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時既に遅しな、半狂乱

こんな映画を観た。
げんなりしてしまった・・

バンクシー 抗うものたちのアート革命

バンクシー 抗うものたちのアート革命

破壊か、想像かという吹き出しがそもそもお門違いな内容。
グラフィティとは、つまり“落書き”や“いたずら書き”を指す言葉だが、出発点はそこにあること自体は別に良い。だがその中で行われた犯罪と過度な自己主張による諸々はただの秩序の破壊であって、ただとは言え、秩序がなんでも良いとは言っていないし、逆に何もかも悪いとも言ってはいないが、彼らは恐らく“俺たちに気に食わない秩序を破壊する”という主張の先のグラフィティ、それらを外野でネタになると思った連中が“STREET ART”や“SABWAY ART”と言って煽り始めた先に乗っかったのがバンクシーのような“Artist”という風に見えて仕方ない。
ふと思ったのは、環境保護団体が何やらペンキをはじめとした液体を“アート”や“ブランド”の何某かに掛けたりするまさに“グラフィティ”がニュースで流れてくるが、あれとバンクシーやその他のストリートアート・サブウェイアートは何が違うのだろうか。
いや、環境保護団体のそれをバンクシーがやったら、はてそれは皆アートというのだろうか?それともただの迷惑行為で排除される?
では、グラフィティ初期の逮捕者が出たり排除が法律違反と制定されたりした時代にあったこととそれは何か違うのだろうか?
という非常に素朴な疑問がずらり頭に浮かんでしまってあまり自分の中に入ってこないということになってしまった・・

最初に流れる“風船と少女”がオークションハウスのサザビーズでオークションにかけられている映像が、改めて観るとまことに白々しく見えて、いかにもな演出で知らされていないまたは、それが叶わなかった聴衆や関係者は驚いた表情だが、それとは対照的表情を浮かべる人が散見されとても印象的。

実際の内幕は知らない。
でも、多くが注目していない時代の“バンクシー”は覆面でもなければ、名前さえも晒していたが、この映画ではその映像が全部モザイクになっていてそれもまた“覆面演出”であるとみるのが自然ではないか。(確か完全に覆面になった頃に、いつの日かのアンジェリーナ・ジョリーのマネージャーがバンクシーのマネージャーに就任し、そこから戦略がガラリ変わったと聞いたが、そこまでの興味がなかったので間違っていたら正しい情報が欲しい)

さらにそのゴタゴタが金になると踏んだ資本側が手を差し伸べ、悪魔の契りを交わしたというのが、まさに正当化された今の“バンクシー”の立ち位置であり“現代アート”の過剰極まりない金の争奪戦の只中なのだ。と、僕は理解している。

間違いの正され方という方法が破綻していて、何を語っても結果、下品なもの以上に評価しにくいように思う。それが何千万とか何億、場合により何十億や何百億と金が躍る様は異様でしかない。
いつまで続くのだろう、過剰評価とそれをあらゆる金銭評価軸に組み込む時代は・・

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