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不可解な世界

この世界はどうにかしてしまったんじゃないかと思う世界の動き。国内の動きもそれに追従する動きしか見えない。

最近の興味はディセントラライズドな世界はディストピアしか描けなくなっていて、セントラライズドな基幹システムの浸透実現の後に合理と利便の支配があった上でのディセントラライズドな変革が適切な流れで、それを実現するためにはやはりセントラルとしての国家のグランドデザインとセントラライズドな強固で高度な信頼をおけるシステムの構築ができ得るかということにある。
そんなことを妄想してお上のやっていることを見れば、デジタル庁の求心力の無さか、はたまた吠え盛り既得権を死守したい幼稚な連中の死活問題的認識が勝るかはさておき、総理たる国の長が変革を言ったと思ったら秒で旧来の仕組みも壊さずになどとほざく始末。
血が流れるのが怖いか、はたまたお仲間たちの既得権が失われるのが憚られるのかはさておき、何れにせよ無能に違いないとあえてその界隈の諸々を一切無視して遂行する図太さがなければ変革など訪れはしまい。

セントラルな連中がこの有様だから、多くの企業がそれに足並みを揃え無意味でいずれ終焉を迎えるやり方を模倣するのだ。

DXとかスマートシティ、地方創生や地域活性といったところもそうだ。
挙げればキリのない無数の事業が列島津々浦々で立ち上がり、その事業費の大半は回り回って我々の税金である。

何度も言う。
ディセントラライズドは後で何よりも信頼性の高い強固なセントラライズドな基幹システムの構築が先だ。
本気で考えれば今までの既得権の粗方が吹いて飛ぶことだろう。
こういう根底の覆るような変化は国民一人ひとりの血も流れる。
しかしながら、その荒療治無くして国の再興はないといってまず間違いない。だからそれは受け入れなければならない。
でも国のシステムをしばし全停止してまで入れ替えを行った先には今までと比べ物にならない迅速な対応が各所でストレスなくできるようになると想像できる。
物事を複雑奇怪な奇形状態にした上で“これはやりたくてもできないんです”みたいな話はできなくなり、非常に整頓され迅速かつ行き渡る本来の国や自治体における業務遂行が実現すると思う。

かつて石原慎太郎が進言した内閣総理大臣の権限をもって憲法破棄の上新憲法の制定など、まさに今回のような状態を一気に整頓するウルトラCではないかと僕は思うのです。

皆さんはこの類の問題、まあ日々どこかで話されていると思うので身近なことだと思いますがどう考えられているのでしょうか?

注)
トップ画像はボクシルマガジンより転載しました
https://boxil.jp/beyond/a5740/

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