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ドタバタ米国留学記 #13 ゴタゴタ

念願叶って24歳でロサンゼルスの語学学校へ留学するものの、出発したその日から「ろくに準備もせず出国してしまったことを大いに後悔する」っていう、先が思いやられる衝撃のはじまりからの、英語まみれの授業、寮での生活、クセのある人々など、たった16週間に起きたおもしろエピソードをたっぷりと綴ります。

トラブルメーカー

ルームメイトと仲良く過ごすには『基本的なマナーを守り相手を尊重すること』だと思っていて、挨拶は勿論、スペースを共同で使うので最低限の掃除や整理整頓を心がけ、お互いに気持ちよく生活できるよう努力するのが肝心、と考えています。
文化や生活習慣は違って当たり前なので、まずはそれを理解し合うっていうのは大前提で、マナーとしては、散らかさない、騒がない、部屋で何かする前には一言声をかける、っていうのが当然だと思っているんです。
ワタシはこれをやっていたし、ルームシェアをする人はこういう心構えで来るはず、と想定しているわけですね。

人生初のルームメイト、パラグアイ人のファティマがとてもいい人だったので、「心配だったルームシェアは何とかダイジョブそうだ」と前向きに受け入れられたため、帰国まで何とかなると安心していました。
それが、とんでもないヤツが現れ、ワタシの快適な寮生活が一変することになります。

彼女は台湾から来た、医者の娘。
年齢はワタシより下で、名前は全く記憶にありません。
覚える気がない、っていうのが本音ですけど、見た目が「キャイ〜ンの天野くん」にそっくりだったので、勝手に「天野くん」とあだ名をつけたためです。

ギンガムチェックのパーカーの背中には、キティのバッタもんが描かれてまして

全てがやんわり違う

強烈な第一印象でした。
つかみとしてはワタシの大好物だったので、仲良くなれるといいなとは思いましたね。

彼女、「将来は医者になる」と言っていて、英語の発音がとても上手だったんです。
せっかく同じ部屋になったことだし、「英語を教えてもらおうかな」くらいに思っていて、一緒に楽しく過ごす未来を思い描いてました。
それが、数日で、見事に打ち砕かれます。

部屋に初めて来た時は、挨拶を交わし少しだけ話しましたが、それからは彼女からの挨拶は一切なし。
片付けない、ドアに鍵かけないで出かける、服は脱ぎっぱなし、であっという間に荷物が散乱する、っていうね。
どうも、出来ないみたいなんですよ。
ベッドにシーツを敷いて寝床を作る、ってことすら出来ない。
たった数日で、ワタシの領域 (部屋の半分) をも占拠して荷物をとっちらかすので、彼女がいない間に、床に落ちている洋服なんかはズズ〜ッと彼女のテリトリーに追いやるんですけど、限度を超えているというか、ちょいと酷すぎて目もあてられない感じで、こっちがゲンナリする状態でした。

もしかして、お嬢さま?
天野くんなのに?

友達のルームメイトの韓国人女性 (お嬢さま) は、食器洗い用洗剤の使い方を知らなかったと言います。
そんな感じなのかな?と。

それでも、ガマンには限界がある、ってもんです。

とある夜のこと。
ワタシは、デスクライトだけつけてベッドに入り、もう寝ようとしているところでした。
まぁまぁ遅い時間です。
そんな時、天野くんが帰宅しましてね。
部屋に入った途端、彼女は電気のスイッチをオン。
確かめることなく、断りもなく、声がけもなく。
で、ベッドに倒れ込み、寝はじめました。

は!?

信じられない。
「寝るなら、電気を消して」と彼女に言うと
「 Sleepy. I can't because I'm sleepy〜 ( 眠いから無理 ).」とか言いやがる。

は〜〜〜!?

ふざけんな。
「あんたが電気をつけたんでしょ」と言うと
「 I don't know〜 ( 知らな〜い )」

あ〜〜〜〜〜ん!?
ぶっ殺す。

別に、「 Sorry. Can you turn off the light ? (ごめん、電気消してくれる?)」とか言ってくれれば、消すんですよ。
申し訳ないっていう気持ちは湧かないんだ、と驚きましたけど、アンタみたいな医者には診察されたくないわ、とか思っちゃいましたね。
詫びる気持ちなど微塵みじんもなく、消したかったらアンタが消せば?みたいな態度に、「お前、いつかバチ当たれ」と心の中で吐き捨て、ベッドを出て、部屋の入り口までテクテク歩き、電気のスイッチをオフにしました。

この日を境に、彼女は "いないもの" として意識することにしましたよ。
この散らかしは、『悪魔の仕業』なのだと。

不幸中の幸いか、彼女は数週間で去って行き、部屋はスッキリ元どおりになりました。
突然やって来た嵐にワタシの心はすさみましたけど、平穏を取り戻し回復に向かいます。
が、あろうことか次のルームメイトがすぐさまやって来ました。
まさかの、台湾人。

マジか。

部屋に来たのは、ワタシと同じくらいの年齢かな?と思われる、温厚な雰囲気の方。

とはいえ、「油断は出来ない」と少し身構えたところで、たった2日で部屋を出て行かれました。
どうも、ホームステイ先がダブルブッキング?だかで泊まれず、ひとまず寮に行くよう案内されたんだとか。
「無事に滞在先が見つかった」ってことで、スーツケースから荷物を出さないまま、サヨナラとなりました。
彼女の発音は聞き取りにくく会話にはとても苦労したんですけど、親切で優しい人だったのでちょっと残念でしたね。

「人との出会いで自身の状況も大きく変化するのは承知の上だけれども、誰と出会うかで変化の質が決まる」っていうのを実感した出来事でした。

ウワサされる

週末は友達と出かけることが多く、特に用はないけどショッピングモールに行ってプラプラする、っていうのが定番でした。
いわゆる『ウィンドウショッピング (買い物をしないで見て歩くだけ) 』なんですけど、それがものすごく楽しいわけですよ。
学校では「週末は何するの?」が決まり文句みたいになっていて、ワタシはほぼほぼ「ショッピング」と答えていたんです。
本当はウィンドウショッピングなんですけど、面倒なので。
っていうか、「『ウィンドウショッピング』は和製英語で意味が通じない」と思ってたんですね、この時は。
後々で「window-shopping は英語」って知るんですけど。

ワタシが毎度「ショッピング」と答えるもんで、「彼女は毎週ショッピングモールに行っている」と誰かが言ったみたいで、変なウワサが流れます。

『アユミは、金持ち』

いつも、何かしら新しいものを持っている。
テレビも買っているし、そのうち車も買うんじゃないか?
みたいな。

んなわけない。

「そのサンダルかわいいね」と褒められた時
「ショッピングモールで買ったんだよ」と答えたし、
「その服かわいいね」と言われた時も
「ショッピングモールで買ったんだよ」と、たしかに返したけども。

サンダルは必要だからだし、服なんてどれもデカくて着られないから子供服をいくつか買っただけだっつうの。

ウィンドウショッピングといっても、服飾系だけじゃなく、家電店にもよく行っていたんです。
日本にいても、ホームセンターや家電量販店、本屋なんかも大好きなので、そういう所には用もないのに行くんですよ。
ロスでも同じで、友達の車に便乗して一緒に行く、ってだけのことなんですけどね。

ショッピングモールに行っていた理由は、実は他にもありました。
それは、フードコート。
パスタはその場で作ってくれるし、大好物のニューヨークチーズケーキはあるし、結構な品揃えで、味もまぁまぁおいしかったんですよ。
カフェテリア (学食) だけでは飽きてくる、っていうのもありますが、ワタシはアメリカンな食事が体に合わないため、こういう所で食べられるものを食べておく、っていうのが大事でした。
友達は "シナボン (CINNABON) " をよく食べてましたね。
ワタシはシナモンが大の苦手で、匂いを嗅ぐだけで拷問を受けている気分になるんですけど、目の前で幸せそうに頬ばっている人にそんなこと言えませんから、平気なフリしてガマンしてました。
そういうことすら楽しかったので、そりゃ〜毎週のように行きますよ。
公園に散歩に行くのと同じ感覚でしたから。

親しくない人には、こんな細かいことまで話すことはないので誤解が生まれたんでしょうけどね。
本人に確認せずあることないこと言われるのは心外ですが、今みたいな SNS がない時代でホント良かったと思います。
スマホがないからこそ、いらん影響を受けることなく、自力で「行ってみよう」「やってみよう」が出来ていたと思うので。
ま、何言われても気にしませんけどね。

車の運転

車こそ買いませんが、レンタカーで運転をしたことはあります。
日本で国際免許を取得して行っていたので、それを活用したわけです。

フリーウェイ (高速道路) を利用して、結構遠くまで走りました。
フリーウェイは、走行レーンとは別に「Carpool Lane (カープールレーン)」というのがあります。

カープールレーンは、「車1台につき、2人もしくは3人以上の乗車人数の場合のみ走行可能なレーン」なんですね。
少しでも渋滞が緩和するように、シェアライドした場合に特典を設ける制度が作られているんです。
このレーンは比較的空いているので、ドライバー1人だけなのにこのレーンを走っちゃってることもあるんですが、そういう場合、見つかれば罰金を課せられます。
ワタシは友達と一緒に乗っていたので、問題なくこの走行レーンを使ってスイスイ行けましたけどね。

たしか、レンタカーは21歳以上じゃないと借りられなくて、支払いはクレジットカードなんです。
複数人で運転する場合は、運転する人全員が確認書類にサインする必要があります。
当時の車にはカーナビなんてありませんから、「助手席の人がマップを広げてナビをする」っていうのが普通で、折りたたみタイプの手書き地図 ↓ を見ながら目的地へ行っていました。

ってな具合に、なんだかんだ余暇も満喫。色々とゴタゴタはあるものの、充実した毎日を過ごしていました。

他にもまだある、いろんな体験はまた次回。


つづく・・・


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