これからの生き方と、選ばれる地域とは?「援農」仕掛け人の思い。
ども。
ある時はスイカ農家、またある時はほうれん草農家、そしてまたある時は「援農仕掛け人」。
そんな僕です。
今回は「援農」のお話。
「農を援(たす)ける」と書いて援農。
農作業には他の仕事にはなかなか無いくらいの「忙しさの波」がある。
例えばスイカなら、
4月植え付け
〜6月栽培
7月〜8月収穫・出荷
みたいな感じ。(あくまで僕の地域の話ね)
この時期はまあアホほど忙しい。猫の手も借りたい。
でも逆に冬は仕事ないから、人を雇ってもしょうがない。
こんな風な忙しさのピーク期間に限定して農家さんと一緒に作業するのが「援農」。
言ってしまえば、短期の農業アルバイト。
2020年もmyフィールドである山口県阿武町でスイカ・ほうれん草の援農を仕掛けていくため、僕はせっせと準備してる最中。
”マッチング”の難しさ。
僕は今までも「援農」と称した農業アルバイトの募集に行政と取り組んできた。
この事業を取り巻く主な登場人物は3者。
・繁忙期に人手が欲しい生産者
・移住・定住に繋げたい行政
・モチベーションが様々な参加者
僕の町では、行政と生産者の思いを形にした発信で援農がスタート。
しかしすぐに課題が。
1)単なる農業アルバイト求人はすでに溢れかえっていて、参加者から見ての「価値」が薄い
2)「移住・定住して欲しい」というメッセージは参加者のモチベーションとマッチしない
生産者・行政ともに伝えたい思いはあるものの、そこに参加者の目線、つまり「需要」の視点が抜けていた感が否めない。
もちろん、地方の現場で汗かいてるみんなの思いが届けば、これほど幸せなことはないんだけれど、なかなかうまくいかないもの。
援農も突き詰めれば相互に提供・受益する”マッチング”のひとつ。
一方通行ではうまくいかないことが多くあったように思う。
「価値」をつけるために「意味をずらす」。
僕も生産者なので、「純粋に人手がほしい」という思いはもちろんある。
でもそれだけじゃうまくいかないこともわかっていたので、どうすれば人に来てもらえる取り組みにできるか、コンセプトから考えることにした。
まず考えなくちゃいけなかったのは1つ目の課題。
単なる農業アルバイト求人はすでに溢れかえっていて、参加者から見ての「価値」が薄いということ。
個人・法人・農協が全国各地で短期バイトを募集してるし、時給だけ見ればもっと高待遇な仕事もごまんとある。
その中で、わざわざ何もない田舎を選んで来てもらわないといけないということ。
溢れる農業系の求人に埋もれないためには「農業アルバイト」でありながらも「別の意味」が必要になる。
もっと言うと、農業アルバイトを別の見方ができるように、こちら側から「意味をずらす」必要があった。
そこで行き着いたのが
生き方に出会い直すこと。
都会から来る人にとって、田舎で土に触れながら仕事をする人はまさに「別種」の存在。
都会の人が右も左も分からない土地に飛び込んで、その上全く違う生き方をする農家さんや地域の人と出会うことで何が起きるか。
これは純粋に面白いんじゃない?
そしてもうひとつ見逃せないのは援農に参加する人同士の出会い。
参加者同士で切り取っても、やはりそれぞれが全く違う人生を歩んできている。
そんな縁もゆかりもなかった人同士が、これまた縁もゆかりもなかった土地で偶然出会う。
日中は一緒に農作業し、寝食を共にする。
その中で、これまで歩んできたお互いの生き方が出会う。
援農が終わって、またそれぞれの道を歩き始める時、彼らの生き方はどうなるのだろうか…
ここに、ひとまずの答えを置くことにした。
僕は援農でお金が欲しい人ではなく、「生き方」が欲しい人を呼びたいと思った。
援農は単なる農業アルバイトじゃない。
「生き方に出会い直す」もの。
”とどまらない人”の時代が来る。
援農にまつわる大事な話がもうひとつ。
最初にあげた2つ目の課題。
「移住・定住して欲しい」というメッセージは参加者のモチベーションとマッチしない。
僕自身はUターンで地元に帰り農業をはじめたクチ。
ひと昔前までは移住ブームがあって、地方からのアプローチがそれなりに成果をあげてる感は確かにあった。
でも、それもどうやらひと段落したっぽい。
むしろ、よく考えないまま新天地に根を下ろしたものの、現地で仕事や人間関係がうまくいかずに失敗した!なんて話も出てくるようになり、
移住はリスクあるよね感も。
そこで2拠点生活、あるいはそれ以上の多拠点生活という形で、ひとつの地域との関係性をもっとライトに捉える新しい移住の形も生まれてきた。
さらに今では拠点そのものが物理的に動く「可動産」という考え方から、トラックの荷台に部屋を作って「モバイルハウス」で生活する人も現れている。
今の時代、人は一箇所にとどまらなくても生きていける。
それを望んで選択する人は増えている。
だからこそ、今までのように「移住・定住ありき」のメッセージを訴えていたら”とどまらない人”たちとのギャップは広がり続ける。
「まずは援農で短期間、町の暮らしを知ってもらって、移住につなげたい!」って理屈はものすごくわかるし、そんな人が現れれることは間違いなく素敵なこと。
でも、それを当たり前だと思って進めると時代そのものと食い違ってしまう。
生きたい時間を生きたい場所で。
”とどまらない人”たちは、実は人生においてある「重大な自由」を獲得している。
それは、
生きたい時間を、生きたい場所で生きる自由。
生きる時間と場所を自分で選べるというのは幸せなことだと思う。
でも、問題はそういう人たちに寛容な地域がまだ少ないということ。
よそ者は地域に根を下ろさないと信用されない、という現実がまだまだ拭えない日本の田舎。
そんなことで果たしていいのか?
このままでは将来、日本の田舎は一斉に立ち行かなくなる気がしてる。
とどまらない人からすれば、とどまらないことを不審に思うような地域を選ぶメリットは全くないんだから。
とどまらずに動き回る人たちを前向きに受け入れる地域が増えれば、結果的に多くの人に選ばれる地域が増えるということで。
「生きたい時間を生きたい場所で生きる社会」になればいいんだけどね。
来るべき時代への”布石”。
実際に過去3年間、援農に取り組んでみた結果。
手探りではあったものの、援農という仕組みが”とどまらない人の時代”にマッチしているという事実を確認することはできた。これは大きな気づき。
スタートは「農家に人手が欲しい」ということだけで始まったけれど、期間限定で地域に関わる仕組みは、これから間違いなくやってくる時代に対しての”布石”になっていた。
だからこそ、この布石がさらに効き目をもてるようにデザインしていくのがこれからの方向性。
いきなり突っ走ると現場の生産者を置いてけぼりにしちゃいそうなので、その辺はバランス感覚が必要ですが、未来を見据えて進むとしましょう。
長々と書いちゃいました。
読んでくださってありがとうございます。
今年もがっつり、援農の仕組みを回していきます!
オンライン説明会もやるので、ぜひ参加してみてください!
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