかも。そんなにしっかり見なくても、少し気を向けるだけで周りの人のいろんなものを感じられるはず。



この本を書いた黒木渚という人は、普段は、というか、もともと、というか、ミュージシャンの人である。数年前のある時、TSUTAYAのCDコーナーをうろうろしていたら(SpotifyとApple Musicに出会ってからはこんなこともなかなかしなくなってしまった)、店内で流れていた「ふざけんな世界、ふざけろよ」という歌がとても印象的で、数分前には名前も知らなかった黒木渚という人のCDをたくさん借りていた。



曲もさることながら、詞の言葉遣いがいちいち魅力的。

こんなかっこいいライブ映像を配信してくれるし、


小説を読み聞かせしてくれるし、



何よりミュージックビデオにはいろいろ詰まっている(ぼくの語彙力がゴミすぎて伝わらないだろうけど)。



いつか、黒木渚について語るnoteを投稿したいと思うけど、この人の魅力は語彙と世界観なんだ!なんて、語彙力も世界観を想像(創造)する力で劣るぼくにできるかしらと、悩ましい。



ちなみに今日は4月12日。

ぼくの好きな、元°C-ute・鈴木愛理の誕生日だ。あと、プロ野球近鉄、楽天、巨人に在籍しMLBでもノーヒットノーランを達成するなど活躍した岩隈久志の誕生日でもある。1204年には第4回十字軍によってコンスタンティノープルが陥落したし、1877年には現在の東京大学が設立された。あと1992年には、フランスにヨーロッパ初のディズニーランドが開園した。

久しぶりに本を読んだ感想を投稿。




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