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「能楽堂」にご意見ありませんか?~はい、ありますとも!~

伺ったことがない喜多能楽堂が、改修に入るというので、「その前に一度ご覧になった方がよいですよ」という能楽囃子方の知り合いの方に言われていたので、滑り込みセーフで見学会に行ってみた。

釘一つ使っていない能舞台は宮大工の手のものだという。
観劇でいくつかの能楽堂は出かけているが、開演前の時間に能舞台そのものをじろじろと鑑賞ことはほぼ出来ない。仕事で使ったことがある能舞台は表裏隅々までしっているだけに、「こちらはどんな?」と興味津々。

能楽師の方が客席に待機してくださり、【質問ありますか】と声をかけてくださる。数人の方とお話させていただいたのだが、その中でも一番の長老の方と話しがはずんだ。

「ここの能楽堂の改修に際しても、建て替えてビルの地下にいれよう。というアイデアもあったけど・・・何か良い心地ではありませんよね」という所から、銀座にできた地下4階にある能楽堂についての私見を話させていただいた。

・”観劇をする”というハレの日に、地下に下る。というのは気分がよろしくない。これから舞台を観よう!という気持ちにならないから。
・そもそも能楽堂というのは、野外にあったもの。それが近代になり建物の中の舞台となったが、形式上屋根は残っている。という歴史を踏まえても、さらにビルの中に劇場が埋まっていることには抵抗がある。野外劇場はもう無理だとしても、劇場という特別空間なのに、ビルの中に収められてしまうというのは、何か芸に関しての冒とくではないか
・芸能という言葉の語源に「能」はなっているはず。原始、芸はすべて神への奉納するものであった。その起源からして「芸」は今も神への捧げものであるエッセンスは残っているはず。その捧げる空間が、ビルの一番地下にあるというのは、道理的にも心情的にも、おかしいと思う。
・奉納する場である神社だって、参道があり最後は階段を上るもの。だから劇場だって、階段を登って入っていくのが理にかなっているし、気持ち的にも階段を上がることで向上する。
・この能楽堂もビルの中に入らず、この単独劇場、階段を登っての入り口、というスタイルをぜひ踏襲してほしい。

と意見を述べさせていただいたところ、おじいちゃま能楽師は、「ありがとう!そういうお客様からの意見が聞きたかった。我々、舞台に上がる者と同じ感覚をもってくれていることが、わかってうれしい」
と、笑顔で、何度も何度も言っていた。
その後早速、近くにいた若手能楽師にさっそく「お客様がこういってくれていた」と共有してところをみると、本当に心に響いたのかな。

舞台に上がる人と客席にいる人が直接語れる機会は少ないのかもしれない。

一緒にいた友人が帰りにボソっと言っていた。
「あの能楽師の方、良い人選で声かけましたね。モトコさん程、的確に本質をとらえた意見を率直に言ってくれる人いませんからね(笑)」

確かにそうだね~(笑)

私に話しかける時には、「質問ありませんか?」じゃなくて、「ご意見ありませんか?」が正しい声がけだね!