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先に期待を後ろにゴミを
自省、自己分析、自己陶酔、なんて名前をつけてやればいいかわからない感情のコースターに乗せられて、目移りの忙しない毎日。
いつも方向性を間違える、集中力の充てどころを履き違える。
そして、どんどんと明日って呼んでるボタンをかけ違っていく。
他人と向き合うのも苦手だが、自分を正しく俯瞰することが何よりも不得手である。
易しい哲学を読み漁れど、こんな体たらくの男に寄り添ってくれるものなどなく、詩を
このゴミはどこに捨てればいい
元気な時期は嫌いだ。
いつなにが起きて、どういう原因でそれが崩れていくのかわからないから。
ほんの些細なことからなんだよな。
前ばかり見すぎて足元の石ころを見逃している。
そうやって気づかず蹴り飛ばした石ころが積もり積もって降りかかる。
生きているということは波を起こすことだと考えている。
凪の水面に石を投げいれるように、生きていく上で「行動」することは他のなにかに変化を加えるということだ。
風だか雨だか知らねえが
希死念慮希死念慮は、生きたくないと考えたり、死ぬことを想像したりすることである。 自殺念慮はより積極的なものを指し、自殺の準備や計画の策定が含まれる。 本項では便宜上、希死念慮を自殺念慮も含む語とする。 希死念慮を持っているほとんどの人は自殺企図に至らないが、希死念慮は自殺のリスクファクターと考えられている。 wikipediaより
昔から胸がキシキシするときがある。
それに名前がついているのを
ひっくり返した灰皿みたいね
前提として認識しておいてほしいことは、俺が詩人なのではなくこの世界がハードボイルドだということだ。
人生を楽しんでいるかお前ら、心底うらやましいよ。
最近の俺はすごく空虚な気持ちに苛まれて苦労している。
家族も友達もいいやつばかりだ、新しい仕事も覚えてきて悪くないはずなのになぜだか何も楽しくない。
元来後ろ向きな人間なのは理解しているがここまでくると自分でもどうしていいのかわからなくなってくる。
im still tired
どこかのデザイナーがそんなことを言っていた、もうかなり年配の方だが数々の作品を世に送り出してきた素晴らしい方だ。
もう思ったように筆が進まない、俺は疲れているのだろうか。
それすらもよくわからない、なにを書きたいのかも忘れてしまった。そもそも書きたいものなど何もなかったのかもしれない。